妖精族アラフォー、1年間だけの仮夫婦デート日記。……恋なんて、歳じゃないはずだった。

桐山なつめ

第1話 1年間だけ、妻でいて。

 加藤陽平、妖精族。

 齢704歳。外見年齢、43歳。

 職業はしがないデザイナー。


 恋とか結婚とか子供とか。

 もうそんなの望む歳じゃない。


 このままダラダラ人間と共存して、

 長過ぎる寿命を無駄に消化しようと思っていた。


 ――つい最近までは。


 ◆ ◆ ◆


「お久しぶりです、陽平くん。

 今日から、適切に婚姻関係を運用していきましょうね」


「……相変わらずだな、真希」


 都内の駅近、新築4LDK。

 騒々しく、互いの荷物が引越し業者によって新居に運び入れられていく中、

 長年の腐れ縁である浅野真希は、長い黒髪を揺らしながら丁寧に腰を折った。

 どこか他人行儀な、涼しい目元が印象的な凛とした美人だ。


 彼女が今日から俺の"奥さん"になるらしい。


 業者の邪魔にならないよう、肩を並べてリビングの壁を背に立つ。

 とりあえず目の前の慌ただしさを眺めながら、深呼吸をひとつした。


「ほんとに結婚が決まるとはね~」


 呟きながら、手持ちの鞄に手を伸ばし、束になった書類と日誌を取り出した。

 書類の見出しには、『妖精族 婚姻マッチング支援プロジェクト』と記載されている。


 ――俺と真希は妖精族だ。

 といっても寿命が長いだけで、見た目や能力は人間と変わらない。


【本プロジェクトは、長寿種族特有の社会的孤立を防ぎ、

 共同生活を通じた安定的な社会基盤の提供と、

 種族文化の維持・継承を目的とする】


 以下の事項への同意をもって、本制度の適用といたします。


 1.共同生活の実施義務

 2.生活状況の報告義務

 3.行動観察への協力


 小難しい文面で書いてあるが……簡単に言えば、

 ランダムで選ばれた妖精族の男女を、

 を目的に、

『疑似夫婦』として生活させるという制度だ。


 その代わり、衣食住は税金で支払われ、手当てまでもらえる。


 ――要は、税金を投じた共同生活支援みたいなものである。


「よく人権問題にならないよな~」


 軽口のつもりで言った独り言に、真希が顔を上げた。


「あくまで自由参加ですしね」

「ま、妖精族なんて、現代じゃ知らない人間のが多いし。炎上すらしないか」

「でも陽平くんは、このようなものに興味がないと思っていました」

「いやいや、俺も種族が絶滅するのは嫌だからさ~」

「滅びても文句は言わないタイプじゃなかったんですね」

「俺をなんだと思ってんだ」


 こういう話題は深く考えたら負けだ。

 ヤバい制度だということは、薄々わかっている。


 だが、この制度に乗っかるのが、種族として社会に残る道。

 俺たちが戦国の世を生き抜いたのと同じで、

 今は国に管理されるのが一番手っ取り早いのだ。


「真希の方こそ、なんで参加したの。俺よりドライな性格だったじゃん」

「毎月35万円の手当てのためです」

「……金のためかよ」

「はい。しっかり貯金をして、老後の蓄えにするんです」

「相変わらず、現実的だな~……」


 俺と真希は、戦国時代も第二次世界大戦も共に潜り抜けた仲だ。

 あの頃から淡白で、時々優しくて、本音が読めない女……。


 戦後に一度距離が空いたが、

 まさか"疑似夫婦"として再会するとは思わなかった。


 俺は書面に視線を戻す。


 4.判定期間について

 本制度は1年間を標準期間とし、期間満了時に

 継続・交代・離脱のいずれかの判定を受けるものとする。


(1年、ねえ……)


 肩をすくめ、支給されたばかりのまっさらな日誌をパラパラとめくる。

 ここに今日から毎日、夫婦の日常を綴っていけと命じられているのだ。


「……でも、相手が俺でがっかりしたんじゃない?」


 真希が俺を振り返った。


「いいえ。陽平くんで良かったです」


(えっ!?)


 一瞬、心臓が跳ねた。


「ほら、初対面の方って、何を考えてるのか分からないですし」

「……いや、それお前のことだけどね~」


(年甲斐もなく……何を期待したんだ、俺は)


 真希は腕時計に目を落とす。


「あ、すみません。引っ越しの途中ですが、会議に参加してきてもいいですか?」

「ああ。在宅で仕事してるんだっけ?」

「はい。システムエンジニアをしています」

「かっけえ~。俺なんて、しがないフリーのデザイナーだよ」

「昔から、絵を描くの好きでしたもんね。

 好きなこと仕事にするまで頑張った陽平くんはすごいと思いますよ」

「……サンキュ」


(さらっと言ってくれちゃって)


「俺は自分の部屋で仕事するから、書斎使いなよ」

「いいんですか? 助かります」


 彼女はそう言って、鞄からノートパソコンを取り出す。

 そして、一瞬何かを考えたように動きを止めると、

 不意にこちらへ片手を差し出してきた。


「なに?」

「これからよろしくお願いします、の握手をしましょう」

「いや、そういうのはいいって。お互い、適当にやろうよ」


 俺は右手をひらひらと振り、おどけたように答えた。

 真希はそんな俺をじっと見つめ、


「……。わかりました」


 そのまま身を翻すと、書斎に向かってしまった。

 その後ろ姿を見送りながら、苦笑いする。


(はあ、焦った)


 行き場を失った右手をゆるゆると下げ、ため息をついた。


 実は――真希に秘密にしていることがある。


(……ランダム選出なんかじゃないんだよなあ)


 ――『"妻"役は、浅野真希がいい』


 マッチングされる前、支援員に頭を下げて頼み込んだのだ。


(真希が他の誰かと夫婦になるなんて、堪えられない)


 彼女に好かれていないことは知っている。

 だから、握手はもちろん、触れる気なんてさらさらない。

 線引きくらい、700年の人生で擦り切れるほど学んだのだ。


(……1年)


 どうせ、この関係に進展など見込めない。

 だからこの共同生活は、1年後には解消となるだろう。


 その時、俺は"離脱"するつもりだ。

 真希は"交代"して、今度こそ他の男と夫婦になるかもしれない。


 それでも――

 1年間だけは、そばにいられる。


 支給された夫婦日誌の表紙をめくり、ボールペンを握る。


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【1日目】(陽平)

 今日から結婚生活が始まった。以上。


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(――この1年で、700年越しの片思いに終止符をつけたい)



 ……そう決めていたのに。

 20日後、支援員が鬼の形相で怒鳴り込んでくるとは、思いもしなかった。

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