第3話 得るべき情報

「それで、なにをしている」

「いっ、いえなにも! 私たちは失礼します!」


 ぱたぱたと三人の使用人が走り去っていく。それを見送るわたしは呆れしか浮かばないけれど、最初に声をかけた少女にも「仕事をとめてごめんね」と謝ってから解放させた。

 そうなればわたしとギルベール、そして従者だけが残る。


「なにもないらしいからそうしておく」

「……」


 ギルベールはなにも言わないけれど、後ろにいる従者は眉根を寄せている。


「随分と彼女たちは怯えていたように見えましたが?」

「ははっ。わたしが怖かったのかな」

「怖がられる理由があると」

「心当たりはないな。そんなことよりも、使用人の口の軽さや君の敵意はわたしが相手であるからか?」


 探るように従者君を見れば、その表情が非常に歪んでいる。それを見て思わず小さく笑ってしまった。

 ギルベールも眉根を寄せているけれど口を挟むつもりはないらしい。


(おそらく、まだなにも知らないんだろう)


『わたし』とギルベールの間が歪んでいれば、そうなるものだ。

 それもまた日記と相違なし。確認はできてもそれが朗報にならないのが困るところだ。


「……我が家の使用人があなたに無礼なことをしたならば申し訳ない。謝罪する」

「君からの謝罪は彼女たちからの謝罪にはならないよ。それから、確証なく謝罪をするものでもない。上へ上への責任が行きつく先は国の統治者か神になるからね」

「!」

「ふっ、不敬ですよ!?」

「だからいらないよ」

「それもそうですが旦那様に向かって「君」などといくら夫人とはいえ無礼でしょう! それから寝間着でうろうろしているのも公爵夫人としての自覚がないんですか!?」

「ない」

「ない!?」

「ははっ。君は怒りっぽいんだな」

「あなたのせいですよ!」


 ぐわりと噛みついてくる従者君はなかなか面白い。

 笑っているとギルベールの驚いた顔が視界に入って、わたしは口許に笑みを残したままギルベールを見た。


「どうかした?」

「……いや。それより、確かにその格好はよくない。部屋に戻るように。念のため医者を呼ぶ」

「では、そうさせてもらおうか」


 医者は正直なところ不要なものだ。だけどギルベールたちにそう言っても信じてはもらえないだろう。自分のことを客観的に見るにもいい。

 その言葉に素直に頷いて、わたしは歩いてきた廊下を戻ることにする。後ろからは「すぐに医者を」「はい」と二人の声が聞こえてきた。


 上がって下がって曲がってを繰り返さずに進んできた廊下を元に進めば、出てきた部屋に問題なく着いた。


(この階は部屋数もそれほどない。扉と扉の間も距離がある)


 さらに上階だ。おそらく屋敷の主人一家が生活する階なのだろう。

 そう分析して扉を開け、部屋に入る。


(まずは着替えてしまおう)


 寝室に戻ってクローゼットを開ける。

 その中にあるドレス。部屋の物色でも一度開けたけれど、中はさほど詰まっていない。


 普段着を収めるんだろうクローゼットは精々その四分の一ほどしか埋まっていない。シンプルなドレスやブラウス、ワンピースばかりで、靴や宝飾品が入っているんだろう箱もある。


 (立場の割にはシンプルな物が多い)


 少しだけそれらを見てから、服を一着手に取る。

 ブラウスを着てスカートを履く。尻尾はさてどうしようかと思っていると、ちょうど尻尾の部分は布を交互に重ねている作りで尻尾が出せるようになっていた。尻尾のある者用なのかな、手に取っても分かりづらいし尻尾が出れば綺麗に塞がる仕様だ。


 そうして着替えてから医者が来るというまでの間、即席で叩き込んだだけの日記の内容をじっくり読もうと椅子に座り、引き出しを開けた。

 鍵を開けて日記を取り出し、時間つぶしに読む。


 引き出しには日記が三冊、それから思い出や人物、情報がいろいろ書いてある情報用が一冊あった。

 どちらも筆跡は同じだ。情報もすべて書き記したのだということから、この場所が書き主にとって未知の場なのだと分かる。そして日記。一冊は途中なのか僅かしか書かれていない。埋まっている二冊のうち古いほうから読むようにしているけれど、読み始めてからはその内容に少し違和感を覚えた。

 けれど頭に入れていく。日記の内容は細やかで、繊細だ。


 そして、分かったこと。


(この身体の主は、シルティ。獣人の国の姫君)


 なんでもファルダ国という国から嫁いできたらしい。そして夫がギルベール。

 この婚姻にもいろいろと事情があるようだ。それに関してはもう少し情報を集めよう。


 あまりのんびり疑問をもちながら読むと、この日記を読み切るのに何か月もかかってしまいそうだ。

 だから内容を頭に入れながら読む。その合間にちょっと身体を動かしてみたりもして、いろいろと確認をしてみる。


 そうしてじっくり日記を読み進めてしばらく。ようやく居室の扉がノックされる音が聞こえて、日記を閉じて引き出しに戻した。

 ささっと居室へ向かい扉を開ける。そこにはギルベールと従者君、そして老齢の医師らしい人物がいた。


「医者を連れてきた」

「どうぞ」


 医者は礼をして室内に入るけれどギルベールと従者君は入ろうとしない。かといって立ち去るつもりもないようで、扉の傍に立ったまま凭れる姿勢を取る。

 それを見て内心で肩を竦めた。


「それじゃ気になるから入って」

「……いいのか?」

「構わない」


 刹那逡巡の様子をみせたギルベールだけれど、非常に渋面顔の従者君を連れて室内に入った。ギルベールはソファに、従者君はその後ろに控える。

 わたしも医者の向かいに座り、いくつかの問診と軽い診察を受けた。


「ふむ。熱もすっかり引いたようです。お身体が痛むことや、気分の悪さなどはございませんか?」

「はい。平常と変わりなく」

「熱も脈も正常です。もう心配はないでしょう。獣人特有の病であろうと思われますが、回復されてなによりです」

「こちらこそ、診察に感謝します」


 獣人というものに忌避感を持つ者はどうやら多いようだ。ギルベールも医者を探すにはどうにも手間取ったようだし。

 けれど目の前の医者からそういった悪意は感じられない。獣人というものに対する反応も人によって分かれるということだろう。


(とはいえ、この人格については黙っておいたほうがいいかな)


 医学で証明できるものでもない。今のわたしの周りにいる者たちがどれくらいこれを信じてくれるのかも分からない。十中八九、疑心と不審だらけだろう。


 診察を終えた医者は従者君の案内で部屋を出る。扉は開けられたままだけれど、医者と従者君が去ってもギルベールが去る動きはない。

 視線を向ければ、開けられた扉の方を見ているまま。静かな黒い瞳を見てわたしはそっと瞼を落とした。


「仕事じゃないの?」

「……ああ。今から行く」

「遅くさせてしまってすまない。遠慮なく理由は言い触らしてくれて構わないから」

「別に……そんなつもりはない」


 一度目を伏せ、次には立ち上がった。わたしの視線もそれを追う。視線の先でギルベールはわたしを見下ろしていた。

 黒い瞳は静かで、感情が読めるほどにまだこの人のことを知らない。淡々として情が乗っていないと見えるのも間違っていないのかもしれない。


「治ったとはいえ、あまり無理に出歩かないように」

「おや。心配してくれるのかな?」

「……。仕事にいってくる」

「いってらっしゃい」


 さっさと歩いて部屋を出ようとする背中にそう言えば一瞬だけ動きが止まったようにも見えたけれど、すぐになにもなかったかのように歩き出し、扉が閉じられた。

 室内はわたし一人になってとても静かだ。


(さて。日記からの情報は得られた。次は――)


 生憎だけれど。じっとしているつもりは毛頭ないのだ。




 ♢




 すぐに立ち上がったわたしも部屋を出る。この耳は本当に良い。

 ギルベールが引き返してくるかも、なんてことも音と声ですぐに把握できるし、見つかったらなんだかお説教をしてきそうな従者君も同じ。使用人たちにはバレても問題はないから廊下を歩く。


 試しに目を閉じて、耳だけはしかと集中したまま、廊下を歩く。

 階段を下りて、廊下を歩いて、角を曲がる。そうして歩いて着いた場所。


 目の前に、扉。

 それを開けて入ってみると、壁一面が書棚になっている部屋だった。


(書庫室はここかな)


 医者を待つ間、日記に書いてあった記述からふと気づいたことがある。

 ――意識や人格がわたしになったとして、だけどこの身体はシルティであるということだ。


 日記のある文章を読んでそれに気づいたわたしは、目を閉じて、自分がどう動くかを考えず体の動きに任せて、ダンスを踊るように身体を動かした。


 わたしに貴族が嗜むようなダンスの経験はない。前世もなかった。だから正真正銘初めてのそれらしい真似をした。

 だけど、うまくできた。だから確信した。


(この身体にも記憶がある)


 今、尻尾を浮かせることもさして考えずともできている。これもまたいい証明だ。


 さて。まずは知識を増やそう。





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