第16話
匠もまた、不安を抱えていた。
理仁がこの学園をやめてしまったら、簡単に会えなくなる。
匠は、まだ誰にも言っていない秘密があった。
自分はこの学園から離れられないということを。
匠は、この学園の理事長の甥だった。理事長は独り身で、匠がこの学園を継ぐことが内々で決まっている。そして、その準備も少しずつ始まっていた。
でも、それをどうしても、理仁に伝えられずにいる。
理仁が自分の立場を知ったらどう思うかと考えると、どうしても言い出せなかった。
そして、自分がこの学園に縛られていることを知ったら、理仁は自分のそばにいることを窮屈に感じるかもしれない。
匠は理仁を抱きしめながら、その不安を飲み込んだ。
今は、ただこの時間を大切にしたかった。
互いにやるせない気持ちを抱きながら、ただひたすらに今の時間を慈しむ。
その日は、ポトフを食べ終え、映画を見ているうちに、理仁が眠ってしまった。
匠は理仁を起こすこともできたが、彼を抱き上げ、寝室へと向かう。
抱き上げれば起きるかと思ったが、理仁は少しの寝言を言っただけで、匠の胸に頬をこすりつけるようにしただけだった。
「君って子は……」
匠は煽られた気分になりながらも、優しくベッドに下ろしてやる。
そうしても、理仁は目を覚まさなかった。匠は理仁の隣に横になり、毛布をかけてやる。
年齢よりも幼い寝顔がたまらなく愛しい。理仁の寝顔を見つめながら、匠は思った。
彼を守りたい。
彼と、ずっと一緒にいたい。
けれども、その一方で不安がよぎる。
それが叶うのだろうか。
それを彼に望まれるだろうか?
自分の独りよがりの欲望ではないのか?
匠は理仁の髪にそっと触れた。柔らかい髪が、指に絡む。
理仁が小さく身じろぎをして、匠の方に寄ってきた。匠は理仁を抱き寄せた。
理仁は眠ったまま、匠の胸に顔を埋める。
匠は理仁を抱きしめたまま、目を閉じた。
このまま、時間が止まればいいのに。
そう思いながら、理仁の髪をいじっているうちに、匠も眠りに落ちていった。
翌朝、理仁が目を覚ますと、隣に匠がいた。
理仁は驚いて身を起こそうとしたが、匠の腕が理仁の腰に回されていて、動けない。
「匠さん……」
理仁が小さく呼ぶと、匠は目を開けた。
「おはよう」
匠は眠そうに微笑んだ。寝起きの顔すら匠は美しいと理仁は感じてしまう。一方で自分は大丈夫だろうかと、慌てて口を拭き、髪に手をやる。
「ふふ、どうしたんだい?」
匠は不思議そうな顔をしながらも、まだ半分眠そうな顔で理仁を見つめる。
その視線に色っぽさを感じて、理仁は思わず胸を高鳴らせた。けれど、それを押しとどめるように、理仁は慌てて現状確認をしようとする。
「あの、僕……」
「眠ってたから、ここに寝かせたんだ」
そう言いながら、回した腕を匠は離してくれない。理仁は動けないまま謝るしかなかった。
「すみません……」
以前、ソファで寝落ちをして熱を出してしまったことを思い出せてしまっただろうか。手のかかる子供のように思われたのではないか。そもそも自分をどうやって運んだのだろうか。など、理仁に頭にたくさんの疑問がよぎる。
「謝らなくていいよ」
匠は理仁の腰に絡めた腕を少し強く抱き寄せる。上半身を起こしていた理仁は、それによってまたベッドに倒れ込んだ。
「このまま、もう少しだけ」
寝起きのかすれた匠の声が聞こえた。もしかしたら匠は寝起きが悪いのかもしれない。
理仁は頷いて、二人は抱き合ったまま、しばらくベッドにいた。
匠はしばらくすると寝息が聞こえてきたが、理仁はもう眠れず、窓を見る。
外では、また雪が降り始めていた。
でも、二人の間には温かなぬくもりがあって、いつも感じるような寒さは少しもない。
この時間が、永遠に続けばいいのに。
理仁は匠の少し長い髪を優しく梳いた。
さらさらと流れるような髪が指に絡み、それと同時に彼のシャンプーの匂いがする。
寝顔さえも美しくて、理仁は少し匠の顔に見惚れた。
こんなにきれいで完璧な人が、自分と同じ気持ちだなんて。
理仁はまだどこか信じ切れない。
こんな幸せがあるなんて思ってもみなかった。
こうして二人で同じベッドで休んで、朝も夜も一緒にいて。
それがどれだけ幸せなことか。
理仁が匠の髪をもてあそんだまま、整った顔をぼんやりと見ていると、彼の目がゆっくりと開いた。
ぼんやりとした視線が理仁を捉え、それから少しずつ焦点が合っていく。匠は理仁の顔を見つめたまま、口元に微かな笑みを浮かべた。
「……何してるんだい?」
匠の声は、まだ眠気を含んで低く掠れている。理仁は思わず手を止めたが、匠は理仁の手首を優しく掴んで、再び自分の髪に導いた。
「続けて」
そう言われて、理仁は恥ずかしくなりながらも、また匠の髪に指を通した。
匠は目を細めて、心地よさそうに身を委ねている。
「匠さんの髪、綺麗ですね」
理仁がぽつりと呟くと、匠は小さく笑った。
「君の髪の方が綺麗だよ」
そう言って、匠は理仁の髪に手を伸ばした。理仁の髪は柔らかく、匠の指が通るたびにふわりと揺れる。
「僕のは手入れもしてないし、そのままですよ。匠さんは色々やってそうですよね」
「まあ、少しはね」
匠は理仁の髪を撫でながら答えた。
「でも、君は何もしなくても綺麗だから、ずるいよ」
「そんなこと……」
理仁は顔を背けようとしたが、匠の手が理仁の頬を包んだ。匠の手は大きくて温かく、理仁の顔がすっぽりと収まる。
「本当だよ」
匠は真剣な目で理仁を見つめた。理仁は匠の目から視線を逸らせない。吸い込まれそうな深い色の瞳が、理仁だけを見つめている。
「匠さん……」
理仁が名前を呼ぶと、匠は理仁の額にキスをした。それから、鼻先に、頬に、顎に、と少しずつ移動していく。理仁の心臓が激しく鳴り始めた。
「理仁」
匠が理仁の名を呼んび、反射的に小さく返事をする。
匠の唇が、理仁の唇に触れた。
今朝のキスは、昨夜よりも深く、長い。
匠の舌が理仁の唇をなぞり、理仁は思わず口を開いた。匠の舌が理仁の口の中に入ってきて、理仁は身体が熱くなる。
理仁が匠の首に腕を回すと、匠は理仁を抱き寄せ、さらに深くキスをする。
理仁は息が苦しくなってきたが、匠から離れたくなかった。
やがてキスが終わると、理仁は息を切らしながら匠の胸に顔を埋めた。匠の心臓の音が聞こえる。それは理仁の心臓と同じくらい早く鳴っていた。
「匠さん……」
理仁の声は震えていた。匠は理仁の背中を撫でた。
「大丈夫かい?」
「はい……ただ、ちょっと……」
理仁は言葉に詰まった。何と言えばいいのかわからなかった。ただ、身体が熱くて、匠に触れていたくて、でもどうしていいのかわからない。
匠は理仁の様子を見て、優しく微笑んだ。
「焦らなくていい。ゆっくりでいいから」
匠の余裕がある姿に少しだけ嫉妬してしまう。まるで自分ばかりがドキドキしてしまっているようで。
理仁は少しだけむくれた顔で視線をそらした。
「ん? どうした?」
匠は理仁の気持ちに気づいているのかいないのか、変わらない態度で顔をのぞっ混んでくる。
「ずるい……」
理仁がそう言うと、匠は困ったような顔をした。
「何か、してしまった?」
何故そんな風に言われるのか、心底わかっていなそうな匠に、理仁は早口で告げた。
「匠さんは余裕があって、ずるい。俺は全然ないのに……」
理仁の言葉に、匠はくすりと笑って、すぐに頬に口づける。
「かわいいこというね」
「ほら、やっぱり余裕がある……!」
突然のチークキスに頬を染めた理仁が声を上げると、匠は理仁を抱き寄せた。
「俺だって必死だよ。君はまだ若いし、自由だし……」
ぽつりとつぶやいた言葉は、匠の本音だった。理仁がいつ自分の腕の中から飛び出して行ってしまうか、不安がある。
「匠さんだって若いじゃないですか」
「7つも年上だよ。なんなら来月には8つも」
匠は1月生まれだと理仁は聞いていた。けれど、理仁の誕生日は2月で、8つ違いになるのも1か月程度の事。
「そんなの誤差じゃないですか。それに、匠さんだって自由だ」
理仁のつぶやきに、匠は頷けなかった――
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