Ⅴ 好之
奏楽工房の個人練の帰り、映画館の前を通ると今夏一と評判のSFのポスターが目に留まった。その日の最終上映は既に始まっていて、隣のスクリーンで開場した知らない洋画のチケットを買ったのは気まぐれだった。都会の生活に疲れた男たちが広大な牧場を持つ孤独な老人と出会い、カウボーイになるあらすじで、取り立ててどんでん返しもなくエンドロールが流れた。けれど外に出ると、街のネオンや通り過ぎる人たちが急に色を失って無意味に思え、嫌気がさしてしまった。
その感覚は雑踏に溶けていったものの、後ろ髪を引かれ、いろんなビデオを借りてみることにした。家のテレビじゃ再現されないけど、アクションや邦画より手を出してこなかった海外のドラマものだとニアミスできるみたいだ。実存しても、紛れ込むのは叶わない字幕の並行世界。喚起される憧憬は、自分が死ぬまでの行動半径が目測できてくるほど輝きを増す。店の手伝いばかりでカレンダーの真っ白な夏休み、印象的な場面は色濃く刷り込まれ、夢に現れる。トモからの連絡に平静を保っていられたのは、映画との区別がつかなくなっていたせいもあると思う。
「ごめんヨッシー、朝っぱらから」
「橅ちゃんは?」
「起きない、寝てるかどうかも分からない。呼吸はあるんだけど」
「ワタルには」
「まだ。ヨッシーが一番、橅と近かったから」
「火曜、最後に会ったの。違う感じなかったよね」
茄子とトマトがあんなに実を付け、庭の手入れは橅ちゃんらしいけどナス科同士を混植してどんな栄養が土に回ってるんだろう。トモが遭遇した光の粒といい、宇宙人の一大事と聞いて前ならグロテスクな想像もしたろうが、今は橅ちゃんが心配だった。
「お兄ちゃんだ」
倒れたのが昨日の昼間。そこから離れず側についていたのか目が据わり、見るからに憔悴しているトモが狐につままれたように棒立ちになっている。プレハブの窓から、橅ちゃんがこちらに手を振っている。
トモがかすれた声を出す。
「起きて、大丈夫?」
「うん、喉カラカラ」
小走りで玄関に向かう姿に、トモが続く。
「お邪魔します」
冷蔵庫の前で立ったまま、イチゴオレを口にする。元の状態はどうあれ回復してそうだ。
「もう少し、横になってた方が」
「アルバイト休ませちゃったよね」
「それはいいけど」
「お兄ちゃん見て、ペットボトルのストロー、私ももらっちゃった」
「うん」
「希依ちゃんがヴォラーレ、また行きたいって」
「言ってたね」
「楽譜もらった?」
「楽譜?」
「難しめだけどお兄ちゃんなら吹けるって、期待してたよ」
「橅」
「なあに」
「昨日の光って」
「空気に含まれる成分とか、星によって違うじゃない。そういう身体への負荷がリセットされたんだと思う」
「無理してない?」
「ううん。凄かったんだよ、お兄ちゃん。花火のステージみたいにキラキラで」
「橅、嫌じゃなかったらでいいんだけど」
「何」
「ペンダント、どうなってる?」
「元気になったんだから良くない?」
二人の空気感、自分いない方が良かったかな。内弁慶とも違う、団で見せる天真爛漫さとトモへの野放図な振る舞いの落差。橅ちゃんが隠し事してそうってワタルからまた聞きしてたけど、トモじゃなくこっちの荷台に乗りたがるのといい、橅ちゃん、こんがらがってるんじゃ。
お手上げという顔をしたトモに、「卵と牛乳買ってくる」と外に連れ出される。
「ありがとう、来てくれて」
てらいなく礼を言うようになった。
「良かったね」
「お見苦しい所を」
「橅ちゃんと、何かあった?」
「俺さ」
「うん」
「言ったんだよね、橅の星に連れてって欲しいって」
「UFO乗るどころじゃ、本当に?」
「本気で」
「だからか」
「そんな、拒否反応で倒れたの?」
「じゃなくても、驚くでしょ」
高校進学を目前に控え、「これからは友達より恋愛優先するから、悪しからず」トモは言い出し、作ってからほざけとワタルは相手にしなかった。でもトモの顔は両方欲張る気満々だったし、進路の展望がないのは「明日何が起きてもいいように」という心づもりだったのかな。
リウスに行けるかは橅ちゃんの胸三寸だと、トモは思っている。食料は、言語は、大学は、仕事は、トモの障害にはならず、行動力とバイタリティーで酸素さえ解決してしまいそうだ。戻ってくる予定はミリもなく、家族や三人のことも東京で一人暮らしするのと同列なのだろう。
焦燥に駆られるかと思ったけど、そうでもない。SFならトモは不動の主人公で自分は名前も覚えられない端役だけど、別の役柄に自己投影せず済むのはピントの合わせ方で誰にも物語が生まれるのだと気付けたから。店を貸し切りにした日、特別にデザートの盛り付けとソースがけをさせてもらったら「可愛い、美味しい」と石津さんが喜んでくれて、働く意義みたいなものが、初めて身に染みた。
丹精込めた料理で、たくさんの人を幸せにしてあげられたら。リウスのグルメも押しかけるレストラン。どこに行けなくても、自分はここで生きていく。
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