Ⅰ 智

 ヨッシーとワタルに、橅を会わせることにした。

「友達を遊びに呼んだんだ。信用できるやつらだし、楽器持ってきてって頼んだから吹いてくれるよ」

 伝えた時は喜んでいたはずが、カーペットの染みを足の指でこすり、橅はむすっとしている。

 二人の顔にもどうしたものかと書かれているけど、聞いて驚け。用心のためプレハブの窓を閉め、用意していた台詞を口にする。向けられる畏敬の念には鷹揚な態度で応じてやるのがいいだろう。

「誰にも言うなよ。信じられないかもだけどこの子は橅、宇宙人なんだ。UFOで不時着して、今ここで暮らしてる」

 ところが説明の最中にワタルは半笑いになり、ヨッシーも冗談だよと種明かしされるのを待ってるみたいに唇の端をひくつかせている。

「ふーん。どうオレはボケればいい?」

「いやワタル、嘘じゃないって」

「どこで連れてきた小学生よ。暇だからって、犯罪だぞ」

 橅はまじろぎもせず、憎まれ口を叩くワタルに見とれてるようだ。こいつのルックス、宇宙規模で女子を虜にするつもりか。

「小学生じゃない。私、十七だし」

「あっそ。そんなにテレ助の頭よしよしされたいか」

「誰それ? それよりあんた、『帰りデルソルではちみつレモン買おう』って、智が演奏した後言ったでしょ」

「はい? いきなり何よ」

 三人共面食らい、視線を交差させながら口裏合わせてない、と俺も首を振りワタルに答える。『デルソル』は中学の時に回し読みしていたサーフィンのマンガに出てくる瀟洒なパン屋で、帰り道に買い食いしていたオンボロ駄菓子屋の本当の名前は『唐木商店』。店内で飲食できる以外に共通点はなく、揶揄して四人でそう呼んでいたのを完全に失念していた。

「オレがハマってたの、何で知ってんの?」

「他にもバラしてあげよっか、恥ずかしい秘密」

「いや、いいって、信じるから」


「堀好之くんと飯野航くん。中学の部活で一緒に吹奏楽やってたんだ」

 好之は通称ヨッシー。農業高校に通っていて、両親はイタリアンの店を営んでいる。入るつもりだった吹奏楽部がなくなってしまい、今は店を手伝いながら奏楽工房という市民吹奏楽団で活動している。

 花形のパートで飛び抜けた腕を持つ航はそのままワタル。容姿にも恵まれていて、女性人気がすこぶる高い。音大に進むべく有名なプロに弟子入りし、月に一度東京で稽古をつけてもらっている。

 むくれてプレハブを出て行こうとする橅をなだめ、ひとまずワタルに演奏してもらうことにした。俺も聴くのは久しぶりだ。

 Vネックのシャツに七分袖の上着を重ね、気心の知れた友達の家に来るのもワタルは服装に手を抜かない。楽器に息を通し、プレーヤーに伴奏のテープをかける。

「じゃ、いくよ」

 華やかに鳴り渡り始める、トランペットの黄金の音。防音でも反響して聴こえるのは金管だから、だけじゃない、音の粒一つひとつが際立っているからだ。潜在能力やモチベーションが比較にならないのは承知のうえだけど、俺みたいに一人で練習して、競い合う存在がそばにいなくてもこんなに吹けるとは。

 ワタルの演奏は自信に満ちている。尻込みしそうなパッセージを、ここぞとばかりにブレスコントロールし軽々とピストンを操って、音一個外しても決しておちゃらけない。

「プロは皆、自分が世界で一番だって思ってる」

 以前聞いたワタルの言葉。息をするのも忘れたみたいに聴き入っていた橅の表情が、見る見る明るくなっていく。

「ねえ、もっと聴きたい」

「どれでも吹いて欲しいやつ、言ってみ?」

 立ち上がって拍手する橅の反応に満足げに楽器を下ろし、持ってきた楽譜を手渡す。

「ヨッシーは持ってこなかったんだ」

 俺の問いかけに、薄手のパーカーをだぼっと羽織りソファーの隣で胡坐をかくヨッシーが言葉少なにはにかむ。

「いいよ、ワタルいれば」

 何だろう、これ。

 一緒にいれば無条件でほっとできる二人がプレハブにいて、その慣れた画が明るく、立体的に感じられるのは新しい色を橅が足してくれてるからだろうか。

 何も知らない橅が俺の方を向いて呑気に言う。

「今度、三人で演奏してよ」

「ちょっと」

 待ってましたとばかりにワタルがニヤリとし、ヨッシーが追従する。

「いいじゃん、バレてないと思った?」

「この前、グリス出しっ放しになってたよ」

「コソコソ吹いてんなよ、部活辞めたからって」

 どっちを向けばいいか、返事ができなかったけど、不快だとは思わなかった。


 ワタルに数曲演奏してもらい、家に移ってヨッシーが晩御飯に生姜焼きを作ってくれた。

「料理するのはいいけど、後片付けさえなきゃね」

「作りながら片付ければいいんだよ」

 俺の愚痴にヨッシーがお手本を示してくれて、包丁とボウルとまな板を食べ始める前に片手間で洗い終える。俺では焼き過ぎて肉が硬くなるけどヨッシーの生姜焼きは火の通り加減が絶妙で、シェフ以外ご飯をおかわりして炊飯器は空になった。

「皿とフォークある?」

 デザートにしまっていたケーキをヨッシーが冷蔵庫から取り出す。

「いい匂い、美味しそう」

 開けなくても分かるのか、橅が目ざとく白い箱に飛びつく。女の子は甘いもの好きって、歳とか星とか関係ないんだな。

「それがズッコットで隣がマリトッツォ、あとティラミス。店の残り物だけど」

「二個ずつ三種類、食べきれない」

「一人で食う気かよ、テレ助」

 結局、男が一つずつ食べ、「明日まで保つよ」というヨッシーの話に耳を貸さず、橅は全種類に手をつける暴挙に出た。

 食った食ったと自分の家みたいにくつろいで横になり、テレビの女優が煙草に火を付けるのを物欲しそうに眺めながらワタルが言う。

「承聖の定演行ってきたんだ。ドリーブのバレエ三つやってさ、どれも全国行けちゃう完成度だった。ロミも頑張ってたし。な、ヨッシー」

「うん」

 ワタルとヨッシーがこちらの反応を窺っている気がして、そっか、と返し目を伏せた。


 二人を見送りに、橅をおいて庭に出る。

 道の反対側、だだっ広い薩摩芋の畝から運ばれてくる、昼間の埃っぽさとは異質な匂い。濡れた土と腐った葉と、それを食むミミズやダンゴムシたちの濃密な生のさざめきが鼻腔をひくつかせ、スープのように口の中に広がっていく。黒いビニールの内側で暖められ、恵みの雫として形をなした夜の湿潤な空気は、東の空が白み始めれば音もなく蒸散してしまうのだろう。

 霧が立ちこめることはない平らなこの土地で、朝陽を浴びた無数の水滴が文化ホールの古めかしい緞帳の鈍さで天へ昇っていく。氷結した湖の真ん中に道が現れるように、年に一回でも目視できないものだろうか。

「じゃあ学校以外、トモとあいつは二人っきりか」

 道路にはみ出た土を高そうな革靴で畑に戻しながら、ワタルが言う。

「橅が寂しがるといけないしね」

「橅がねえ」

 にんまりするワタルに、何だよと肩にパンチをしてやり返す。黙ってやりとりを聞いていたヨッシーが真剣な顔で切り出す。

「宇宙人と生活するって、どう?」

「橅はさ、あんま人間と変わんないんだよね」

「もしもだよ、もし、何かあったらどうする?」

「むしろ何かあって、UFO乗せてくんないかな」

「それオレも」

 ワタルが手を上げ、三人で笑った。


「ロミって人も、ここに写ってる?」

 プレハブに戻るとクッションの上で膝小僧に顎を乗せ、橅が言った。

 二人でプレハブにいると橅はソファーでなく、カーペットに腰を下ろす。並んで腰掛けるのは落ち着かないかと譲ろうとしてもソファーと棚の間に収まってしまうので、自室のクッションを敷いたら橅の定位置になった。

 ダンボールに封印しそびれていた、支柱が折れかかったアクリルの写真立て。中学最後の県大会、文化ホールの前でポーズを取る四人。

「部活、やめちゃったんだね」

 サイダーの注がれたコップで炭酸がジュッと弾け、氷にちりんとひびが入る。二人でいるのには慣れたつもりだったけど、ワタルとヨッシーが帰った後では不自然に思えてくる。

 受験を意識しだした頃から、心に決めていた高校だった。

 生徒の裁量が大きく、部室が校舎から独立しているので時間を気にせず練習できる、との噂は学校非公認ではあったけど本当で、そういう場所に身を置くことができるのが大人の仲間入りを果たしたみたいに思えて舞い上がった。そして手にした自由をむさぼるように毎日遅くまで部室に篭り、楽器にかじりついた。

 反動は当然きて、よだれかけ代わりのハンカチを教科書に敷いて授業を怠ける癖がついた。帰宅しても二階に上がる前に居間で寝落ちし、朝も遅刻が増えていって、高校生活が破綻しつつあると認める頃には惰性で部室に居続けるのが止められなくなっていた。

 そうして成績が危険水域に達した三学期、中間考査のレーダーチャートを広げた担任に

「来年も一年生やるか」

 と忠告を受け、追試と直後の期末考査を綱渡りでパスした三月、退部した。

「そんなに練習しなくちゃいけなかったの?」

「コンクールのことしか、僕は考えてなかったから」

 靄のかかる疲れきった頭で辞めたいと申し出た時、自分の発した言葉だといった実感がまるでなく、吹奏楽から切り離されていく漠然とした疎外感だけが残った。有り余る時間を無為に埋める日々が始まったが底なしの井戸に放り込まれたようで、昼夜関係なく音楽が頭の中で鳴り止まず、クラリネットを取り出さずにいられなくなる。

「勉強に専念するため」

 部長や顧問に見得を切ったはずがろくに机に向かわないので成績は上がらず、いつまでも楽器に執着して未練がましいのは分かっていた。変わらなくてはと何度か決意を新たにしようとしたけれど、アメンボのように同じ所をうろついている。

 つまらなさそうに、橅は窓の外を見ていた。


 翌々日、電話が続けて鳴った。

 母からの国際電話は、学校を休んでいないか、生活費を使い込んでないかの取り調べだった。威勢のいい声はノイズ混じりの回線をものともせず、海外生活をちゃっかり堪能しているのが筒抜けだった。

「カードなくなるしまたね。あと、一人にさせてやってるんだから彼女でも作って連れ込んでみなさいよ」

 相変わらず保護者とは思えない挑発を残し慌しく通話は終わったが、彼女どころか宇宙人だけどね、と勝ち誇りたくなるのを喉まで出かかって、爪先立ちで堪える。そして橅のことをどう説明すべきか、先延ばしにしたかった難題を目の前に突きつけられ、黒板を爪で引っ掛かれるような煩わしさを覚えた。

 奔放な母といっても、正体を伏せたまま家に置いてはもらえないだろうか。

「三食腹に入って寝所があるなら万歳だ」

 が口癖の父を説得するのは輪をかけて骨が折れそうだ。ワタルとヨッシーさえ橅を理解してくれてればいいのに、どうしてそれでは不足なんだろう。

 二本目はヨッシーだった。お礼を伝え受話器を置くと、

「洗顔フォーム、買ったよね」

 歯ブラシを咥えた橅が洗面所から首を出す。

「ヨッシーの演奏聴きたい? しかもフルバンド」

「え、それってコンサート?」


 橅をヨッシーの従妹に仕立て、奏楽工房の全体練習を見学させてもらえないか。

 ワタルが吹いてくれたようにもっと地球の生の音楽を聴かせてあげたい、喜んで欲しいという気持ちと、自分のクラリネットには早い所見切りをつけて欲しいのもあった。後者を伏せヨッシーに掛け合うと団長に通してくれて、

『責任を持って送り迎えする・練習の妨げにならないよう気を付ける』

 の二つを条件に許可が下りた。

 露見する確率は低いといっても嘘を強いることになるし、演技として楽しんでしまうよりヨッシーにはストレスになりかねないのが分かっていた。

 無理そうだったらいいからさ。努めて軽い調子で聞いてみたものの、これほど早く承諾にこぎつけてくれるとは正直思わなかった。

 練習場所である産業会館の前で、うんざりした顔の橅に念を押す。

「打合せ通りに、ね」

「くどいな。だったら智も来ればいいでしょ」

 市外の小学校に通う五年生で、両親の職業は経営コンサルタントだけどよくは知らない。好きな授業は音楽で学校に金管バンドはなく、家はマンションでピアノは置けない。好きな給食は揚げパン、きょうだいはなし。細かい質問には答えず困ったらもじもじしちゃうこと。スーパーのレジのおばさんや図書館の司書のおじさんとは人との関わり方が違う。見た目相応に橅が対処できるか、気がかりだった。

「本当にトモはいいの?」

「終わる頃迎えに来る。恩に着るよ」

 いいけど、と言いかけたヨッシーの背後から、ヒールの高い足音が近付いて来る。

「堀くんおはよう」

 地面に擦れそうな丈のワンピースの女性がにこやかに手を振り、建物に入って行く。その後姿を見るともせず見ようとするヨッシーの周りの空気が時間の流れを緩慢にしたがっているようで、自分には憑依してくれなかった真珠の光がフラッシュバックした。

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