第6話 30兆円を動かさないと世界が止まる? そんな責任いらんわ!


 顔は見えない。だけど今なら普段の無表情を崩した甘いクロエを見られる気がする。

 だけど見なかった。このままでいたかったから。


「では、そろそろ受け取りにいきましょうか、現金を」


 きっと、今のクロエは酷く悪い顔をしているだろう。


   ◆


 俺らが通されたのは、造幣局の会議室だった。


 日本中のテレビ局のカメラが見守る中、次々台車に乗ったアタッシュケースが運び込まれていく。


 長テーブルをいくつも並べた台の上に札束が積まれていく。

 高さ一メートルの札束が横に、16メートル、奥行きが7・5メートル。

 丁度一万円札一万枚の束を縦横にに100枚ずつ並べた状態だ。


 隣には、複雑な顔の日銀総裁が立っている。


「黒瀬様、こちらが若返りポーションの売り上げです」


 細身の上に乗った面長から、黒ぶちメガネがずるっと傾く。


「ご苦労様、て言いたいけど、ここにあるのは一兆円分だよな? 残りの29兆円は?」

「そのことなのですが……」


 額の汗を拭いながら、日銀総裁は硬い笑みを浮かべた。


「黒瀬様には日本政府、日銀職員一同大変感謝しております。米国金利引き上げによる円安で日本人資産の二割が失われたと言われておりました」


 総裁は姿勢と声音を質した。


「しかし現在、外国投資家と政府が日本円を求め、外貨と海外資産を日本円と交換する流れが起きています。今、世界中の財産が日本に集まっており、日本政府の外貨準備高は過去最高です」


「だろうね。おかげで円の価値は高騰。日本の相対的な資産はかつての倍。米ドル換算でGDPも二倍以上だ」


 景気のいい話に、けれど総裁は苦し気な顔をした。


「はい。需要に応えるべく、現在造幣局の輪転機をフル稼働させております。ですが黒瀬様の30兆円を現金で用意して欲しいという要求は難しく。、残りは国庫で預かり、帳簿上の扱いとさせて頂けないでしょうか?」


 カメラの前で腰を低く、頭を軽く下げた。

 日銀総裁が一庶民にこの態度。

 どうやら政府内での俺の評価はかなりのものらしい。


「まぁ、輪転機回すのも大変だよな」


 俺は快く指でOKサインを作った。


「じゃあそれで。俺も銀行関係面倒くさいから自分で保管しようと思っただけだし。国庫で預かってくれるならそれでいいよ」


「助かります!」


 目をつぶり、総裁は心底ほっとした息を吐いた。

 今回、ポーションの取引は日銀が仲介している。


 帳簿上あるはずのお金を引き出せないという、銀行最大の恥を晒さず済んだことで肩の荷が下りたのだろう。


「では、これは貰っていきますね。クロエ」

「はい」


 俺の命を受けて、クロエが札束の山に近づいた。

 手の平大の青いポリゴンを展開すると、テーブルの上がフッと空っぽになった。

 消える瞬間は、カメラでも捉えられなかっただろう。


「黒瀬さん! 今のがいわゆるアイテムボックススキルですか!?」

「異世界はどんなところなんですか!?」

「ラノベのように経験値やレベルのあるゲームみたいな世界なんですか!?」

「わが社で特番を組みたいので是非!」


 殺到するマスコミ対応が鬱陶しい。


 ――貴族たちからのビジネスラブコールを思い出すなぁ……。

 ――モテモテですね。

 ――興味のない人間からの好意ほど気持ち悪いものはないんだぜ。


 あまりにも煩わしい。断る所作すら面倒だ。

 いっそ短距離ワープスキルで逃げようかと思った矢先、頭の中で豆電球が光った。


「それがゲームするのに忙しくて皆さんのインタビューに答えている暇ないんですよねぇ」


 ――黒瀬様、まさかとは思いますが……。


「ゲーム? それはなんですか!?」


 歯を見せて笑った。


「それはもちろん! ゲームステーション5のローンチタイトル、万夫不当4ですよ!」


 この一言で万夫不当はわずか一日で100万ダウンロードを記録。

 続編は秒で決まった。


   ◆


「まったく、本当にエロとゲームには頭が回りますねぇ」


 家に帰って早々、クロエは冷たいジト目を浴びせてきた。


「もっと褒めるがいい」

「おっぱい星人、ドスケベ魔王、夜の暴れん坊将軍、下半身の特異点」

「ッッ、お前マジで高性能だよな」

「前かがみにならないでください」ジトッ

「セクシーポーズを取らないでください」キリッ


 クロエは右手でたくし上げたスカートから手を離し、爆乳を持ち上げる左腕を下ろした。


 無表情は据え置きだ。


「それで黒瀬様。この30兆円はどうするのですか?」


 天井近くに青いポリゴンを展開すると、そこからナイアガラ瀑布のような憩いで札束がなだれ込んできた。


 我が家のリビングは、またたくまに札束で埋め尽くされて、前が見えない。

 札束の風呂よろしく、首から下が一万円札に沈んだ。


「どういうことだ?」

「経済とはお金と物の動き。この資金を動かさなけば世界経済が停滞します。30兆円分もの経済活動損失は世界の混乱を招きます」


 札束のプールから抜いた彼女の右手に握られた、国庫記録。そこには29,000,000,000の数字が書かれている。


 その数字を前に【責任】の二文字が頭にのしかかる。


 ――しかもこれ、まだ増えるんだよな。


 当然だが、若返りポーションの注文は、今でも殺到中だ。

 推しゲームのために軽い気持ちで始めたことが、まさか世界経済を行く末を決めるカギになるとは。


「俺ってつくづく世界の運命を担う宿命にあるんだな……」

「今回は自業自得では?」

「ふむ……」


 首を回して視線をぐるりと一周。


「どうしたもんかな」


 視界で溢れ返る万札に、重たい溜息を吐き出した。

「ご安心を。わたくしがサポートいたします」

 いつもの無表情にひとしずくの微笑みが浮かんだ。



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