第一章 水の辛苦
1
彼は言った――彼女かもしれないが。
「魔物が蔓延るようになった頃、神が人を試すであろう。力を授け、溺れるか、導けるかを見るであろう。超自然的な現象を
顔を出さなかった者の言葉だ。
パンドラの箱を開け、魔物が世に広められた
それらから人を護るべく、か。いつしか超常現象を引き起こす能力を手に入れた者が現れ始めた。
それらの人間をまとめ、護り、護らせることで地位を確保し、市民への大義名分を立たせる
日本で、神話や伝説の魔物、聞いたこともない化け物などの姿が見られるようになって、もう、どれだけの時が過ぎただろうか。
二か月。
悠汰は、ふう、と溜め息を
鐘の
自分のクラスが二階にあるので、一階だけ下へ。
床を
「よお」
突然、横から声を掛けられた。
悠汰は、階段から下りてすぐの一階の廊下を右に進もうとしてすぐ前の位置に、見慣れた顔を発見した。そして顔中に溜め息を詰まらせたような顔をして――
「何? 先に給食所に行きたいんだけど」
「おう、ええよ。一緒に行こうや」
相手はそう言うと、気安く肩を組み、明るく接する。静かな雰囲気を好む悠汰にとって、リズムを崩す彼はほんの少し不愉快でもあり、頼もしくもあった。そもそも話し相手は彼だけだった。彼を大きく認めている。
給食所に着いて。手前左側のレール上にある、最も入口に近い所にある白いトレイを取って、すでに並んでいる行列の最後尾に足を進めた。
同じ動作をして後に続いてくる彼が、そうしながら口を開いた。
「お前さ、後ででええから、『
「なんで?」
「や、見たいやん。見たないんか?」
守護体というのは力の源のこと。これが体内に宿っている者が力の発動者となり得るのだが、その正体は善良な魔物が多かった。表現すればそういうことになってしまうのだが、そもそも魔物と言っていることが間違いなのかもしれない。同じ物から飛び出してきたにせよ、それを訂正したり、その言葉自体の意味の改正をしたりしないのは、人間の恐怖心からだった。余りに利己的な恐怖だった。
「別に他人のを見ようとは思わないけど」
言い返す時、悠汰は、いつも相手の目を見詰め続けることをしなかった。十分に見たと思えばすぐに逸らす。自分の手元に集中している。
「え~。じゃあ……『
まだ言うか、と悠汰は思った。
(別に見せたくないわけでもないんだけど……今は食べるのに集中したいし、後から
魂玉は、能力を使う為に造る球状の物体のことだ。運動で使用する道具にあたる。球技の為のボールや、バトンやリボンのような。そういったモノを造ることで、それを操り、力を発揮し、皆の生活を護るのが彼らの役目だった。
「――まあ、別にいいよ。後でね、後で」
トレイに完全に、この昼の食事をすべて載せ終わってから、彼の方を向いてはっきりと伝えた。
「おう、この後な」
案内する積もりではなく、結果的にそうなっただけだが――空いている席に彼を連れていきながら、悠汰は座った。
そこからの外の景色は格別だった。
山奥。窓辺。
そういった場所なだけあって、この景色の夏は緑に生い茂り、青々としていて、秋は紅葉が目の前に舞い、赤々としていてくれるのだ。悠汰はその頃を待ち遠しく思っていた。
「よ……っと」
さっきから悠汰と話している男が椅子を引いた。右手でだ。左手では同じく食事の載ったトレイを、そんなに音もなく机に置きながら、
「ここの授業形式って辛いよなー」
と。そして腰を落ち着かせた。
彼の言う授業形式とは、『力』、『数』、『物理』、『戦術』、『農耕術』、『社会』、『化学』、『自然』の八教科と、『体育』、『保健』、芸術の内の『音楽』『美術』のどちらかとで計十二教科だった。それを一クラス約五十名で受ける。特に、力と戦術の授業は今までどこにもなかった
「確かに。何とかやっていくだけで精一杯だよ」
と悠汰が同意をすると、彼が、
「でさ――」
と。肉の一切れを一口頬張ってからも。
「――お前の『
「んー……してない」
口の中が空になってからそう言うと、また彼が。
「どんくらいなん?」
最初に彼と会った時にも
その問いの後に、悠汰は少なからずの
「……十万九千、十八
と、小さく
「な、なんやてぇ!」
「静かにしてよ。でも、事実なんだよ」
それは神の領域だった。神が存在するとしてではあるが、そう想像させるほどだったのだ。
「お、俺は七千二百二十威やぞ? 幾らなんでも……何やぁ、一線超えてしもうとるがなそれ」
『
食事を終えた。食事も昼休みの中で済ませなければならず、残りは四十分ほど。
校舎裏の休憩所のひとつ、広場に来ていた。
黒髪の少年――悠汰は、一本だけ大きく立っている木に背を預け、少しだけ丘になったその場のふもとにいる関西弁の少年を、仕方なく見下ろしていた。
「じゃあ――目を逸らすなよ」
「わかっとるがな。こっちから頼んどるんやけんな、そらぁ」
彼の声を聞いてから、悠汰は、そこから見える二階の窓を見上げた。そこにいる者からも見られるかもしれない。
守護体を見せ合っている者は、いなくはない。とはいえ悠汰にとって、しょうがないという気持ちが大きかった。
(手早く)
深く息を
そんな悠汰に、誰かが、
「何やってんだ? んん?」
絡んだ。それは三人衆のひとりで、
「さっきの、聞いてたぞ。あり得ねえだろあんな値」
「十万威? だったらそんなに能力も強いのか? ああ?」
と、残りのふたりも。
確かに、能力は、魂素量の多さに比例するとは限らない。だがそれだけ持続力があるということに他ならない。しかし、悠汰の自信はそこから来るものではなかった。
「うるさい」
と、そこに現れたのは――
青い龍。
全長で六メートルはありそうな、そんな、細長いといよりは太長い
『なんぞ――用があるのか、小僧ら』
絡んで来た三人衆は、明らかに動揺を隠せないでいた。
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