第5話 俺のミートソース

 腹が減った。

 今日は火曜日。時刻は十七時五十分。

 部活帰りのジャージのまま台所に立った瞬間、腹が「今だろ」って主張してきた。


「……パスタ食いてぇ……」


 気分は完全にパスタ。

 しかも今日は簡単なやつ。ソースは市販。文明の力を借りる。

 棚を開けると、乾麺のスパゲッティ。よし。


「茹でて和えれば終わり。よし開始」


 鍋に水。塩。……を入れることは知ってる。

 塩ってどれくらい? 分からないけど、海にはしたくない。

 指でつまんで、さらさらっと入れた。たぶん『ほどよい』。


 火をつける。

 カチッ。ボォ。


「沸け……俺の腹のために……」


 やがて鍋がぐらぐらしてきて、湯気が顔に当たる。

 パスタを掴んで入れようとして――止まった。


「……入るのか? この長さ」


 とりあえず突っ込む。

 半分は湯の外。

 箸で押す。じわじわ沈む。なんか抵抗してくる。


「折る? 折ったら負け? いや、勝ち負けとかじゃない……でも折りたくない」


 謎の意地で、箸で押し込み続けた。

 パスタはしぶしぶ屈して、全部湯の中に消えた。


「よし。俺の勝ち」


 問題は茹で時間だ。袋を見る。

『ゆで時間 सात मिनट』みたいな知らない文字が目に入って、一瞬脳が固まる。


「……え? 海外?」


 よく見ると別のところに『7分』って書いてあった。

 危なかった。俺の腹が異文化交流で終わるところだった。


「七分な。了解。俺に任せろ」


 スマホでタイマーを――セットしたつもりで、画面を閉じた。

 つもりだっただけで、押せてない。


「ミートソースは……深い器に入れればレンチンでいいのか」


 袋をちゃんと読む。

 深い器。

 俺専用のどんぶり鉢しか思い浮かばない。


「これでいいか」


 市販のミートソースをどんぶり鉢に入れる。

 どんぶりのサイズに対してソースが少ない気がする。

 まあ、パスタ入れるし大丈夫か。


 そんな逡巡を経て温める。

 もう勝った。勝ち確。


 ――そのはずだった。


 そろそろ鳴ってもいいはずのタイマーが鳴らない。

 レンジから取り出したソースが、もう冷め始めている。


 鍋を見る。

 あれ? 泡が、弱い。

 パスタを箸で持ち上げると、やけに柔らかい。細いのに、重い。


「……え、何分経った?」


 時計を見る。

 十八時二十分。


「……七分どころじゃない!? 俺、三十分茹でてない!?」


 慌てて火を止めてザルにあける。

 湯気が上がる。

 いつものザルに入れた瞬間、量が明らかに収まってない。


「……入らねぇ!」


 慌てて我が家最大のザルを取り出した。


「終わった……俺のパスタ人生終わった……」


 ソースは冷め始めている。

 肝心の麺は、ふにゃふにゃの大量の何か。


「……いや。食える。ソースは市販だ。文明がなんとかする」


 麺をフライパンに入れて、ミートソースと和える。

 混ぜると、麺がちぎれそうに揺れる。

 冷蔵庫にあった粉チーズを少し振って、勢いで卵も落としてみた。何となく。


 卵は一瞬で白く固まり、ソースに絡んでいった。


「これで……コクが出る。はず」


 皿に盛る。

 見た目は、まあまあ。匂いは完全にうまい。

 一口。


「……うん。食える」


 食感は完全に『やわらかい』。

 でもミートソースは強い。チーズも強い。卵もなんかいい仕事してる。

 俺は黙って食べ進めた。

 味はうまい。悔しいけど。


「次は……タイマーを信じるんじゃなくて……押す」


 完食したころ、玄関が開いた。


「ただいまー。……あれ、ミートソースの匂いする」

「パスタ作った」

「へぇ。珍しいじゃない。で、なんでこんな大きいザルが出てるの?」


 おふくろはシンクを覗いて、眉を上げた。


「……まさか、のびた?」

「……ちょっと」

「ちょっとじゃないでしょ、その顔」


 淡々と突っ込まれながら、おふくろは冷蔵庫からベーコンとほうれん草を出した。

 フライパンがもう一つ出てくる。音が違う。動きが違う。台所が急に落ち着く。


「晩ご飯、カルボナーラにしようと思ってたのよ。市販のソースあるし」

「……俺も市販」

「市販でも、茹で方は市販じゃないの」


 おふくろが鍋に水を張る。塩を入れる。

 タイマーをピッと押す。

 その一連の動きが、あまりにも自然で、俺は変な笑いが出そうになった。


「……毎日これやってんの、すごくない?」

「すごいとかじゃなくて、生活」

「俺の生活、腹減るだけなんだけど」

「そこは誇っていい」


 出てきたカルボナーラは、麺がちゃんと張っていて、ソースが絡んで、湯気が艶を作っていた。

 一口で分かる。さっきの俺のは『食える』で、これは『うまい』だ。


「……うま」

「でしょ」

「俺のミートソースも、味だけは勝ってた」

「食べきったなら合格。次は七分さえ守ったらもっとおいしいわよ」


 腹が満たされて、肩の力が抜ける。

 鍋の湯気と、フライパンの音と、台所のあったかさ。

 毎日当たり前みたいに出てくる飯って、実は毎回、奇跡なんだと思った。


 ――俺は今日も、うまい飯に感謝した。

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