しまなみブルー外伝 ―尾道女子ライダーズー

TAKA☆

第0話 『プロローグ|新鍛冶屋ライン』

■ 新鍛冶屋ラインにて、彼女は何を見たのか


 夜の山は、黒かった。

 ガードレールの向こうは谷で、街灯は一本もない。ライトと反射板がなければ、ここが道なのか崖なのかも分からなくなる。


 新鍛冶屋ラインのスタート地点。

 私は、結さんの隣で息を止めていた。沙月も美海も、同じ顔でモニターを見つめている。


 スタートラインに並ぶ二台。

 志保お姉さんのXSR–WW《風の魔女》。

 そして、真紅のカウルを持つ大型バイク。


 志保お姉さんは、ヘルメットのシールドを下ろして軽く首を回した。

 小柄な背中なのに、そこだけ空気が張り詰めて見える。


 赤いバイクのライダーは、伏せた姿勢のまま、グローブの指先を動かしていた。

 余裕のある仕草。完成された走り手の雰囲気。


 少し後ろには、春樹さんのYZF-R1。

 頭上ではドローンの羽音が、薄く風を切っている。


 結さんは胸の前で手を強く握っていた。

 凛さんは唇を噛み、悠真さんはタブレットを握る指に力を込めている。

 彩花さんも琴音さんも、冗談を言う余裕はない。


 春樹さんが片手を上げた。


 エンジン回転が跳ね上がる。

 単気筒の鋭い音と、低く太い唸りが重なった。


 「――GO!!」


 二本のヘッドライトが、闇を切り裂いた。


 タイヤがアスファルトを掻く音。

 短く浮き上がるフロント。


 志保お姉さんが、一瞬だけ前に出る。

 でも、すぐ横に赤い影が並んだ。


 ――並ばれた?


 最初の右コーナー。

 二台は譲らず、光の帯みたいに重なったまま闇へ消えていく。


 結さんが震える声で言った。

 「……速すぎる……」


 凛さんも続く。

 「普通のスピードじゃない……完全にレースのペース……」


 私は、うなずくしかなかった。

 怖い。でも、目を逸らせない。


 (……でも、あれが志保お姉さんなんだ)


 そう思った瞬間、胸が少し痛んだ。



 標高が落ちる。

 闇が、さらに濃くなる。


 谷底から湿った風が吹き上がり、ヘルメットを叩く。

 反射板がなければ、前後の位置関係さえ掴めなくなりそうだ。


 それでも、二本の光は走り続ける。


 モニター越しでも分かる。

 志保お姉さんのバイクは、異様なほど安定していた。


 (……路面を、先に知ってるみたい)


 一方で、赤いバイクの走りにも迷いはない。

 重たいはずの車体を、軽いものみたいに切り返し、ブラインドコーナーの奥まで踏み込んでくる。


 次の区間。

 赤い影が、イン側を完全に塞いだ。


 普通なら、もう詰み。


 その瞬間。


 志保お姉さんのバイクが、外へ跳ねた。


 「……え?」


 舗装とコンクリの境目。

 わずかな段差。


 バイクが――斜めに立つ。


 壁を、走っている。


 一瞬。

 でも、確かに見えた。


 周りが一斉に叫ぶ。

 誰も、何を見たのか説明できていない。


 私も同じだった。

 背中が、ぞっと冷える。


 そして志保お姉さんは、そのまま赤い影の外側に並んだ。


 次の瞬間。

 赤いバイクが、速度を落とした。


 結さんが声を上げる。

 「……前、譲った……?」


 追われる側になった途端、

 志保お姉さんの走りが変わった。


 ラインも、スロットルも、全部。


 (……まだ、上がるの?)


 怖いのに、目が離れない。



 最終区間。

 谷は奈落みたいに暗く、ガードレールは途切れ途切れだ。


 赤い影が前に出る。

 インを削り、逃げ場を消す。


 でも、志保お姉さんは外へ行った。

 さらに外へ。


 そして――


 また、壁。


 さっきより長い。

 転ぶはずの場所で、転ばない。


 その一瞬で、

 志保お姉さんは前に出ていた。


 ギャラリーが悲鳴を上げる。


 私は、震えながら笑っていた。

 涙が、勝手に落ちる。


 「……すごい……」


 それしか言えなかった。



 最後の白線。

 二本の光が、ほぼ同時に通過する。


 一拍。


 春樹さんの声が、抑えた調子で響いた。

 「……勝った」


 次の瞬間、歓声。


 結さんが息を吐き、凛さんが目を伏せる。

 私は、その場から動けなかった。


 怖かった。

 凄かった。

 分からなかった。


 ただ一つだけ、確かなことがある。


 ――私は、この夜を見てしまった。


 だからきっと、この話は、ここより少し前から始めないといけない。


 まだ何も知らなかった頃の私たちから。


 To be Continued...

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