第35話 ベックス・ムリーヨのプロローグ③


「となると、レイシャール様」

「ああ、危なかった」

「とうさま」

「ベックス、回復魔術を使って傷を治してくれ。魔術でなければならない」


 少し安心しているように見える父様は頼んできた。

 僕は、まだ死にゲー世界にならない場所でいるのか?


「わかった。ナイフを抜いて」

「ああ、いくよ」

「うん」


 父様は躊躇なくナイフを抜いた。

 激しい痛みが走り、ジャケットを嚙みながら我慢する。


「ッ! 『治すちから、切られたふくらはぎを、傷なきようにいやせ』」


 第3階梯の魔術を使うと、ファスナーを閉めるようにジワジワと傷が塞がり始めた。

 傷が少し深いだけあって、指先を切った時とは大違いだ。

 痛みも少しずつ引き始め、傷が塞がる頃にはなくなっていた。


「はぁ」

「ああ……ああ! よかった、ベックス!」

「父様、青いのは何だったの?」

「少し、待ってくれるか?」

「? うん」


 疲れたように息を吐き、父様はアルバロと話し始めた。

 椅子に座り込んで、頭を押さえて深刻そうだ。

 僕の足は動くから死にゲー世界になる状況を回避したとは思うが、父様はどうして深刻そうなんだろう。


「ベックス様、ごめんなさい」

「え? どうしたのダニエラ?」


 ベッドの傍に来ていたダニエラは、顔を伏せている。

 へたり込んでいるから、まだ腰抜かしているみたいだ。


「わたし、怖くて魔力が上手く使えなくて」

「うん。ダニエラはメイドだから、戦えないのは普通だよ」

「はい」

「でも、身を守れるようになるのは悪いことじゃないから、帰ったら練習しよう」

「はい」


 浮かない顔をしているけど、僕が魔術を使えなくてダニエラに助けを求める未来があったかもしれない。

 僕の場合は命の危険で魔術を使えるようになったから、恐怖でも魔術が使えたのかもな。


 パニックになりそうだったけど、状況の判断は出来たし、相手の分析も出来た。

 どこかにある冷静な部分が僕を死なせなかったんだろう。


 それはたぶん、今まで死なないように、怪我しないように、訓練を続けた僕の自信という気はした。

 一先ず、僕は死にゲー世界になるのを阻止したわけか。


「ベックス」

「とう様?」


 真剣というよりも覚悟を決めた顔をした父様。

 傍のアルバロも同じような顔だ。


「ペドロ、扉の外で待機しなさい。誰も入れないように」

「はい」


 珍しく執事のアルバロが騎士のペドロに指示を出した。

 ペドロは扉から出て行くと、廊下の騒々しさが聞こえてくる。

 扉が閉まると音が消えて、部屋に静けさが戻ってきた。


「ベックス」

「うん」

「苦しいことを頼むんだけど、どうか受け入れて欲しい」

「うん」

「……ああ、で、頼みなんだけどな」

「うん」

「どのくらいの期間になるか分からないけど、足を怪我したフリしてほしいんだ」

「言いづらいようなことなの、それは?」


 ただ分からなくて聞いたんだが、父様は珍しく手で目元を押さえた。

 少しして嗚咽が聞こえて、僕は一体どういう状況になるのだろうと不安になる。


「あ、ああ。辺境伯家において怪我をしているのは、家を継ぐことができないとみなされるんだ。他の貴族たちから嫌な事も言われるだろう」

「なんだ。そんなこと」

「え? 坊ちゃん?」

「ベックス?」


 アルバロと父様が唖然とした顔で見てくるけど、僕としては嬉しい提案でしかない。

 辺境伯家の当主になって、父様と似たようなことをするのは苦しそうだ。


 だからといって平民の生活が出来るかと言われれば、無理だろう。

 貴族ながら貴族らしいのは生活だけ、それは今まで無理だった。

 でも、辺境伯家を継がないのであれば、できそうだ。


「僕は父様みたいな仕事をしたいとは思わなかったから、ちょうどいいよ。貴族らしい生活ができるなら、もっといい」

「ベックス、そんな風に思ってたのか?」

「うん。仕方ないなら継いだけど、そうじゃないなら継がないよ」

「ぬふふふふふ。親子ですね」

「確かに、過去の私のようだな」

「押し付けられたんだっけ」


 答えると、アルバロが体を震わせて笑い始めた。

 先ほどまでの深刻そうな雰囲気はもうない。

 父様も少し気が楽になったのか、僕の隣に腰を下ろした。


「そうだ。まあ、ベックスの本音が知れたのは良かったよ」

「でも、どうしてフリをする必要があるの」

「あ、ああ。今から説明するよ」


 父様の説明は、まとめると襲撃が少しだけでも成功したように見せて、敵を欺こうというものだった。

 公爵様の屋敷に侵入することやナイフの青い液体、退出した僕を狙ったことから、貴族に近い者の仕業としか思えないかららしい。

 参加者の可能性もあると。


「あの青い液体はなんだったの?」

「あれは西の大陸にいる寄生虫の体液だ。毒としても知られていてね、解毒薬は向こうの植物らしいけど、あまり手に入らないんだ」

「今、毒が僕の体にあるの?」

「毒といっても、体に対する毒になるには条件があるんだ」

「毒になる条件?」

「ああ。回復薬を使うと青い液体が変化して、一生、体を蝕む毒になるんだ」

「一生? そうなんだ」


 ゲーム世界のベックスは回復薬を掛けて、足を蝕まれたのか。

 いや、体を蝕まれたんだ!

 そうだ!


 ベックス・ムリーヨと戦闘するステージは王都の地下。

 大量の死体がある場所で、どうやら死体はベックス・ムリーヨの体を癒すために使用したという話だった。

 そう、癒すだけで治すじゃない。

 夢でもルイサやダニエラに魔術を使っていたのは、この毒に体を蝕まれていたからだろう。


 どうして今は回復薬を使わなかったのか、父様が気付いたからだが、ゲーム世界で父様は近くにいなかったんだろうな。

 もしくは、助けを呼べずに攻撃を受けて、ダニエラが回復薬を持ってきたのかも。


 それを使って僕の体が蝕まれたのなら、夢で見たげっそりしたダニエラは責任を感じて、ああなっていたのか?

 蝕まれたままでいたのは、解毒薬が手に入らなかったからかな?


「これから回復薬を使えないの?」

「すぐには無理だけど、ひと月もしない内に使えるよ」

「それならよかった」


 ゲームじゃないのに回復薬を制限されたら笑えない。

 現実では手段が多い方が良いに決まってる。


「公爵様の騎士たちが襲撃者を追っているだろうけど、捕まえられないと思う」

「うん」

「父さんも襲撃した奴らのことを調べるけど、相手はどんな奴だったか分かるか?」

「黒いローブの3人で1人は男だった。全員が右手に片手剣を持ってて、イニゴの店で見た物より、質は低かった」

「他には?」

「3人とも父様より背は低かったし、僕を狙ってたみたいだけど、すぐに殺さなかった」

「ベックスを狙ったのか?」

「そう言ってたよ。さっさと殺せばこんなことにならなかったのにね」


 疲労で回らない頭がテキトーに言葉を吐き出す。

 でも、実際に容赦なく攻撃していれば、僕はどうしようもなく死んでいただろう。


「怖いことを言うな。ただ、聞いたところ、仕事として殺しをあまりやってないのかもな」

「だよね」

「防御魔術を使っていたけど、体は問題ないか?」

「うん。そうだ、指示を出していた男よりも控えていたふたりの方が強かった。そのうち1人にナイフを投げられたんだ」

「となると本当に貴族の関係者かもしれない。部分的に襲撃を成功させたと思わせるのは、必要だな」


 父様は疲れ切ったように目を閉じて、髪をかき上げた。

 僕も疲れたよ父様。


「ベックス、これからの事は屋敷に帰ってから母さん含めて一緒に考えよう」

「うん」

「悪いけど怪我しているフリを頼むよ」

「うん」

「ダニエラはこの話を他言せず、ベックスの世話を頼む」

「はい」

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