ローリエさん

森湖春

第1話

 今年いちばんの雪が降った朝だった。

 しんとした空気の中、庭のローリエが風に揺れて、小さくかさりと音を立てる。

 冬の濃い気配が、静かに積もっていく。


 ――そろそろ来るかもしれない。

 そんな予感が、ふっと心をくすぐった。

 冬が始まると決まって訪れる、あの人のことを思い出す。


 チャイムが鳴った瞬間、思わず息をむ。

 まるで待ち構えていたみたいで、自分で自分がおかしくなる。


 玄関を開けると、淡い色のコートをまとった人が立っていた。

 マフラーに顔のほとんどが隠れていて、表情は読み取れない。

 でも、目だけがふわりとやさしくて、思わず口元がゆるむ。


「こんにちは。今年も……ローリエを少し、わけてもらえますか」


「あ、はい。大丈夫ですよ。今年も元気に育ってます」


 返事をしたら、相手の目がほんの少し緩んだ。

 そのわずかな変化が愛おしくて、心の中に小さなあかりがともる。


「助かります。ここのローリエ、香りがすごく好きなんです」


「そうなんですか? なんだか嬉しいです」


「ここの葉で作るスープは、冬の定番なんですよ。普段はそんなに料理しないんですけど」


「しないんですか?」


「ええ。冬になると、あたたかいものを作りたくなるんでしょうね、自分でも不思議です」


 そんなふうに穏やかに話す声が、雪よりも静かに胸にしみる。

 ふたりで庭へ向かいながら、相手は冷たい空気を吸うたび、く息を白く揺らした。


「今年は、思ったより冷えますね」


「ですね。ローリエは平気そうですけど」


「強いんですね。少し見習いたいくらいです」


 軽い笑いがこぼれて、思わずこちらまで笑ってしまった。


 木のそばまで来ると、相手は手袋越しに葉をそっとでる。

 まるで大切な友達に触れるみたいな、やさしい手つき。


「香り、今年は特に強いですね。わかりますか?」


「うん……たしかに。ちょっと擦っただけで、すごくいいにおい」


「これでスープを煮込むと、部屋いっぱいに香りが広がるんです」


「へぇ……素敵すてきですね」


「……あ、少しいただきますね」


 相手は何枚かの葉を折り取り、手のひらにそっと収めた。

 その仕草しぐさがきれいで、つい目で追ってしまう。


「これくらいで十分です。取りすぎるのはもったいないですから」


 もっとたくさん持っていっていいのに――そう言えなかった。

 また来てほしい、そんな淡い願いが、胸のどこかでひっそり動いたから。


「いつでも言ってください。いっぱいありますから」


「ありがとうございます。毎年、本当に助かってます」


 深く頭を下げられて、少し照れる。

 名前も知らない人なのに、こんなふうに感謝されると心がほぐれる。


「また……来てもいいですか?」


 その一言が、雪の静けさを破るようにやさしく響く。


「もちろん。いつでも」


「よかった。じゃあ、近いうちに」


 淡い声に、雪のにおいがまじって漂う。

 今年もまた、この季節が始まる。

 心の中で“ローリエさん”と呼んでいる人と過ごす、ささやかな冬が。

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