日本式 大学の作り方
H. Endo
ブラックボックスの作り方(短編)
# ブラックボックスの作り方
## 0. はじまりは、誰でも知っている言葉から
「ご存じの通り、本学も“説明責任”と“可視化”が求められています」
会議室のプロジェクタには、ありふれたスローガンが並んでいた。
- 学修成果の可視化
- 教育の質保証
- データに基づく大学運営(IR)
副学長の原は、スライドを読み上げながら、心の中で別のことを考えていた。
(これを通せば、来年度の補助金は確実に増える)
文科省が新しく始めた「高等教育DX推進プログラム」。
採択された大学には、評価に応じて数億規模の予算がつく。
条件は明快だ。「すべてをデータで説明せよ」。
原は教育に特別な情熱があるわけではない。
だが、財政的に干上がりかけている地方大学を維持するには、
この波に乗るしかないこともよく理解していた。
「そこで本学では、全学共通の“教育データ統合システム”を導入します」
スライドが切り替わる。
> 【EDU-CORE】
> — 履修情報、成績、アンケート、就職先、研究業績を一元管理し、
> 教育の質を“見える化”する革新的プラットフォーム —
学部長たちは、疲れた顔でうなずいた。
事務方は、すでに裏で見積もりを取っている。
この場にいる誰ひとりとして、「EDU-COREがどう動くのか」を詳しくは知らない。
だが、それは問題ではなかった。
大事なのは、「可視化している」と言えることだけだ。
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## 1. 事務局:業務効率という正義
「これ、すごいですね。ボタン一つで集計できる」
教務課の宮内は、EDU-COREのデモ画面を前に、素直に感嘆した。
従来、授業アンケートや成績状況の集計は、
Excelと格闘する地獄のような作業だった。
それが「学科」「教員」「年度」をプルダウンで選べば、一瞬でグラフになる。
「予算配分とかも、この“教育貢献度スコア”っていう指標を基準にすればいいんですよね?」
ベンダーの営業担当が、嬉しそうにうなずく。
「はい。授業数、履修者数、成績分布、アンケート結果を総合的に評価して、
教員ごと・科目ごとにスコアを出せます。
これを基に、非常勤のコマ調整や、専任教員の業績評価も可能です」
(これで、「なぜこの先生はコマが多いのか」を聞かれなくて済む)
宮内は、それだけでこのシステムを気に入った。
いままで「人間関係」や「前例」で決めてきたことを、
数字が代わりに説明してくれる。
数字の背後にあるロジックは、よく分からない。
だが、「外部の専門業者が作ったアルゴリズム」という言葉が、
すべての不安を上書きしてくれる。
宮内にとって、EDU-COREは「責任を肩代わりしてくれる機械」だった。
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## 2. システム屋:仕様書に書いてないことは存在しない
受託会社のエンジニア・坂上は、大学側との打ち合わせログを眺めていた。
「“教育の質”を一つの数値で表したい、か」
うんざりしているわけではない。
むしろ、やりがいのある案件だと思っている。
「とりあえず、公開資料で使われてる指標をかき集めましょうか。GPA、卒業率、留年率、就職率、アンケート平均値……」
「あと、“本学独自の指標”も欲しいって言われてたな。研究業績とのバランスとか」
「じゃあ、こんな感じでウェイトつけて、総合スコア出すアルゴリズム組みましょうか」
彼らが見ているのは、「大学」という現実ではない。
インプットとして渡された「項目」と「数字」だけだ。
仕様書には、「学生の思考の深さ」も、「教員の情熱」も、「違和感」も書かれていない。
だから、それは設計対象に含まれない。
「内部仕様は非公開でいいですよね?」
営業担当が尋ねる。
「もちろん。変な解釈をされても困りますし、
大学側は“スコアが出ること”さえ保証されれば満足でしょう」
坂上は、自分たちが「ブラックボックス」を作っているという自覚はない。
ただ、仕様書通りに動くシステムを作っているだけだ。
仕様書に書いてないものは、**存在しないものとして扱う**。
それはエンジニアリングとして正しい態度だった。
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## 3. 教員:生き残りのための最適化
社会学部の准教授・井村は、EDU-CORE導入後、
自分の「教育貢献度スコア」が学部平均を下回っていることに気づいた。
- 成績分布 → 厳しめ
- アンケート → コメントは好意的だが、点数はやや低め
- 履修者数 → 年々減少
画面には、容赦のないグラフが表示される。
> 【警告:スコアが3期連続で学部平均を下回っています】
> 【改善が見られない場合、次期の担当科目削減対象となる可能性があります】
(科目を減らされたら、研究室の定員にも響くな……)
井村は、ため息をついてから、静かに手を動かした。
まず、期末試験の難易度を下げた。
「平均60点」を目指していたものを、「平均80点」になるように調整する。
成績評価の基準を、「レポートの質」から「提出有無」に寄せる。
アンケートの設問を、学生が高評価をつけやすい形に修正する。
授業で扱うテーマも、「学生が不安になりそうな社会問題」より、
「将来に希望を持てる“前向きな話”」を増やした。
それは「迎合」ではなく、「大学に残るための戦略」だった。
数年後、井村のスコアは安定して学部平均を上回るようになった。
ただ、彼がかつてやっていたような、
重い社会問題を真正面から扱う授業は、学内からゆっくりと消えていった。
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## 4. 学生:最適な履修戦略
経済学部三年の斉藤は、EDU-COREの「履修シミュレータ」を眺めていた。
そこには、各授業のスコアと、先輩たちが付けた「単位取得難易度」が表示されている。
- A先生「経済政策論」:難易度★☆☆☆☆/平均評価4.8/出席不要
- B先生「経済思想史」:難易度★★★★☆/平均評価3.1/試験難
(B先生の話、面白いって聞いたけど……GPA落としたくないしな)
就活エージェントからは、こう言われている。
> 「大学名は変えられませんけど、GPAとTOEICとインターン経験で“上積み”できますよ」
斉藤にとって、「大学で何を学ぶか」は、
すでに「どんな履歴を生成するか」の問題に置き換わっていた。
彼は、難易度の低い授業を中心に履修を組んだ。
「興味のある授業」は、YouTubeか有料オンライン講座でいい。
大学は、「社会的に認知されている“学歴”と“単位”を取得するための施設」になっていた。
深いと思ったことや、理解できなかったことは、ノートにもアプリにも残らない。
なぜなら、それは**どのシステムでも評価してくれないから**だ。
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## 5. 学長:説明可能性の喪失
EDU-CORE導入から七年。
大学は、国からの評価を順調に上げていた。
学長のもとには、文科省の担当者から電話が入る。
「いやあ、御大学は本当にモデルケースですよ。
各種指標も綺麗に改善されているし、DXの成果として報告させていただいてます」
学長は、形だけ謙遜しながらも、内心では安堵していた。
入学者数はギリギリで踏みとどまり、
補助金も「A評価」を維持している。
「ところで一つ、お伺いしたいのですが」
電話の向こうの声が、少しトーンを変えた。
「この七年間で、“教育の中身として”何がどう良くなったのか、
何か具体的なエピソードがあれば教えていただけますか?」
学長は、少し沈黙した。
頭に浮かぶのは、スコアのグラフと、ランキング表と、
ベンダーが作ったカラフルなパンフレットばかりだ。
(中身……中身?)
EDU-COREのダッシュボードを開けば、
どの学部の指標が何パーセント改善したかは一瞬で分かる。
だが、「教室で何が起きているか」は、誰も見ていない。
学長は、苦し紛れにこう答えた。
「学生の満足度が、全学的に向上しております。
アンケートでの“授業満足度”は、導入前に比べて平均0.8ポイント上がっております」
「それは素晴らしいですね。
では、その結果、卒業生の“思考力”や“批判的精神”といった点では、何か変化は?」
その問いに、学長は答えられなかった。
そんな指標は、EDU-COREのどこにも存在しない。
測っていないものについては、
改善したとも悪化したとも言えない。
電話を切ったあと、学長はしばらく画面を眺めていた。
ダッシュボードの右上には、小さくこう書いてある。
> 【本システムは、大学運営の参考情報を提供するものであり、
> 教育の実態を完全に表すものではありません】
それは、開発会社が保身のために入れた一文に過ぎない。
だが、大学全体の実態を、最も正直に描写していた。
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## 6. ブラックボックスの完成
十年が経った。
EDU-COREのアルゴリズムは、アップデートを重ねるうちに、
誰にも追えないほど複雑になっていた。
最初に導入を決めた副学長・原は、すでに定年退職している。
仕様書を書いたエンジニアは、別の会社に移った。
データを蓄積してきた事務職員も、異動や退職でほとんど残っていない。
今、画面の前に座っている若手職員にとって、
EDU-COREは最初からそこにある「前提」でしかなかった。
「この“教育貢献度スコア”って、どう計算されてるんですか?」
ある日、教員から素朴な質問が飛んできた。
若手職員は、ヘルプ画面を開き、そこに書かれた説明を読み上げる。
「ええとですね、“複数の指標を総合した、本学独自のスコアです”としか……」
「その“独自”って、誰が決めたんです?」
「……ちょっと、そこは分かりません」
彼らは、入力画面の項目を知っている。
出力としてのスコアも知っている。
だが、そのあいだにある変換過程は、
巨大なブラックボックスになっていた。
誰も、そこに手を入れようとはしない。
なぜなら、変えてしまえば、**過去十年分の数字の意味が変わってしまうから**だ。
大学は、自分で理解できない評価装置を守るために、
その装置に自分自身を合わせ続けていた。
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## 7. 誰も設計していない構造
ある授業で、ひとりの学生が教授にこう尋ねた。
「先生、この大学って、誰が“こういう形にしよう”って決めたんですか?」
教授は少し考えてから答えた。
「それは……誰か一人が決めたわけではないと思うよ」
- 文科省の担当者は、「説明責任」と「効率化」を求めた。
- 大学執行部は、「予算確保」と「対外的な見栄え」を最適化した。
- 事務職員は、「業務量」と「責任回避」を最適化した。
- システム会社は、「仕様」と「採算」を最適化した。
- 教員は、「生き残り」と「研究時間」を最適化した。
- 学生は、「GPA」と「就職」のために履修を最適化した。
それぞれが自分の立場で、
合理的で、善意すらこもった「局所最適化」を積み重ねた結果――
誰も意図しなかった「全体構造」が立ち上がった。
教授は、少しだけ自嘲気味に笑った。
「強いて言えば、“この構造”を設計したのは、
誰でもなく、“みんな”であり、“誰でもない”んだろうね」
「じゃあ、これを変えるには、誰に言えばいいんですか?」
学生の問いに、教授は答えられなかった。
大学は、もはやひとつの「意思」を持った組織ではなかった。
各所に散らばった最適化の跡だけが、
見えない配線のようにつながっている。
そこから出てくる数値を、
人々は「現実」と呼び始めていた。
---
夕方、キャンパスを歩く学生たちの頭上で、
EDU-COREを載せたサーバラックが、低く唸っている。
その音を、誰も気に留めない。
ブラックボックスは、今日もきちんと働いている。
内部がどうなっているかを知らなくても、
出てきた数値に従っていれば、「大学」は正しく運営されていることになっている。
――少なくとも、評価シートの上では。
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