第19話 夜の森の影

 王都オルネスに広大な敷地を有する、ロムフェール公爵家邸。

 その庭の大半は、軍事訓練に使用するために鬱蒼とした森が占めており、大貴族に相応しからぬ武辺振りと巷の噂になっている。

 それでも、昼は庭師の手が入り、夜はロムフェール騎士団の騎士が見回っているのだが、この日は様子が違った。


「間違いないのか、本当に騎士のほとんどが出払っているんだな?」

「なんでも王族の誰かに緊急の事態が起きたらしく、王都に滞在中の貴族が続々と王宮入りしている。王家の剣と称されるロムフェール公爵も、多くの騎士を引き連れて屋敷を出たのをこの目で確認しましたよ、お頭」

「……これは、千載一遇のチャンスかもな」

「まさか、入れ違いに聖女を乗せた馬車がロムフェール公爵邸に入っていくとはね。窓越しだが遠目に聖女の姿が見えたのは幸運でしたぜ」

「それが本物の聖女なら、何としても確保したいな。公爵が帰宅するのは夜明け以降だろうが、動くなら早いに越したことはない」

「ヒヒヒ、まあ俺たちも所詮は余所者。長年、オルネシア王国の各地に散ってカタギの振りをしてきたが、聖女を誘拐したとあっちゃあ、この国ともオサラバするしかねえ」

「滅多なことを言うな。どこで誰が聞いているか分からんのだぞ」

「お頭ともあろう人が弱気なことで。こんな夜更けに、しかも最近家名断絶になった貴族の屋敷だった空き家に潜んでいて、誰に聞かれるって言うんですかい?」

「ひさしぶりの『仕事』だ。ブランクがあることを考えれば、用心してしすぎることはない。そろそろ行くぞ、全員を集めろ」

「ヒヒヒ、やはりお頭は勘が鈍っているようだ。配下一同、お頭の命があればすぐにでも動けるように門前で待機してますぜ」

「いいだろう。今から、ロムフェール公爵邸に秘密裏に侵入し、聖女を奪取する」



 ~~~



「ようこそ、お向かいの貴族屋敷を不法占拠していた賊共。あからさまな罠に引っかかってくれて、感謝するよ」


 格子付きの高い壁を易々と飛び越え、薄雲がかかり月光が届かない森の中を誰一人躓くことなく駆け抜け、聖女がいると思われる屋敷を視界に捉え覆面の侵入者達を、やけに芝居がかった若い声が呼び止めた。

 森と芝生の境界線で立ち止まった頭領の目の前、朧月の下に一人の剣士が佇んでいた。


「お前たちが見た聖女は偽者、正体はロムフェール公爵の娘だ。今頃は屋敷に残っていた騎士達に命じて、お前らの根城を急襲させている頃だろうな」

「馬鹿な、我らの存在が騎士風情に気取られていたなど、あるはずがない!?」

「バレていたわけじゃない。とある筋から情報を得て、公爵邸を監視する目がある可能性に気づいてな、囮を用意した上で警備を手薄にすれば餌に食らいつくだろうと一芝居打ってみた。その道筋を逆に辿れば、お前らの拠点を探り当てることくらいわけないさ」


 侵入者たちは気づかない。

 剣士が言う、とある情報筋とは、侵入者達にオルネシア王国での諜報活動を命じた上役の上役の上役が密約を結んだ相手、この国の第二王子だという事実までは考えが及ばない。考えが及ばないように躾けられている。

 しょせんは走狗として異国での暮らしを強いられている悲哀、それゆえの忍耐の限界が、ロムフェール公爵邸の侵入へと突き動かしたのか。

 自らもまたオルネシア王国の民ではないカシマは、わずかばかりの同情を禁じえなかった。


「すでに奇襲という最大の有利は崩れた。どうだ、ここは一度退かないか?」

「貴様、この国から尻尾を巻いて逃げ出せと言うのか」

「別にそこまでを求めるつもりはない。余所者と言うなら俺だってそうだ。表立って事件が起きてもいないところに首を突っ込むほど暇じゃない」

「それを信用しろと?」

「見ず知らずの俺じゃ駄目か」

「……貴様が大胆にも剣聖を名乗っていることも、それに見合うだけの実力の持ち主であることも調べがついている」

「それは驚いた。思った以上に優秀なんだな」


 カシマの言葉を聞いて侮られたと思った侵入者たちが瞬時に身構えるが、頭領がそれを制した。


「先ほどの提案だが、断らせてもらおう」

「双方に怪我人が出ない内に事を収めた方がいいと思わないか?」

「そうやって我々を説得している振りをして、実は時間稼ぎをしている罠だとすれば目も当てられん。影の者にも面子はあるんでな。それに」

「それに?」

「貴様が本物の剣聖だとしても、夜の戦いで我々に勝てるとは限るまい」


 そう言ってにやりと笑った頭領が、背後も見ずに飛び退くと、配下達と共に夜の森へと消えた。


「くくく、感覚の大半を視覚に頼っているのは、人族もエルフ族も同じ。この暗闇の中では剣聖の技も我らには届くまい。どうせならば番犬の一匹でも連れてくるのだったな」


 そんな声がした瞬間、それぞれ違う方角から三本、ナイフが飛来する。

 それを慌てることなく木刀で打ち払ったカシマだったが、月明かりに照らされた刃は鋼の地金とは異なる紫の光を反射していた。


「毒か」

「これではさすがの剣聖でもうかつに動けまい。その間に我らの別動隊が屋敷を急襲する」

「言っておくが、聖女がここにいないのは本当だぞ」

「だが、ロムフェール公爵の娘ならいるのだろう? ならばその娘を人質にして聖女と交換すればいい。交渉に失敗すれば、そのまま国外に連れ去り、我らの上役に献上するまで」

「そう上手くいくとは思わないがな」

「なんとでも言え。背を向ければ毒のナイフが襲い、森に入ってくれば暗闇に潜む我らの餌食となる貴様に、できることは何もない」

「いや、お前らは今ここで、俺が止めるって話だ」


 そうカシマが宣言したのと、森に向かって無造作に一歩を踏み出したのはほぼ同時。

 通常ならば意表を突いた迷いのない行動といえるが、警戒していた侵入者達の隙を生むまでには至っていない。

 鹿島が木と木の狭間に体を入れた瞬間、木陰から草むらから頭上から、夜目の利く侵入者達が音もなく走り、得物である毒ナイフを振りかざしながら一斉に標的に襲いかかった。

 一人目は倒されるだろう、二人目は止められるだろう、三人目がかすり傷を負わせる程度だろう。

 だが、頭領のみが調合法を知る特性の毒は雫一滴で百人を殺せるほどの威力を秘めている。

 当然、わずかでも原液が体内に入れば死は免れない。

 だが、鹿島が持つ木刀の太刀筋は暗闇の中にあってなお些かの鋭さも失うことなく、三位一体の攻撃を小手打ち、袈裟斬り、胴抜きの連撃で見事に退けた。

 そして残心の構えを取る得物の切っ先を大木の幹の寸前でぴたりとめた姿は、夜の森を完全に支配しているとしか思えなかった。


「ナ、ナイフを、いや、魔法でも構わん、奴の間合いの外から一方的に攻撃し続けるのだ!!」

「おっと、そいつはお勧めしないな」


 瞬間、全てを闇の中で片づけるために厳しい試練を潜り抜けた侵入者達の体が煽られるほどの、一陣の風が吹き荒れる。

 頭領の頭を駆け巡ったのは、包囲陣を強いていた配下たちの方向感覚が狂って闇夜の連携が不可能になったと認めざるを得ない、動かしがたい事実だった。


「……詠唱ではなく剣の型を奉納することで魔法に酷似した現象を引き起こす『魔法剣』。だが、詠唱の代替である『演武』の隙は与えなかったはずだ」

「演武は剣を構えた時から始まっている。一帯のマナを支配するような大技は使えなくても、詠唱を邪魔したり毒ナイフの軌道を逸らすくらいの芸当はできるさ。元々が、剣が届かない相手を想定した小細工だからな」

「……剣聖の名を世界に轟かせた『魔法剣』も、当人にかかれば小細工呼ばわりか。どうやら役者が違ったようだ」


 何かを諦めたかのような頭領の独白の直後、鹿島を取り囲んでいた気配が一斉に引いていく。

 どうやら、撤退を命じる符丁が頭領の言葉の中に紛れていたのだろうと、カシマは悟った。


「なんのつもりだ? まさか、逃げると見せかけて屋敷を襲いに向かわせたわけじゃないだろうな」

「我らは野盗ではない。隠密の役目が露見した上に、たった一人の敵に敗れてなお、卑怯な手を使うつもりはない」

「影の者には影の者の矜持があるって言いたいのか」

「そういうことだ。今回の聖女奪取は、私の一存で断念する」

「それなら、なんでお前はたった一人で俺の前に残っているんだ?」


 カシマの投げかけに込められた意味――情けを無視した証として、後ろ越しに差してある片刃の直刀を抜き、その漆黒の刃を向ける頭領。


「いくら避け得ぬ不測の事態が起きたとはいえ、任務失敗の責任は誰かが取らねばならん。このままおめおめと全員が帰還すれば、普段は口出しをしてこない本国とて重い腰を上げてくるだろう。成果が得られぬのならば、犠牲を払わねばならないのだ」

「宮仕えのつらいところだな。改めて、俺には向いていない職業だと実感したよ」

「エルデンリンデ影衆、六頭領が一。故あって名乗れぬが、剣聖殿に一手御指南願いたい」

「承った」


 瞬間、孤高の人となった影の者が気配も見せずに前へ跳ぶ。

 剣聖相手に小細工は愚策、夜の森という自身にとって有利な地形を最大限に生かすには最短最速の一撃が有効だと決断しての、毛筋ほどの迷いもない美しい刺突だった。

 その、生涯最高の一撃と瞬間的に実感するほどの刺突が剣聖の心臓に届き皮膚を突き破るかと思えた刹那、寸毫の差で鹿島の木刀が影の者の脳天を襲い、地面へと叩き潰した。


 しばしの残心の構えの後、木刀を腰へと納め、敵だった者に対して合掌し、冥福を祈るカシマ。

 その静寂を破ったのは、カシマが聞き慣れた若い女騎士の声だった。


「カシマ様、こちらでしたか。その男は……?」

「名無しの敵だが、丁重に葬ってやってくれ。あと、偽の聖女がこんなところに出てきたら囮の意味がないと思うんだがな」

「申し訳ありません」


 鹿島が振り返った先にいたのは、王宮から借り受けた聖女の衣装をやや窮屈そうに着ながら長剣を手にしている、エリアの姿だった。

 その後ろから二、三人、慌てた様子の騎士が走り寄ってきているところを見ると、護衛を振り切ってここまで来たらしい。


「多数の気配がしたと思って駆け付けたのですが、他の賊はどこに?」

「害はないと思って、逃がした」

「に、逃がしたのですか……!?」

「頭領を失ったんだ、再び襲ってくるにしても本国にお伺いを立てるか、自分たちの中から新たな頭領を選ぶか、なんにせよ当面の脅威ではなくなったことは確かだ」

「まさか、賊に情けをかけたのですか?」

「情けをかけたと言うならロムフェール公爵家に、ってところだな。他国の影の部隊による王都邸への襲撃なんて大事件、公にならないならそれに越したことはないだろう。死体の数が一つと五十じゃ、隠蔽いんぺいの難しさは天と地ほどの差があるしな」

「では、このことを陛下に報告したうえで、秘密裏に賊の始末をつけるとしても、カシマ様は反対なされないのですね?」

「俺としては、藤倉さんに関することはなんであれ、大ごとにしたくないだけだ。ただでさえ、数えきれないほどの国や組織が藤倉さんを狙っているとわかっているんだ、少なくとも、国王から今後の方針について聞くまで、騒ぎは最小限に押し留めたい」


 カシマからその言葉を聞いた瞬間、エリアは身の震えを感じた。

 この目の前の剣聖は、聖女の力を利用しようとする全ての者を、独力で抑え込もうとしている。

 それが大言壮語でないことは、初代国王とともに建国の礎を築いたロムフェール公爵家に連なる者として、なによりこの数日間で伝説に嘘偽りがなかったことをその目で確かめたエリアが誰よりも理解している。

 だからこそ、エリアは不意に沸き上がった疑問をぶつける気になった。


「もしやカシマ様には、フジクラ殿に関して何か腹案が御有りなのですか?」

「ああ、それは――」


 そのあとに続いた鹿島の言葉に、エリアは戦慄を禁じえなかった。


「カシマ様は、世界を従えるおつもりなのですか……?」

「別に。ただ俺は、九百年前の失敗をやり直したいだけだよ」

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