いきなり軍師ちゃん
エス
1-1
「……殿……」
何だろう、何かが聞こえる。
「軍……殿……、……攻め……した……」
知らない声だ。私に話しかけているのかな。私は目を開けた。
目を開くと立派な長く白い髭を蓄えた老人がこちらを見て何かを喋っている。
「軍師殿! 敵が攻めてきました! 至急対応策をご指示ください!」
「ええ!?」
その老人に話しかけられ、驚いた私は椅子から転げ落ちそうになった。
これって間違いなく私に話しかけているんだよね。
え? 私が軍師?
軍師ってあれだよね、戦争のときに作戦を立てたり意見を出したりするあれだよね。私って軍師だったっけ。
とりあえず自分が軍師であるという自覚どころか記憶すらもない。パニックになりそうな気持ちを抑えて、必死に記憶を辿る。
私の名前はロシーヌ。あとは……。
おかしい。
というか名前以外思い出せないんだけど。
さっきまで何をしてたっけ?
私って何をしている人だっけ?
ここはどこだろう。周囲を見渡す。
初めて見る場所、のはずだ。
どうも豪華な部屋の中にいるようだ。椅子や目の前のテーブル、壁や絨毯に目をやる。高級そうな素材を使っているが、特別な感じはしない。記憶はないものの見慣れたものだという感覚が自分の中にある。言葉も通じていることから、過去や未来、異国や異世界に飛ばされたわけではない。
……ような気がする。
本当にわけがわからない。
「忌々しきボルディン軍は一万の軍勢を率いてこちらに侵攻してきております。予測ではあと二日で我が国の領内に入るかと思われます。王に尋ねたところ、『軍師殿にすべて任せよ』とのことでしたので、こうして参った次第でございます。さあ軍師殿。ご指示を」
「いや、あの、ひ、人違い、です。私はロシーヌって言います」
状況が飲み込めない。なんでこんなことになっているの? とりあえず私は軍師でも何でもなく別人で、作戦なんて立てられないことを伝えようとした。
「わーーっはっはっはっはっは! さすがは軍師殿。そのようなおなごの名を出して冗談を仰られるとは。余裕ですな。ひょっとしてロシーヌ様というのは軍師殿の妾ですかな? 軍師殿は若いですからのう。ゆうべはおたのしみでしたね、的な?」
笑い飛ばしてくる老人改めジジイ。初対面でこんなに殴りたいと思わせるジジイがいるとは。あとジジイが「的な?」はやめろ。私の殺意が高まる。いや、そんなことを言っている場合じゃない。怒りを抑えて反論する。
「冗談を言っているわけではありません。本当に誤解なんです。私は軍師なんかじゃありません。ちょっと記憶がなくて思い出せないんですけど、とにかく私はここいるべき人間ではないんです」
「わっはっは。今度は演劇の練習ですかな? わしも昔は演劇の道を志したこともありまして、少しはできるつもりでおりましたが、今回の演技はなかなかでしたぞ。まるで別人が乗り移っているかのようでした」
「それそれ! 別人なんですって!」
「もうよろしいでしょう、軍師殿。事態は急を要しております。早くご指示を」
白い髭の老人が急かしてくる。状況が理解できないうえに指示をくれなんて言われたら誰だって困惑するだろう。今の私がそれだ。
「本当に別人です。軍師なんて知りません! 演技もしてません。信じてください!」
私も必死だ。記憶はないが少なくとも軍師ではないし、こんな立派な部屋に住んでいるわけでもない。それは直感でわかる。間違いなく初めて見る景色だ。
ましてや戦争の指示を出すなんてできるはずがない。
老人はため息をつく。わかってくれたか。
「まったく、軍師殿は遊びが好きですなあ。ただ、軍師殿にとっては些細なことかもしれませんが、わしらにとってみれば国が滅ぶかもしれぬ一大事。これをご覧になって指示をくだされ。軍師殿は軍師殿ですぞ」
老人が机に置いてあった鏡を私の方に向ける。
私は鏡に映る自分自身を見た。
全く知らない男性が映っていた。
え?? 誰こいつ。
見た目はかっこいいといえるかもしれない。切れ長の目に通った鼻筋。美しい金髪。自分が何歳だか思い出せないが、何となく自分と歳は近いように感じられた。
あまりタイプではないけど。
私の好きなタイプはもっと落ち着きのある大人しい男性だ。鏡に映った男はどことなく軽薄そうな印象を受ける。
老人は鏡を元の位置に戻すと私にかまわず続けた。
「わかっていただけましたかな軍師殿。あなた様をこの国で召し抱えておりますのはこのような時のため。いつまでも遊んでいるわけにもいきませんのでな。早速ですがご指示をいただきたく存じます。
以前、職務を放棄したり逃げたりするようなことがあれば他国に情報が漏れる恐れがある。したがって我が国としては軍師殿を生かしておくことができない。そう申し上げたはずですが……記憶にございませんかな?」
記憶にございません! むしろ名前以外思い出せません!
しかしいくら記憶のない私でもわかる。
これはもうこの老人に突っ込むことすらできない雰囲気だということ。まだ「私は軍師と別人説」を唱え続ければうっかり殺されてしまうかもしれない。いや別人なのは説じゃなくて事実なんだけどさ。殺されたら元に戻れるって話なら死なせてほしいけど、それは不明だ。正直何もわからない状況で命を張るのはリスクが高すぎる。
ここは合わせるしかない。
私は覚悟を決めることにした。
「わかりました。指示をいたしましょう」
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