第34話 いざぶどう農園へ

 ついに旅立ちの日が来た。


 今日俺たちはサフィラが手掛けているぶどう農園へ向かう。

 といってもたったの一週間だけだし、堂々と授業をサボっていくわけで、旅立ちというにはいささか雑だった。


 淡々と馬車に乗り込むと、向かい合って腰掛ける。

 それからまもなく馬車が動き始めた。


「アスクくん、楽しみだね」


「ああ。ぶどうジュース飲み放題なんだろ?」


「もちろんだよ」


 馬車は公爵家のものだけあって内装が煌びやかで、揺れも普通の馬車より遥かに穏やかだった。


 護衛の馬車が四台ほど並走し、数名の騎士が馬に跨っている。従者も数人ついてきていて、ラヴァンダは隣の馬車に乗っているらしい。


 そんな大所帯で出発した。目的地までは手続き込みで三時間ほど。


 公爵領の周りは一つの街として発展しているが、その外は田舎である。

 学園を抜け、街道を進むと次第に家が減っていき、ぶどう畑が広がるようになった。


「ここか!」


 三十分ほど揺られたところで、エコロくんの実家のぶどう畑が視界に入ってきた。

 確証はないが、おそらく位置的にあそこだろう。


 ――ここがエコロくんが守ろうとしてるぶどうの楽園か。


 広大な畑が太陽に照らされて輝いている。

 草木の香りが馬車越しからでも伝わってきて、思わず胸が熱くなった。


 エコロくんの覚悟を想像すると涙が出そうになる。


「大丈夫? 酔っちゃった?」


 目元を拭っていると、サフィラが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 その瞬間、


「うわっ⁉︎」


 馬車の揺れで彼女がバランスを崩した。


「んん……⁉︎」


 慌てて肩を支えると、至近距離で見つめ合うことに。


 鼻先が触れそうな距離で互いの呼吸する音が聞こえてくる。

 気まずさと高揚感が混ざったそんな状況に、耐えかねた俺は分かりやすく目を逸らした。


 しかし彼女は逸らしていないようで、真っ直ぐ俺を見つめたまま小さく呟く。


「……いいよ。ここでしても」


「何をだよ」


「もう、言わせないで。ぶどうジュースの口移しに決まってるよ」


「決まってないからな?」


 冗談なのか本気なのか判断がつかない。


 それでも馬車は揺れ続ける。その度に彼女の髪がふわりと舞って、シャンプーの香りが尾行をくすぐった。


 ――そんなにぶどうジュースを飲みたいのか?


 確か昨日も寝る前にぶどうジュースを懇願していた。顔を真っ赤にして、まるで薬物中毒者のように求めてきた。


 もしかしたら本気でぶどうにハマってるのかもしれない。

 気持ちは分かる。分かるのだが、絶妙に違う気もするんだよなぁ。

 


 そんなことを思いつつも馬車は進む。

 いくつものぶどう畑を抜け、その度に品種をチェックしていると、あっという間に駆け抜けていった。


 そして標高が上がったところで一度休憩することになった。

 馬車を降りると湖のほとりでひと休みである。


 周囲には厳重な警備が敷かれているが、彼らが全員敵だと思うと警戒を解くことはできなかった。


 向こうに着いてから襲うらしいが、明らかに今の方がチャンスだからな。

 先走って襲ってきてもおかしくはない。


「ふふっ、冷たいね」


 サフィラは旅の空気を楽しんでいるようで、湖の水をすくって楽しそうに微笑む。

 その姿はまるで普通の女の子みたいだ。


「ぶどう栽培にも向いてそうな気候だな」


「もう、またぶどうの話?」


 対する俺はというと、相変わらず警戒を強めていた。


 湖の中から賊が襲来する可能性だってゼロではないから。

 それに背後から矢でも打たれたら流石の俺も対応できない。


「ねえアスクくん」


「ん?」 


「今日は私よりもぶどうが大事な日なの?」


「どんな質問だよ」


「だって今日は周りをキョロキョロしてるじゃん。ぶどうに目を奪われて、私への視線が厳かになってるよ?」


「そりゃぶどうだからな」


「もう、やっぱりぶどうに夢中だった」


 サフィラは不満そうに頬を膨らませた。


 そんな彼女の姿を眺めながら俺は考える。

 正直いまだに彼女のことをどう思っているのか分からない。


 明確に好きとか嫌いとか、言葉にできないのが現状だ。ぶどうに対する愛とはまた別の感情だから。経験したことがなさすぎてすぐに答えを出せない。


 でも責任は取らなきゃいけないとは思っている。


 どういう形になるかは分からないが、命を奪われるようなことには絶対にしない。そこだけは絶対だ。


 

 休憩を終えると、再び馬車に揺られる。


「……アスクくん、これ以上は我慢できないよぉ……監禁しちゃうよ……」


 サフィラは俺の横で頭を預けて眠っていた。

 その寝顔を覗きながらも、彼女がどんな夢を見ているのか想像して頭を抱える。


「寝言で監禁なんて言葉、呟く人いるんだ」


 驚きである。普通そこはぶどうだろ。

 寝言で「ぶどう」と呟くのが人類の正しい姿なのだから。



 それから特に何も起きずに馬車に揺られていると……。


 ようやく目的地に到着した。

 眠そうにあくびをするサフィラをエスコートする形で馬車から降りる。


 するとそこには広大なぶどう畑と白を基調とした西洋服の屋敷が出迎えてくれた。


「ぶどう!」


 思わず俺は叫ぶ。


 そこはまさに地上の楽園だった。


 周囲を見渡すとぶどう、ぶどう、ぶどう、ぶどう。ぶどうだった。遠くの山々まで水平線にぶどう畑が広がっている。


 とにかくぶどうで、ぶどうがぶどうしていて、ぶどうなのだ。


「ふふっ、どう? すごいでしょ?」


 そんな興奮する俺を眺めながらサフィラはくすくすと笑った。そして自慢げな表情で解説し始める。


「ここは五つのぶどう農家を買収して作ったんだー。どこも後継者がいなくて廃業になりそうだったからまとめてね」


「つまりサフィラは救世主ってことか」


「救世主だなんて、そんな大袈裟だよ」


 彼女は謙遜しているが、昨今はぶどう農家が廃業になって、その跡地で小麦が作られるという地獄のような流れができている。


 そんなバッドエンドを阻止した彼女はまさしくぶどう界隈にとって救世主なのだ。


 太陽に照らされて宝石のように輝くぶどうたちを眺めながら改めて感心していると、


「お待ちしておりました」


 背後から低い声が聞こえた。

 振り返ると、そこにはタキシードを身にまとった老紳士が立っていた。


「こちらは?」


 サフィラが隣のラヴァンダに視線を向ける。


「この農園の統括者でございます」


 ラヴァンダが淡々と答えると、老紳士は丁寧に頭を下げた。


「申し遅れました。わたくし、カランと申します」


 その名乗りを聞いた瞬間、何かがおかしいことに気づく。


「……そう」


 サフィラは興味なさそうに頷くだけだったが、俺だけは違った。見覚えがあったのだ。

 間違えるはずがない。

 その顔、その声音、その立ち振る舞いは……、


 ――まじかよ、マスカレードじゃん。


 

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