第6話 お酒を飲んで現実逃避したい

 ハーツ公爵領は冷涼系の地域だ。


 寒い場所というと、一般的には農業に向かないと思われがちだが、ぶどう栽培においてはむしろ良いことの方が多い。


 個人的に最も嬉しいのはピノノワールの栽培に向いていることである。


「うっま。やっぱこの酸が良いんだよなぁ」


 ――昼休み。


 食堂でピノノワールからできたぶどうジュースを飲みながらも、俺はワインに想いを馳せることで現実から目を背けていた。


「酸? すっぱいってこと?」


 隣から何やら女性の声が聞こえてきたが、今の俺はぶどう畑の中に逃避している。

 ぶどうの言葉しか聞こえないのだ。


「ピノノワールは繊細なのに早熟なぶどう品種だから、特定の気候じゃないと栽培が難しいけど」


「どこにでも生えてるよ?」


「この地域はどこでも栽培できるのが強みだよなぁ。まあその分、メルローやカベルネ・ソーヴィニヨンは少ないんだけどさ。そういう意味ではフランスのブルゴーニュみたいなものか?」


「ブルゴーニュ?」


「やっぱり国外逃亡するべきかなぁ。他の国だったら別のぶどう品種のワインを楽しめるし」


「よく分からないけど、お酒は誕生日を迎えてからね」


「早く15歳になりたいなぁ……」


「15歳になったら結婚できるもんね」


「…………………………」


「ふふっ……」


 はぁ……。


 俺は内心ため息をつきつつも、正面でパスタを頬張っている公爵令嬢に目を向ける。


 彼女は昼休みになっても当然のように俺の横にいて、気がついたら強制的に相席させられていたのだ。


 ハーツ学園の食堂は、貴族も通うだけあってレベルが高い。今日のメニューはトマトソースと粉チーズがたっぷりかかったパスタだ。


 学園に通っている生徒はこれを無料で食べられる。

 学生寮も無料で、朝と夜には温かい食事が用意されるシステムだ。どう考えても恵まれすぎだろう。


 俺なんてこの世界に来てからずっと、オリーブオイルと塩をかけただけのパスタを主食としてきたのだ。


 そんな生活から一転して、きちんとしたトマトソースを食べられるようになったのだから、これで興奮しない方がおかしい。


 そしてなによりピノノワールのジュースという高級ジュースにまでありつけているのだ。控えめにいって最高だった。


 公爵令嬢とご一緒しているせいで周囲の視線が痛いことを除けば本当に最高である。


 つまるところ居心地が悪くて仕方がないのだが、正面の彼女はまるで恋人に接するような雰囲気を醸し出しながらも、目が合う度ににこりと笑う。


「誰かと一緒に食べるご飯は美味しいね」


「そ、そうだな」


「アスクと一緒に食べるご飯は最高だね」


「そ、そうか?」


 その度に胃が痛くなるのはどうしてだろうか。不思議だった。


 ――やっぱりこういう時は酒を飲むに限る。


 そう思った俺は食堂の看板にあるメニューを覗いた。


 どうやら食堂ではワインも飲めるようで、赤ワインと白ワインが数種類も常備されていた。


 ピノノワールもいいけど、もう少し重たいメルローもいいよなぁ。久しぶりに飲むならフルボディのふくよかな味わいのワインが飲みたい。


 そう考えた瞬間、思わず俺は立ち上がっていた。そして何かに取り憑かれたようにふらふらと注文口の方まで向かい、メニュー表を指しながらワインを頼もうとした瞬間。


「すみませ――」


 横からすっと白い手が伸びてきて、俺の指を押さえた。そして半端強引に席に引きずり戻されると、


「お酒は誕生日を迎えてから」


 サフィラがにこりと微笑む。


 その笑顔は柔らかいのに、有無を言わさない迫力があった。

 しかしその程度で怖気付くほど俺のワイン愛は軽くない。


「ちょっとくらいよくない?」


「ダメ」


「今年で15歳になることは間違いないじゃん」


「法律上ダメなものはダメだよ」


 彼女の発言は決して間違ってないが……。


「確かに公爵家となると法令遵守を求められるのかもしれないけどさ。俺は庶民だし、悪役だから。悪役なら飲酒はセットみたいなものだろ?」


 ほら、よくアニメや漫画であるじゃん。

 ラスボスがワイングラス片手に街を見下ろすシーン。


 あれを一回やってみたかったんだよ。めちゃくちゃかっこいいし。まじで憧れる。


 個人的には、彼らがどんなぶどう品種のワインを飲んでいるのか気になって仕方がなかったが、それは今後ゆっくりと紐解いていくとして……。


 せっかく悪役に転生したのだからやらなきゃ損である。つまり飲みたい。ワインを飲みたいのだ。


 そんな想いを込めて必死に懇願したのだが……、


「ダメ」


「そこをなんとか!」


「いくらアスクくんでもダメなものはダメ」


 どんなに説得しても彼女は首を縦に振らなかった。

 彼女は意外と真面目な性格なのかもしれない。


 でも真面目にしてはちょっと発言が過激すぎるんだよなぁ。過激というか、重たいというか。


 まあでも彼女は公爵令嬢だし。この領土において公爵令嬢の言葉は重くて当然なのである。


 ――彼女の発言は命より重い。

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