【急募】限界集落のモニターツアー。謝礼5万。ただし…

@now543

幸運のツケ①

 額の傷が疼いたのは、雨の匂いがしたからだ。坂本健司は、無意識に前髪をかき上げ、そのケロイド状の皮膚を指先でなぞった。


 三ヶ月前のあの日も雨だった。高速道路での多重事故。大型トラックの横転。プレス機のように潰れた前後の車。

 四人が死んだ。即死だった。その鉄屑のサンドイッチの中で、坂本の車だけが、物理法則を無視したかのように無傷で弾き出された。割れたガラス片が額を浅く切り裂いただけの、「奇跡の生還者」。


 だが、それは奇跡などではなかった。

 生き残って以来、坂本は感じ続けていた。自分は助かったのではない。「支払いの猶」を与えられただけなのだと。自分が生きている分の質量、誰かが死んだ分の空白。その帳尻を合わせる瞬間が、必ず来る。無意識にそう確信に近い何かを感じてた。


 その予感は、一枚のチラシという形で現れた。


『限界集落における儀礼文化の視察モニター募集。謝礼五万円。※過去一年以内に九死に一生を得た経験のある方は優遇します』


 怪しすぎる募集だった。しかし、金に困っていたフリーライターとしての現状と、何より「呼ばれている」という抗いがたい引力が、坂本を九州の山奥へと向かわせたのだ。



「――ここが、九久理村です」


 ワンボックスカーのエンジンが切られ、不快な振動が止まった。案内役の役場職員、岩田の声で、坂本は窓の外を見た。


 曇天の下、すり鉢状の盆地にへばりつくように黒い瓦屋根の集落があった。  湿度は異常に高い。車のドアを開けた瞬間、腐葉土と獣の脂が混ざったような、重たい空気が肺に入り込んできた。


「誰もいねえな」  


 同乗者の田所が、タバコを咥えながら降りてきた。くたびれたスーツを着た中年男で、借金取りから逃げるようにこのツアーに参加したと道中でこぼしていた。


「歓迎ムードってわけじゃなさそうだ」


 もう一人の参加者、派手なメイクの女性、ミキも、ヒールの踵を泥に沈めながら顔をしかめる。


「なんか臭くない?ここ」


 広場には、数人の村人がいた。農作業着を着た老人たちが、広場の隅で黙々と作業をしている。岩田が愛想笑いを浮かべて近づいていく。

「皆さん!東京からモニターの方々が到着されましたよ!」


 その声は、静寂に吸い込まれるように響いた。一人の老婆が、ゆっくりと顔を上げた。坂本と目が合う。


 その瞬間、坂本は「歓迎」という言葉がいかに的外れであったかを悟った。老婆の瞳は、雨水が腐って白濁した水たまりのようだった。坂本の皮膚の下、脈打つ血管や内臓の「鮮度」を、じとりと舐めるように検分したようだった。それは汚物を見る目」ではなく、日常の延長であるような、鮮魚店の魚の腹を押し、腐り具合を確かめるような、生々しく遠慮のない眼差し。


 老婆は足元の地面にぺっと唾を吐き捨てると、また手元の作業に戻った。他の老人たちも同様だ。誰一人として会釈すらせず、まるで坂本たちが透明人間であるかのように無視を決め込んでいる。


「……なんだ、あの態度は」

 田所が不快げに舌打ちをした。


「あー、すみませんねえ」

 岩田が慌てて戻ってきたが、その額には脂汗が滲んでいた。

「ここの人たちは、その、外部の人間を受け入れることに慣れていないんです。昔ながらの『穢れ』の思想が残ってましてね。外から来た人は、村の空気を乱すと信じているんです」


「じゃあ、なんで私たちを呼んだのよ」ミキが甲高い声で文句を言う。「五万円も払って、嫌がらせされに来たわけ?」


「いえいえ!だからこそ、なんです」岩田の声が、ふと低くなった。

「村の空気が淀んでいるからこそ、外から『強い運気』を持った人を入れて、空気を撹拌する必要がある。いわば、皆さんはこの村にとっての空気清浄機のようなものなんですよ」


 空気清浄機—。

 人間に対する形容とは思えないその言葉に、坂本は寒気を覚えた。フィルターは、汚れを吸着すればするほど黒く染まり、最後は捨てられる。


「さあ、宿へご案内します。あまり村人と目を合わせないように。刺激すると、何が起こるか分かりませんから」


 岩田に急かされ、三人は村の中を歩き出した。道幅は狭く、両側の家々の雨戸はどこも閉ざされている。だが、その隙間から、無数の視線を感じた。じっとりと背中に張り付く視線。それは「誰が来たのか」を探る視線ではない。「あれが今回の器か」と値踏みするような気配だった。


 坂本は不意に、道の脇にある古い石碑に目を留めた。 苔むしていて読みづらいが、そこには『奉納』の文字と、その下に小さな文字でこう刻まれていた。


『 厄 、此処より出ずるべからず。生きて入りし者、骸 となりて浄土へ還さん 』


「坂本さん、遅れますよ」岩田の声に、坂本はハッとして顔を上げた。


 案内されたのは、村外れにある一軒の日本家屋だった。宿舎だと言われたが、どう見ても違う。家の入り口には、紫と白の幕が張られ、玄関先には巨大な提灯が吊るされている。提灯には家紋ではなく、見たこともない幾何学模様――おそらくは呪術的な意味を持つ印――が描かれていた。


 そして、玄関からは、鼻をつくような線香の匂いが漂ってきていた。


「……おい、これ」田所が足を止めた。「葬式やってんじゃねえか?」


「ええ、そうです」岩田は事も無げに言った。「今夜は、村の大事な『送り儀式』がありましてね。モニターの皆さんには、これに参列していただくのが仕事です」


「はあ?聞いてないわよ」

「契約書にありましたでしょう?『村の指定する祭祀への参加』と」


 岩田は笑顔のまま、しかし目は笑っていない表情で三人を振り返った。「拒否権はありませんよ。この村に入った以上、儀式を済ませずに帰ろうとすれば、今までの『幸運』のツケが、一気に回ってきますからね」


 その脅し文句は、妙な説得力を持って坂本の胸に突き刺さった。 幸運のツケ。  そうだ、自分はここへ払いに来たのだ。


 坂本は覚悟を決めたように、その不気味な幕をくぐった。

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