一章二幕「日向の暑さ」
港町を満たす陽光は、その日、ひときわ鋭かった。
南国の水路が縦横に走るこの町は、炎竜の血を継ぐ者たちにとって天然の揺り籠である。水浴びし、薄布一枚で風を受け、熱を糧に生きる。
その中でアルジェントは、群を抜いて体温が高かった。炎竜の特性を、まるで一心に濃縮したかのように。熱に触れれば触れるほど力を増し、寒さは即座に命を削る。諸刃の体質だった。
けれど、その日の胸の高鳴りは熱のせいではなかった。
初めて任された大役。初めて立つ本当の舞台。
舞台袖に立つだけで、血流が心臓へ逆流してゆくような圧が全身を揺らした。
震える指先をどう握りしめても落ち着かない。
舞台中央で母が、ふとこちらを見た。
その短い視線だけで、合図は充分だった。
背後の大人たちが、いつものように背中を叩く。
だがその表情には、今日だけの深い肯定がにじんでいた。
アルジェントは息をひとつのみ込み、光へと駆け出していった。
演目は、町で古くから語られる一編──「怪我を負った人魚と、彼女を救った漁師の恋物語」。
照明が落ちる。
次の瞬間、世界が熱をもって弾けた。
炎竜の感覚が一気に開き、光と音と熱がアルジェントの内側へ雪崩れ込む。
言葉を発するたび、胸の奥で音が跳ね返り、足を踏みしめるたび舞台の板が脈打つように感じた。
漁師の告白、人魚の悲しみ、二人を隔てる種族の“違い”。
それでもふたりは寄り添い、困難を越えようとする。
愛を語るほどに観客の息がそっと寄り添い、舞台全体がひとつの大きな心臓の鼓動のように揺れた。
──世界が、自分を軸に動いている。
いつか大きな背中だと思っていた母が、小さく見える。
母の眼差しの奥に、確かに「成長した自分」が映っている。
その事実が胸に広がり、舞台上の彼を強く、自由にした。
結ばれた恋人たちが永遠を誓うとき、客席にも静かな祝福が満ちた。
その瞬間、アルジェントは生まれて初めて、
「自分はここで生きられる」
と、はっきり思った。
幕が降りると、胸の奥にぽっかり空洞が生まれた。
もう一度、舞台の熱を浴びたい。何度でも。
終わらないでほしい──そんな欲が喉の奥に残った。
だが物語には終わりがある。
閉じていく弾幕が、過熱した鼓動をゆるやかに冷ましていく。
劇団員たちが彼を囲むと、囁く声が降り注いだ。
「よくやった」「お前、光ってたぞ」「今日が最高だ」
頭に置かれた誰かの手が温かくて、泣き笑いが零れた。
やっと自分の居場所を掴んだのだと知った。
母が後片付けの指示を飛ばすと、仲間たちは舞台へ散っていった。
その余韻の中、母が静かに彼を呼んだ。
「アルジェント。今日で、あんたは一人前だよ。
……誰にも、半端者なんて言わせない」
母だけが知っている。
子供たちから向けられた嘲りも、大人たちからの哀れむまなざしも。
胸の奥の痛みごと、今日の言葉がすべて溶かしていった。
こらえていた涙が、ついに溢れた。
涙を拭かれたアルジェントは、照れ隠しに舞台装置の片付けへ向かった。
しかし、その最中──劇団のオーナー、ジェフが息を切らしながら駆けてきた。
「アルジェント……! お前に……これを……!」
差し出されたのは、高位貴族の紋章で封じられた手紙だった。
刻印の細工があまりに見事で、場の空気がひときわ静まる。
「これ、本当に俺に?」
「何度聞いても“アルジェントへ”の一点張りでな……。中身を読んでみてくれ」
アルジェントが封を切ると、筆跡は美しいが難解だった。
読みかねて母へ渡すと、彼女は目を走らせ──ふいに息を呑んだ。
「アルジェント……三日後、港一のホテル劇場へ招待してる。
それだけじゃない。“あなたを我が劇団へ迎えたい”って……」
言い終えたとき、母は涙をこぼした。
周囲の女性団員が慌てて支える。
アルジェントはただ、手紙の紋章を見つめて立ち尽くした。
──あの日、舞台の熱を知った少年は。
──この招待状によって、運命の観劇へと歩み始める。
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