第二話:元カノ襲来! ドラゴン怪獣ドラコ!!

樺太半島沖、秘密の海底洞窟


 大洗での別れから半世紀。ジーレックは、再び愛妻カメコと共に、冷たい樺太の海に潜んでいた。陛下の死という重い悲しみから立ち直るには時間がかかったが、カメコが作る新鮮なダイオウイカのタコ焼き(タコは入っていないが、ジーレックは気に入っている)と、彼女の甲羅の温かさが、彼の心を癒やしていた。


「あー、やっぱりここが一番やわ。あのな、カメコ、あのな」


 ジーレックは、カメコの頭を巨大な指で優しく撫でながら、ぼそぼそと語りかける。


「あのおっさん、最後はええ顔しとったんや。『愛の力』を信じろ、やって。ホンマ、最後まで面倒な宿題残しよってからに……」

「いい宿題じゃない。あなたの生きる理由よ」カメコは穏やかに返した。「もう、あなたは誰の戦争も終わらせなくていい。私とここで、静かに生きましょう」


 ジーレックもその言葉に頷いた。過去の歴史への介入はもうたくさんだ。これからはカメコと、タコ焼き屋の平和だけを守って生きていく。それが、亡き友との最後の約束を果たす道だと信じていた。


 ――その時、洞窟の壁に設置された緊急通信回線が、甲高い警報音と共に点滅した。


 ジーレックは不機嫌そうに身をよじった。


「なんや、せっかくええムードやったのに。またケンジか?  なん、タコ焼きの具材が切れたとかか?」


 通信に応答すると、ホログラム映像が展開された。そこに映し出されたのは、ジーレックの元サポート役だったケンジではない。若く、しかし真剣な表情をした、二十代前半の青年だった。


「ジーレック様! お久しぶりです。私は特務機関G所属、ハヤトと申します。ケンジさんの後任です」


ハヤトは、初対面の大怪獣を前に、緊張しながらも真摯に続けた。


「私の祖父は、ハヤタ。終戦直後に陛下と貴方を繋いだ、最初の特務官です」

「ハヤタの孫かいな……大きくなったな」

 ジーレックは、少し懐かしそうに目を細めた。

「で? なんや、急に。ワシはもう隠居生活やで。タコ焼きの話以外はごめんや」


 ハヤトは、グッと奥歯を噛みしめ、背後に映し出された首都東京の惨状の映像を見せた。


「冗談は……言っていられません!」


 ハヤトが差し出した映像は、東京の超高層ビル街で発生した、目を疑うような破壊の光景だった。巨大な翼が稲妻を呼び、高層ビルの窓ガラスを一瞬で融解させている。


「東京に、ジーレック様と同じくらい巨大な怪獣が出現しました。体長はほぼ同等、翼を持ち、雷撃を操っています。現在、都内の防衛システムは完全に麻痺、甚大な被害が出ています!」


 ハヤトは息を整え、最も重要な情報を告げた。


「その怪獣は……ドラコと識別されました。……ジーレック様の、かつてのパートナーです」

「ふぁ!? ドラコが暴れとるんか!」


 ジーレックの巨体から、全ての熱と活力が失われたかのように見えた。今カノの目の前で元カノが暴れているという、愛憎が絡む、最も個人的な戦いを強要されたのだ。


「誰の仕業や……言わんでもわかるで『ザ・ヴァイス』やろ!」

「はい! 洗脳されている可能性が高いです。奴らはドラコを使い、日本をユーラシア大陸を侵略する橋頭堡にしようとしています! どうか、力を貸してください!!」


 ジーレックは、顔をカメコに向けた。彼の目には、悲しみと怒り、そして、元カノを救うべきかという複雑な感情が渦巻いていた。


「カメコ…すまんな。やっぱり、ワイが行かな……」


 ジーレックの決意を察したカメコは、穏やかながらも強い口調で言った。


「行ってあげなさい。愛は、人を救う力になる。それを証明してきて。ただし……」

 カメコは、ジーレックの目を真っすぐに見つめた。

「お土産は要らないわ。元カノは連れて帰ってこないこと。それが一番のお土産よ」


 その言葉に、ジーレックは強く頷いた。


「わかっとるわ! ワイの愛はカメコのもんや!  ハヤト!  ワイは今から東京に向かう! ドラコに、愛とケジメの何たるか、骨の髄まで叩き込んだる!」


 巨大な咆哮が樺太の海底を揺るがし、ジーレックの巨体が、東京へ向けて全速力で進撃を開始した。大都会東京での、「元カノ対今カノの愛の試練」を背負った、史上最も情の厚い大怪獣バトルが、今、始まろうとしていた。



**現代、東京都心**


 「特務機関G」の若き特務官ハヤトによる緻密なルート誘導のもと、ジーレックの進撃速度は驚異的だった。彼は全生命力を加速に注ぎ込み、最短ルートである海路を猛進した。


「ハヤト、今どこや!?」

「まもなく東京湾突入です、ジーレック様! 横浜付近でドラコの熱源を捕捉!  彼女は現在、新宿を目指しています!」

「チッ、なんで新宿やねん! あそこはタコ焼き屋が多いんやぞ! 関西の味が壊されるやんか!!」


 ジーレックの私的な不満は止まらないが、その眼差しは真剣そのものだった。愛するカメコとの平和な生活を懸け、そして何より、洗脳された元カノの魂を救うために、彼は東京湾を割る勢いで進んだ。


 そして、ついに東京のビル群が眼前に迫る。


 東京湾を抜けたジーレックが上陸したのは、ビル群が立ち並ぶ大都会東京。

 彼の視界に飛び込んできたのは、地獄のような光景だった。

 空を覆う異様な紫色の雷雲。その中心を、巨大な竜の大怪獣、ドラコが旋回していた。彼女のかつての輝くような黄金の鱗は、まるで毒に侵されたかのように、禍々しい紫色に変色していた。その瞳には感情の光はなく、ただ破壊衝動だけが宿っている。


 ドラコの吐き出す雷撃は、周囲の高層ビルを黒焦げにし、ガラスの雨を降らせていた。


 ジーレックは、その悲惨な姿に、全身の熱線が逆流するような怒りを感じた。


「なにやっとんねん! ドラコォォォ!!」


 彼の咆哮は、ドラコの雷雲を一時的に引き裂くほどの衝撃波となった。


 ドラコは、旋回を止め、その紫色の瞳で地上を見下ろした。彼女の口元が、わずかに、しかし冷酷に吊り上がった。悪の組織『ザ・ヴァイス』の技術が彼女の知性を利用し、ジーレックに対する憎しみと破壊の欲望だけを増幅させていた。


「なに陰気な色になっとんねん!?  おまえ金色好きゆーとったやないか! ゴージャスやからってな!」


 ジーレックは、元カノの悲しい変貌を前に、敢えていつものように声をかけた。彼の関西弁の軽口は、単なるユーモアではない。それは、ドラコの洗脳下の意識に、かつての愛の記憶を叩きつける、唯一の武器だった。


 ドラコは、その問いに反応した。しかし、返ってきたのは、悲しい響きを持った、機械的な声だった。


「ジーレック……ターゲット・ロックオン。**金色……それは弱さの象徴。紫色……復讐の色。貴様が裏切った!」


 次の瞬間、ドラコの全身の紫色の鱗が激しく発光した。空を覆う雷雲が唸りを上げ、巨大な紫色の雷撃が、ジーレックに向けて放たれた。


「ちぃ! ホンマに容赦ないな!」


 ジーレックは、元カノの愛憎が込められた一撃を、自慢の放射熱線で迎え撃った。


 ――ドォオオオォン!!


 熱線と雷撃が交差し、都心の夜空に巨大な光の柱が立ち昇った。


 愛する今カノとの平和を守るため。亡き友との約束を果たすため。そして、洗脳された元カノの魂を解放するため。


 大怪獣ジーレックの愛と哀しみに満ちた、

 ――最初の東京大決戦が、今、始まった。



東京都心、新宿


 ジーレックの放射熱線と、ドラコの紫色の雷撃が激しく衝突し、夜の街に閃光が降り注いだ。ジーレックは衝撃で一歩後退しながらも、その瞳はドラコの変貌した姿に釘付けになっていた。


「ターゲット・ロックオン。排除。感情、不要!」


 ドラコは、再び冷徹な標準語で言い放ち、高層ビル群の影へと身を隠した。


 ジーレックは、その機械的な言葉遣いに、熱線のエネルギーを溜めるのを忘れてしまうほどの衝撃を受けた。


「なに東京言葉に染まっとんねん! おまんはバリバリの東北弁やったやんか!?」


ジーレックの脳裏に、かつてドラコと北の海で共に過ごした日々が蘇る。


「ジーレック、んだな! んだが、このイカ、なしてこんなに美味ぇんだべ?」

「んだ? だっちゃ、おめぇ、今日の熱線はちぃとぬるいでねぇか?」*


 プライドが高く情熱的でありながら、訛りが強くて感情豊かな東北弁を話すのが、ドラコという大怪獣だったはずだ。


「だっちゃ言うとったやん! あの、アツアツの東北弁が、なんやそんな冷たい東京言葉になっとんねん! それこそ、おまえの本心やないやろ!」


 ジーレックの叫びは、悲痛な響きを持っていた。言葉の変貌は、洗脳が肉体だけでなく、彼女の魂にまで及んでいることを示していたからだ。


「無意味な会話。ノイズと認識」


 ドラコは完全に感情を遮断し、翼をはためかせると、次の攻撃に移った。紫色の雷撃が、都庁ビルの尖塔を直撃し、巨大な破片をジーレックに向けて叩きつける。


「チクショー!」


 ジーレックは、飛来する瓦礫を熱線で焼き払いながら、怒りを爆発させた。


「ザ・ヴァイス……ワイの愛した女の魂まで、そんな陰気な思想で汚しよってからに!」


 ドラコが放つ雷撃は、ジーレックの肉体を焼いた。しかし、ジーレックが感じていたのは、肉体の痛みではない。愛する者の変貌という、心の痛みだった。


「ドラコ、ワイはカメコがおる。今カノ一筋や……せやけど、お前は元カノでも――大切な友なんや!」


 ジーレックは、ドラコの空中での動きを予測し、その巨体から噴出する熱線を**あえて地面に向けて**放射した。


 ――ゴオオオォ!!


 熱線はアスファルトを一瞬で蒸発させ、地下を走る水道管を破裂させた。新宿のど真ん中に、巨大な水蒸気の柱が立ち上る。


「ハヤト、なんか作戦とかあらへんか!?」


 地下の特務機関Gで待機していたハヤトは、ジーレックの意図を瞬時に理解した。


「了解! 今ならドラコさんに付けられ洗脳装置を探せます!!」


 ジーレックの狙いは、「目潰し」だった。冷静沈着なドラコの思考を混乱させる、彼なりの「関西式の奇策」。


視界を遮られたドラコは、一瞬の戸惑いを見せた。


「ノイズ……視覚情報、ジーレックはどこだ……」


 その一瞬の隙を見逃さず、ジーレックは空に向かって飛び上がり、ドラコの巨体を、力任せに抱きかかえて地上へと叩きつけた。


 ――ズドォオオォン!!


 二頭の巨怪獣が地面に激突し、東京のビル群が揺らぐ。


 ジーレックは、動けない元カノの顔を真正面から見据えた。紫色の瞳は、まだ憎しみに満ちている。


「聞けドラコ! お前が何を考えとるか知らんけど、ワイはお前の東北弁が好きやったんや! ワイの熱線で、その陰気な洗脳、全部焼き払うたるわ! ハヤト! はよ装置見つけてこんかい!!」



東京都心、新宿。大怪獣激突の地


 ジーレックは、地面に叩きつけられた元カノ、ドラコの顔を見据えていた。彼の口元は高熱で赤く染まり、熱線発射の最終段階に入っている。彼はドラコの「魂」を、洗脳から解放するつもりだった。


 その時、ジーレックの耳元の通信機から、ハヤトの焦燥した声が響いた。


「ジーレックさん!  敵の洗脳装置を特定しました!」

「でかしたでハヤト! どこにあんねん!? はよせんと東京が首都移転してまうぞボケ!」


 ホログラム通信の映像が、ドラコの背中を拡大して映し出した。


「洗脳装置が背中に! 黒い甲殻の隙間、第三脊椎のあたりです!  おそらく、『ザ・ヴァイス』が組み込んだ、精神制御用の小型炉です! あれを破壊すれば……!」


 ハヤトは、震える声で決意を告げた。


「我々のGファイターでドラコさんの気を引きます! ジーレック様はその一瞬の隙に、熱線を装置に命中させてください!」


 Gファイターとは、対怪獣戦用に開発された、人間が操縦する戦闘機だ。巨大な怪獣の真下で、彼らの注意を引くなど、自殺行為に等しい。


 ジーレックは、熱線を放つ寸前で動きを止めた。怒りに満ちた彼の目が、Gファイターに乗るハヤトを睨む。


「アホか!!」


 彼の関西弁の咆哮は、怒りの炎をまとっていた。


「危険すぎや! アホ、アホ、アホ!!  お前の爺さんに足向けて寝れへんやろうが!? 命大切にせーよ」


 ジーレックは、ドラコを抑えつけたまま、東京の街を見渡した。彼の熱線は、一点集中を誤れば、ドラコの体を貫通し、地下の重要施設を破壊する可能性がある。ハヤトの案は、人命を犠牲にして、最も確実な「装置破壊」を目指すものだった。


 しかし、ジーレックはそれを拒絶した。


「街は壊れるかもしれへんけど、ワイが全部やるで!」


 ジーレックは、ドラコを強く地面に押さえつけた。


「ひと様の命を賭けてまで、ワイは元カノのケジメつけたくないんや! 邪魔すなや、ハヤト! ワイの愛と技術を信じろ!」


 彼はハヤトの通信を強制的に切り、ドラコの背中の小さな黒い突起に、意識の全てを集中させた。


 愛する今カノのために、平和を願った友人のために、そして洗脳された元カノのために。


 ジーレックの口元は、限界まで熱線エネルギーを圧縮し、黄金色に輝き始めた。彼の熱線は、面での破壊ではなく、針のように細い「一点破壊」を求められた。


「ドラコ……ワイの愛が、お前の呪いを焼き払うたる!」


 彼は、一瞬の呼吸を整えると、全身の情熱を込めた一撃を、元カノの背中の小さな装置めがけて、放った。


 キュィィィィィィィン――――!!


 細く、鋭く、そして神業のような精度で放たれた熱線は、ドラコの分厚い甲殻の隙間をすり抜け、洗脳装置に直撃した。



東京都心、新宿


 ジーレックが放った、針のように細く研ぎ澄まされた熱線は、ドラコの背中の黒い洗脳装置に正確に命中した。


 ――キンッ!


 甲高い金属音と共に、装置は小さな火花を散らし、瞬時に融解した。


 装置が破壊された次の瞬間、ドラコの全身を覆っていた禍々しい紫色の鱗が、激しくスパークを放ちながら、みるみるうちに元の金色の姿に変わる。

 目元にあった冷酷な光が揺らぎ、まるで深い眠りから覚めたかのように、彼女の巨体が大きく震えた。


「あ……あづいっちゃ……!」


 紫色の鱗が完全に剥がれ落ちると、かつての情熱的な黄金の鱗が戻ってきた。ドラコの瞳から理性のない狂気が消え去り、代わりに困惑と混乱の感情が浮かび上がる。


 彼女は周囲を見渡し、炎上する高層ビル、黒焦げた都庁、そして自分を抑えつけているジーレックの巨大な顔を見て、口を開いた。


「なして……なしてこんなところにいるんだべ? わたす……わたす、何を……?」


 冷徹な標準語ではない。間違いなく、かつてのアツアツな東北訛りだった。


 ジーレックは、一瞬、全てを忘れて立ち尽くした。

 心臓が、ドクンと大きく鳴る。


「ドラコ――生きとんたんかワレ!」


 洗脳から解放されたドラコは、混乱しながらも、目の前の巨体をはっきりと認識した。


「お、おめぇ……ジーレックだっちゃ!?  な、なしてこんなところ……」


 彼女の混乱した視線は、周囲の瓦礫から、ジーレックの顔、そして彼の背後に広がる「燃え盛る東京の街並み」へと移った。そして、悪の組織に捕まったことを思い出す。


「ひゃぁ!? な、なしてこんなことになっちまったんだべ! まさか、わたす……わたすがこんなこと……」


 ドラコは、自分の翼がビルを破壊したことを理解し、罪悪感に打ちひしがれた。その拍子に、彼女は地面でジタバタと暴れ出す。


「ご、ごめんなさい……! わたし……だっちゃ、覚えてねぇけど……!  なんか、頭ん中が冷てぇ紫色でいっぱいになって……」


 ジーレックは、もはや怒りも、苛立ちもなかった。ただ、圧倒的な安堵が彼の全身を包み込んだ。彼は、ドラコを抑えつけていた手をそっと緩め、ゆっくりと立ち上がった。


「アホ、アホ、アホ! ビルが壊れようが怪獣には関係ないねん!!」


 ジーレックは、元カノに向かって、大声で怒鳴った。だが、その声は、泣き出しそうなほど優しかった。


「ホンマ、ワイを心配させよってからに! 無事ならそれでええねん! お前の東北弁、聞けてホンマに良かったわ!」


 解放されたドラコは、その巨体を起こすと、ジーレックの顔を恐る恐る覗き込んだ。そして、彼の顔が「心配でたまらない」という表情で歪んでいるのを見て、涙ぐんだ。


「どうしたんやしおらしー、ポンポン痛いんけ?」

「ジーベック……会いたかっただっちゃ!」


 彼女は、まるで巨大な子犬のように、ジーレックの分厚い首に自分の頭を擦り寄せた。


「おめぇ、何年ぶりだべ! あー、やっぱりおめぇは、太陽みたいにアツアツでいい男だっちゃ!」


 元カノは、洗脳が解けた途端に、東北の愛を全身で表現し始めた。


 ジーレックは、元カノの突然の「甘え」に面食らいながらも、その温かさに心が安らいでいくのを感じた。


「おい、ドラコ!  抱きつくなや、ワイの今カノに怒られるやろがい!」


 彼の頭の中には、カメコの「元カノは連れて帰ってこないこと」という厳命が響いていた。


 ジーレックは、東京での破壊的な戦いを終え、最大の目的である元カノの解放を果たした。しかし、彼の目の前には、「洗脳を解いた元カノ」という、さらに厄介で、個人的な問題が残されたのだった。


 東京での死闘から数時間後。


 ジーレックは、G特務機関の厳重な誘導のもと、洗脳から解放されたドラコを伴い、一路、樺太半島の海底洞窟へ帰還した。ドラコは東京の破壊に心から罪悪感を抱き、今はすっかり大人しくなっている。


 そして、海底洞窟の広間には、愛する妻カメコが、静かに、しかし全身から怒髪天の怒りを放ちながら、彼らを待っていた。


「お、おー、カメコさん。ただいまやで……見てみい! ドラコ、無事やったんや!!」


 ジーレックが緊張した関西弁で報告すると、カメコは甲羅を震わせ、ゆっくりと前に進み出た。


「ジーレック?」


 カメコの低い声が洞窟に響く。


「私、なんて言ったかしら? 『元カノは連れて帰ってこないこと』が、お土産だって言ったわよね?」


「ち、ちがうねんカメコ! これは『保護』や! 『洗脳解除後の保護観察』ちゅーやつや! あいつ、今、心がドン底やから、さすがに一人で帰すわけはいかんやろ……?」


 カメコは、ジーレックの言い訳を遮るように、隣に立つドラコに向き直った。


「ドラコさん。わたくし、カメコと申します。あなたのおかげで夫は大変な目にあいました。ご自分のしたことを、どうお考えですか?」


 ドラコは、萎縮したように首を縮め、いつもの東北弁で、甲羅に頭を擦りつけた。


「ご、ごめん……ごめんなさいだっちゃ……。わたす、頭ん中が紫色のドロでいっぱいで……でも、二度とこんなことはしねぇだべ! ジーレックはカメコさんのいい旦那だっちゃ!!」


 ドラコの素直な謝罪に、カメコの怒りも和らいだ。しかし、彼女はジーレックに視線を戻した。


「ジーレック? ケジメは愛でつけられたかもしれない。でも、私は貴方の『情』が怖いのよ。私を置いて、『出稼ぎ』に行って、元カノを連れて帰ってくるなんて……もう二度としないでね」


 ジーレックは、冷え切ったカメコの眼差しに耐えきれず、まるで人間のように背中を丸めて謝罪した。


「ホンマ、ごめんなさいや! もう、絶対にせーへん。カメコの言うこと絶対や!」


 かくして、「日本の守護神」は今カノと元カノの狭間で、厳しく説教されるという、史上稀に見る屈辱的な時間を過ごすことになった。


【第二幕:ザ・ヴァイス、悪魔の閃き】


 その頃、地球上のどこか、厳重な地下要塞に、悪の秘密結社「ザ・ヴァイス」の幹部たちが集結していた。


 司令官である『ドクター・ネモ』は、モニターに映し出された、東京で破壊され尽くした洗脳装置の残骸を拳で叩きつけた。


「クソッ! あの関西弁のトカゲめ!  我々の思想制御技術を、ただの熱線で破壊しやがった!」


 作戦室の空気は重い。ドラコを失ったことで、彼らの日本侵略計画は頓挫した。


「このままでは、ジーレックという個人的な情を持つ怪獣がいる限り、日本を軍事利用することは不可能だ」

「どうする? 他の怪獣を探すか?」

「いや、世界中を探しても、ジーレックとドラコほどの破壊力と特殊性を持つ個体は……」


 誰もが次の手を打てずにいる中、部屋の隅で静かに実験データを見ていた、一人の少女が口を開いた。


 彼女は「ザ・ヴァイス」が擁する、若き天才科学者、『ドクター・エリス』。まだ十代後半に見える少女だが、その知性は人類の常識を遥かに超えていた。


 エリスは、真っ赤なメガネを押し上げ、冷たい笑みを浮かべた。


「簡単よ。作戦目標を変えるの。怪獣を、人間にしてしまえばいい」


 幹部たちはざわついた。


「…どういう意味だ?」

「ジーレックの巨大なエネルギーは、『巨大な愛』という感情に連動している。これは、我々の思想制御を超越する『情』というノイズを生む」


 エリスはモニターに、ジーレックとドラコの遺伝子配列図を表示させた。


「私たちが作る『洗脳怪獣』は、制御可能だが、ジーレックには勝てない。ならば、彼を『縮小化(ヒューマナイズ)』させ、彼らの巨大な力を、人間クラスの脅威にするのよ!」


 彼女は続けた。


「ジーレックを人間にしてしまえば、巨大な熱線は使えない。そして、人間のサイズと人間の肉体になれば、彼の情は弱点となる。人間の常識と人間の弱さという、二重の制御下に置ける」


 そして、エリスは、悪魔的な微笑みを浮かべた。


「彼らを人間に変え、そのまま叩けばいいのよ。人になった怪獣は怪獣じゃないわ。名付けて…オペレーション・ヒューマノイド!」


 その恐るべき秘策に、ドクター・ネモは戦慄しながらも、歓喜の笑みを浮かべた。


「面白い! 実行せよ、ドクター・エリス! 人類の守護神を、人類の玩具にしてやれ!」


 ジーレックとドラコは、平和を取り戻したと安堵したその時、怪獣の姿ではなくなるという、彼らにとって最も恐ろしい危機が、静かに迫っていた。

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