第十三話 偶然を必然に変えるログと、オタクの矜持
屈辱的な「餌付け」から数分後。
私は人気のない中庭のベンチで、もらったチョココロネを完食し、ストローでパックのミルクティーを最後の一滴まで吸い尽くした。
「……ふぅ。糖分充填、完了」
悔しいけれど、西園寺先輩の施しのおかげで脳のスペックは回復した。
血糖値の上昇と共に、思考のノイズが晴れていく。
────それにあの口どけ、もう一度食べたいなぁ。
いけない、切り替えないと。
「さて、仕事の時間ね」
私はスマホを取り出し、昨夜解析した「第3の鍵」の座標データをマップに重ね合わせた。
現在地は起眞高校。GPSの誤差は修正済み。
『KeyFragment:3/3 Location:Academic_Zone』
画面上の赤い点が指し示している場所。
そこは、現在地のすぐ裏手。
校舎の北側にひっそりと佇む、立ち入り禁止区域だった。
「旧時計塔」
かつてこの学校のシンボルだったらしいが、今は
「……ここ?」
私は塔を見上げた。
座標はピタリとここを指している。誤差はない。
だが、物理的な「鍵穴」や「端子」のようなものは、どこにも見当たらない。
あるのは、南京錠のかかった錆びついた扉と、沈黙した時計だけだ。
「おかしいわね」
私はカバンから、例の「ガラスのメモリ」を取り出してかざしてみた。
昨日の「黒い箱」のように、鍵に近づけば共鳴するかもしれないと思ったのだが。
……無反応。
ただのガラス板だ。
カバンに隠し持っていた小型ドローン『けんさ』を飛ばしてスキャンしても、異常な電波も磁場も検出されない。
「手詰まり……? それとも、埋まってるの?」
私が腕を組んで唸っていると、背後から声をかけられた。
「おや。また会ったね」
「げっ……」
振り返ると、またしても西園寺先輩だった。
彼は優雅に文庫本を片手に、散歩でもしているような風情で立っていた。
「……ストーカーですか? 通報しますよ」
「失礼な。ここは僕のお気に入りの読書スポットなんだ。静かだからね」
彼は眼鏡の位置を直し、私が独り言を言っていた時計塔を見上げた。
そして、何かを納得したように深く頷いた。
「……なるほど。君も、『聖地巡礼』かい?」
「は?」
私はポカンとした。
何を言ってるの、この探偵。私は世界の
「隠さなくていいよ。……無理もない」
彼はスマホを取り出し、ある「まとめサイト」の画面を私に見せてきた。
「ネットの考察班によると、来週放送のアニメ『ミラクル・コスモス』最終回で、主人公が『時空を超えた最後の奇跡』を起こす舞台……そのモデル地が、この時計塔だという説が有力なんだ」
「……え?」
その言葉に、私の脳内で電流が走った。
『 最後の奇跡 』『 時計塔 』『 来週の放送 』
バラバラだったピースが、パズルのように組み上がっていく。
私は慌てて、昨日の「黒い箱」の解析ログを脳内で再生した。
あの箱は、どんな物理攻撃も受け付けなかった。
だが、「アニメのOP曲」を聞かせた瞬間、自ら展開してメモリを吐き出した。
つまり、この文明のセキュリティは「特定の情報との同期」をトリガーにしている。
「……まさか」
私は時計塔を見上げ、戦慄した。
今、ここに鍵がないのは当たり前だ。
だって「まだ放送されていない」のだから。
本当にそんなことあり得る?アニメと現実がリンクしているなんて……。
でも、本当だったらなんて綺麗で……。
「……凝ったギミックだこと」
私は思わず言葉に出してニヤリと笑った。
このシステムの設計者は、とんだロマンチストか、あるいは私と同類の重度のオタクだ。
「……何か分かったのかい?」
西園寺先輩が、私の不敵な笑みを見て怪訝そうな顔をする。
いけない。ハッカーの顔が出てしまった。
私は慌てて、「感極まったオタク」の顔に戻った。
「い、いえ! さすが西園寺先輩、詳しいですね! そうなんですよ!」
私は両手を組んで、うっとりと時計塔を見上げた。
「最終回が楽しみすぎて、居ても立っても居られなくて……つい聖地の空気を吸いに来ちゃいました! ここでコスモスちゃんが奇跡を起こすんだって思うと、尊すぎて……ッ!」
「そうか。……その気持ちは、分からなくもないよ」
彼は私の迫真の演技に納得し、優しく微笑んだ。
……いや、半分以上は本音なのだから演技でもないのかも。
「来週の日曜日が待ち遠しいね。……風邪を引かないように」
彼は満足そうに頷き、読書に戻るために去っていった。
……危ない危ない。
私は冷や汗を拭い、急いで帰宅の途についた。
やるべきことは決まった。
だが、動くには「確証」が必要だ。
帰宅した私は、制服のままデスクに滑り込んだ。
「……確認しなきゃ」
探偵の勘は鋭いかもしれない。でも、私はハッカーだ。
「聖地だから」なんてフワッとした理由で動くわけにはいかない。
もっと確実な「デジタルの証拠」が必要だ。
私は魔改造PCを叩き起こし、例のメモリチップの解析画面を呼び出した。
注目するのは、暗号化された3つのデータ領域の「タイムスタンプ」だ。
「昨日は暗号強度に気を取られて見落としてたけど……」
私はログを走らせ、メタデータの深層を掘り起こした。
そして、表示された数字の羅列を見た瞬間、背筋が粟立った。
[ File_01 : Deep_Sea ]
Created At : 2025.10.05 - 22:30:00 JST
「……嘘」
私は震える手で、スマホのカレンダーアプリを開いた。
10月5日 日曜日 22時30分。
それは紛れもなく、アニメ『魔法少女ミラクル・コスモス』の第1話放送開始時刻だ。
続けて、2つ目のファイルを見る。
[ File_02 : High_Altitude ]
Created At : 2025.11.16 - 22:30:00 JST
「11月16日……第7話。コスモスちゃんが覚醒した『神回』の放送日……!」
偶然? いいえ、ここまで来れば必然だ。秒単位の一致なんてありえない。
そして、問題の3つ目。
私が今日、時計塔で空振りに終わった「第3の鍵」のデータだ。
[ File_03 : Academic_Zone ]
Created At : 2025.12.28 - 22:30:00 JST
「……ビンゴ」
画面に表示されたのは、「未来の日付」。
来週の日曜日。最終回の放送開始時刻。
私は椅子に深くもたれかかった。
すべての謎が解けた。
なぜ、時計塔に行っても何もなかったのか。
それは「隠されている」からじゃない。
「まだ、その時間になっていないから」だ。
このふざけたセキュリティシステムは、アニメの放送電波、あるいはネット配信のパケットをトリガーにして、リアルタイムで現実世界に「鍵」を生成するようにプログラムされている可能性がある。
「……やってくれるじゃない」
私はニヤリと笑った。
これはもう、疑いようがない。
この街の秘密は、アニメの進行と完全に同期している。
「いいわよ。受けて立つわ」
私はK-Worksのチャットルームを開いた。
これだけの証拠があれば、あの理屈屋のモリアーティ先生もぐうの音も出ないはずだ。
Fallen-Moon-Last-Garden:『第3の鍵の正体が分かったわ。……これは「予約投稿」された時限爆弾よ』
私は証拠のタイムスタンプを提示し、自分の仮説を説明した。
鍵は、来週の放送時間に、時計塔で実体化する。
Moriarty:『……なるほど。タイムスタンプが放送時刻と秒単位で一致しているのか。ならば、その推論は正しい確率が高い』
先生も納得したようだ。だが、ユダからすぐに冷徹な提案が返ってきた。
Iscariot:『いや待つ必要はないな。制作会社のサーバーに侵入し、完パケデータを盗み出せばいい。そのデータを使えば、今すぐ鍵を生成できるはずだ』
……出た。この効率厨め。
私はキーボードを叩く指に、怒りを込めた。
Fallen-Moon-Last-Garden:『お断りよこの裏切り者』
Iscariot:『なぜだ? リスクを最小限に抑えられる合理的判断だぞ、野菜畑ちゃん』
Fallen-Moon-Last-Garden:『それは「ネタバレ」だからよ!』
私はモニターに向かって熱弁を振るった───文字入力で。
Fallen-Moon-Last-Garden:『いい!? 私が制作会社をハックして、自分だけ先に結末を知っちゃったとするわよね?』
Fallen-Moon-Last-Garden:『それで? 私は謎を解いて満足して……放送日の日曜日、世界中のファンが「うわあああコスモスちゃんがー!」って盛り上がってる時に、私だけ冷めた目で「知ってるし」ってなるの?』
Fallen-Moon-Last-Garden:『そんなの、死んでもお断りよ!!』
感動は「鮮度」が命なの!
世界中のファンと同時に、リアルタイムで、あのカタルシスを共有する。
その瞬間の「熱量」こそが、私の魂の燃料なのよ!
Iscariot:『……やれやれ。お前の「オタクとしての矜持」は理解不能だが……本当にそれが正しいのか?矜持と世界の秘密を解く鍵、どちらが必要なのか』
Iscariot:『よく考えろ結菜』
言ってくれる、がユダのいうことも一理ある。
私の矜持と暗号、世界の秘密を解く鍵───どちらを優先するべきか。
それはもちろん。
Fallen-Moon-Last-Garden:『もちろん、矜持が大事に決まってるでしょ!?』
Iscariot:『……はぁ、お前がそれでいいならいいんだけどよ……、準備は怠るなよ』
呆れるユダと先生を無視して、私はチャットを閉じた。
「……待っててね、コスモスちゃん」
私は窓の外、闇に沈む校舎の時計塔を睨みつけた。
「そして、隠れオタクの西園寺先輩」
あんたが当日、どんな顔をして現れるか……。 それも含めて、楽しみにしててあげるわ。
こうして、私の「世界で一番長い一週間」が幕を開けた。
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