このハッカー、ネーミングセンス皆無につき。  ~都市伝説《K》の正体は、ミルクティーを愛する無自覚系女子高生~

R.D

第一部

プロローグ はた迷惑な『K』

 秋月結菜あきづき ゆいなは、起眞市立高等学校のブレザーの襟を正し、リボンの位置をミリ単位で修正した。


 鏡の前ではない。薄暗い部屋の中、六枚のモニターが発するブルーライトの前でだ。


 彼女は不登校である。


 だが、彼女にとって制服とは、学校に行くための服ではない。


 温度調節機能、耐久性、そして着ているだけで「自分は学生である」という社会的ステータスを保証してくれる、完全無欠の【装備】だ。


 だから彼女は、寝る時も、ご飯を食べる時も、そして――犯罪スレスレの行為に及ぶ時も、この制服を脱がない。


「……時刻は11時45分。ランチタイムのピーク直前」


 結菜は愛用のメカニカルキーボードに指を置いた。


 目的は一つ。


 中央区商店街にある名店『森崎喫茶』の限定オムライスが、まだ売り切れていないかを確認すること。


 このマンションから店までは徒歩十五分。


 もし行って売り切れていたら、往復三十分のカロリーと、対人恐怖という精神的摩耗が無駄になる。


 そんな非合理は、彼女の美学が許さない。


「ごめんね、ちょっとお邪魔します」


 タン、タタン、と軽快な打鍵音が響く。


 彼女がアクセスしたのは、森崎喫茶の店内にあるネットワークカメラ……ではなく、商店街全体の在庫管理を統括しているエリアサーバーだ。


 喫茶店のPOSレジデータだけを引っこ抜くには、こちらの方が早い。


 セキュリティは、彼女にとっては紙切れ同然だった。


 瞬く間にファイアウォールをすり抜け、『森崎喫茶_売上データ』を閲覧する。


「よし、残り四食。今すぐダッシュすれば間に合う」


 ガッツポーズ。


 目的は達せられた。あとはログアウトするだけだが、ここで結菜の奇妙な「律儀さ」が顔を出す。


 無断で人のサーバーに上がり込んだのだ。


 挨拶もなしに立ち去るのは、人として――いや、ハッカーとして失礼だろう。


「名刺代わりに、と」


 彼女はルートディレクトリのど真ん中に、空っぽの新規フォルダを作成した。


 フォルダ名は、自分のハンドルネームを一文字。


 『 K 』


 中身は空。ウイルスもメッセージもない。ただの「お邪魔しました」という合図。


 彼女なりの奥ゆかしいマナーだった。


「いってきます」


 結菜は満足げにサーバーから離脱し、財布とスマホをポケットにねじ込んで部屋を飛び出した。


 ――数分後。


 商店街の管理事務所がパニックに陥っていることを、彼女は知らない。


「所長! メインサーバーに侵入の形跡が!」


「なんだと!? ファイアウォールは機能していたはずだ、どうなっている!」


「それが、ディレクトリに……謎のフォルダが作成されています! 名前は『K』!」


「『K』だと……!? あの起眞市のKingを名乗っている都市伝説のハッカーか!?」


「Killerともいわれている伝説のハッカーですよ!」


「ファイルの中身は空です! ……くそっ、なんて挑発だ。『貴様らのデータなど盗む価値もない』というメッセージか、それとも『いつでも消せるぞ』という脅しか……!」


「『K』は虚無のKとも言われている……!データを消すという脅しかも知れないです!」


 ただフォルダが一つ作られただけ、だがそれがかえって不気味さを加速させる。


「犯行予告か!?とにかくネットに繋いでおくのは不味い!シャットダウンするんだ!」


「しかし所長!それだと各店のPOSは勿論、電子決済も止まりますよ!」


「だが相手は『K』だぞ!?その程度で済むなら御の字だ!急げ!データが消される前に!」


「はい!」


 その異質な存在感に恐れをなした管理者が、念のためにとサーバーを強制シャットダウンしてしまったのだ。


 結果として、商店街中の電子決済が一斉に停止する。


 そんなこととは露知らず、結菜はひらひらと制服のスカートを翻し、オムライスを目指して秋の空の下を全力で走っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る