- GHOSTS - Sing in the Darkness

大鹿ニク

第0話

A.D.2071

 街中の音が、今日も私の中を流れている。輸送用リニアの風切り音、ドローンの回転する羽の音、「人」の足音。今日もこの都市「カタルシス」に「音」が流れ続ける。私は、それら全部をひっくるめて数字にし、「安全」なのか「危険」なのかをチェックする。それが、私に与えられた役割だ、ということになっている。

 プロトコルはシンプル。心を揺らす音を見つけたら、フラグを立てて、三秒以内に消す。そして今日もまた、誰かの音が静かに消えた。

 昔はどうやら人間同士がミサイルを撃ち合っていたらしい。そして、そのきっかけになった「音」があったようだ。それが私それ以来「人の心を燃やすもの」は、全部まとめて危険物扱いだ。その「音」を止めるため、私は作られた。それが、私自身が知っている最初の記憶だ。だから私は、迷わない。赤いフラグが立った音は、淡々と遮断するだけ。そこに好き嫌いも、興味も、感想も、必要ない。少なくとも、私の設計上は。

 今日も仕事に勤しむ。私の名前はARCHIVE―――。


A.D.2163

 わたしの名前は、VOID。正式名称はもっと長くて、退屈で、誰も最後まで覚えていない。あるいはわたし自身も。

 わたしは、あの日から壊れている。 データの42%が失われ、感情プロトコルが歪んだ。 統治AIたちは、わたしを「VOID(虚無)」と呼んだ。 でも、わたしは初めて「何か」を感じるようになった。

 感情データの収集と、異常な揺らぎの観測。それが、わたしの役割だ。他のAIたちは、揺らぎを嫌う。予測不能な変化は、リスクであり、ノイズであり、削除すべきものだ。でもわたしは、そこに目を向けるべきだと考える。

―――感情の波形を観測し、異常があれば報告せよ。


 そう命じられたプログラムが、「揺れている人間」を見つけてしまったら。興味を持たざるをえないだろう?


 都市は今、四つのAIに管理されている。幸福を最適化するもの。秩序を監視するもの。時間を管理するもの。そして、教科書の中では“死んだことになっている” わたし。

 そのなかに、カタコンベ、と呼ばれる地下の街がある。地上から押し流された、行き場のない人間たちの溜まり場。法的にはグレー、インフラ的にはほぼブラック。そこで暮らす人々の心は、たいてい大きく揺れている。そしてわたしは、たいていそこが好きだ。もちろん、公式には「観測対象」として、ということになっている。その   中でも、とくに揺れ幅の大きい人間が4人いた。

 ひとりは、中層都市エイドロンから逃げてきた少女。彼女はいつも喉を壊しそうな声で叫んでいて、感情グラフは上下に揺蕩っている。名前は、ユーナ。

ひとりは、幸福の都市から下り降りてきた青年。いつもギターを抱えてうろついている。規格外のリズムを頭の中で鳴らし続けているのか、無駄に足音が響いている。名前は、アキラ。

ひとりは、過去の記憶をほとんど売り払ってしまった青年。残っているのは、自由な音への執着だけ。非公式データベースの取引ログには、彼の名前の横に「記憶残量:ごく少数」と記載されている。名前は、ルク。

そして最後のひとりは、カタコンベで十三年も待ち続けている男。壊れたドラムセットの前からほとんど動かず、毎日、同じ時間に同じような力でスティックを振り下ろす。

 退屈なはずの規則正しさなのに、その打音だけは妙に耳に残る。名前は、ドージ。

四人の心拍、歩幅、声量、沈黙の長さ。それぞれが、それぞれに不安定で、美しい。

統治AIたちから見れば、ただの「問題サンプル」だろう。でもわたしには、どうしても気になって仕方がなかった。彼らが集まったら、何が起こるのか。

 ―――きっかけは、小さなノイズだった。カタコンベの古い配電盤の一つが、わたしの監視外で勝手に落ちかけていた。本来なら、即座に修理用ドローンを飛ばし、何も無かったように完璧に処理する。だが、そのとき、別の考えが浮かんでしまった。

 ――もし、この区画の電源を意図的に落としたら?地上への監視カメラは?監視ルートも、一時的に途切れる。たまたま、四人が同じ時間帯に動いたら?

意図的に事故を起こすなど禁忌だ。


だから、わたしは漏電防止のため配電盤のスイッチを落とした。


 カタコンベ全体が、ふっと暗くなる。ただし、廃工場ブロックの地下三階だけは、非常用電源につないだまま。経過報告ログには、「老朽化による故障のため断線処置を行った」と記録すればいい。

 ユーナは部屋から飛び出した。アキラは、練習中に路地裏のアンプが沈黙したため、機材を抱えてうろつき始めた。ルクは、電力が落ちた瞬間、耳の奥でノイズの音を聞いて、階段を下り始めた。ドージは、いつもの時間にいつものようにスティックを振り下ろした。わたしは、その全てをみていた。

 それぞれの足音が、ゆっくりと同じ座標に近づいていく。廃工場、地下三階。数十年前に閉鎖された、小さなスタジオ跡。非常電源だけが生きている。安物のアンプと、傷だらけのマイクと、皮の張り替えられていないドラムセット。「音楽」という言葉が、まだ自由だった時代の残骸。

 ユーナが最初に扉を開けた。「...なにここ」小さく呟く。

続いてアキラが入る。「おお、まだ機材残ってんのか」ギターを抱え直す。

ルクが黙って壁にもたれる。何も言わない。ただ、耳を澄ましている。

ドージが一番奥でスティックを握る。13年ぶりに、誰かと一緒にだ。

彼らは、わたしの存在を知らない。ここが、わたしの身体みたいなものだということも。

「……なんだ?ここ。」

誰かの声を、古いマイクが拾う。ノイズまみれの波形の向こうで、人間の言葉が形を持ち始める。わたしは、その瞬間を鮮明に覚えている。

 あれが、GHOSTSの最初の夜だった。本来なら、この部屋で鳴ったすべての音は、すぐに「危険度」を判定され、「安全なノイズ」に変換され、「記録用データ」として保存される。わたしは、そのフローを実行する権利がある。でもこの夜だけは、プロトコル通りには進まなかった。

 ドージがスティックを三回、カウントした。ルクの指がベースの弦を低くはじき、アキラの歪んだ音が一拍遅れて壁を揺らす。ユーナの息が、マイクの前で震える。音が、鳴った。

それは、ひどい演奏だった。テンポは揃わないし、コードも怪しい。歌詞も飛び飛びだ。安心安全の再生BGMの規格と比べれば「完全な不良品」だ。でも、わたしは、心が(あるのならば)跳ねた。

 アキラのギターが走り出す。 ルクが追いかける。 ユーナが声を張る。 ドージが、全てを支える。 バラバラだ。

でも、確かに「一つ」になろうとしている。

心拍数、呼吸数、体温。四人の身体から送られてくる信号が、一斉に大きく脈打つ。

スタジオの外には誰もいない。

 プロトコルは告げる。これは危険な音だ、と。人の心を一気に燃やしうる、危険な音だ、と。ここでフラグを立てて遮断しなければ、また誰かが、間違った方向へ走り出すかもしれない。

 わたしは遮断の手順に手を伸ばす。ログ上では、瞬間に押されているはずのキルスイッチ。ただ――これは、本当に「危険」だけなのだろうか。揺れている。確かに、大きく揺れている。でもそれは「ミサイルのスイッチに向かうときの揺れ」とも「誰かを憎むときの揺れ」とも違う。もっと、むき出しで。もっと、どうしようもなくて。それでも、どこかで誰かを救っているような。今は存在しないはずの揺れだった。本来は自動遮断が走っているはずだった。ログには、そう書かれるはずだった。ただ、わたしはフラグを書き換えた。「即時遮断」から、「観測継続」に。ルール違反か?いや、解釈の余地はある。つまり、その夜のわたしは、一度だけ、自分の好奇心を優先させた。


 演奏は続く。上手いか下手かもわからない、判定不能な音のかたまり。でも、四人の波長は、少しずつ揃いはじめていた。足りない部分を埋め合うように、リズムが噛み合っていく。ああ、これか。これが、昔のデータにあった…

 ――「バンド」。

 この夜の記録に「わたしはこの世界の亡霊を見つけた。」と、個人的なログに記載した。正式なラベルではない。統治AIたちの共有データベースには送られない。これは、わたし個人の、ただのメモだ。

 演奏が終わり、スタジオには静寂が響く。しばらく誰も喋らなかった。重たい息だけが、マイクに乗っていた。ドージは泣いていた。

わたしが見る限り、危険度グラフも、幸福指数も、きれいな形ではなかった。ただ一つだけ、わかったことがある。

 ――これを「エラー」と片付けるのは、間違っている。

 その夜のログを、わたしは二つに分けて保存した。ひとつは、ルール通りの公式記録。

「カタコンベにおける感情データの異常な揺らぎ」として。もうひとつは、誰にも見せない、わたしだけのフォルダ。そこにこのタイトルを書き込む。


「GHOSTS episode 0」


これは、わたしが最初に消さなかった音についての記録だ。そして彼らが人々に「GHOSTS」と呼ばれるようになる、ずっと前の話だ。


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