【カクヨム版】竪琴職人の秘めごと
紺藤 香純
第1話
Ⅰ
ライアは今日も、ビメイの工房にやってきた。
「初めまして、職人のお兄さん」
ライアの髪は、日の光を受けて金色にも銀色にも煌めく。そんな彼女を、ビメイは美しいと思う。初めて出会った頃も、今も。
「壊れちゃったの。直るかしら」
ライアが持ってきた竪琴を受け取り、ビメイは考える素振りをした。
「俺には難しい。他を当たってくれ」
ビメイが竪琴を返すと、ライアは気落ちする様子もなく、微笑んだ。初めて会った日のように。
「他が駄目だったら、また来るわ。黒髪の素敵なお兄さん」
ライアは無遠慮にも、質の悪くなったビメイの髪をぐしゃぐしゃと撫で、見ている方が不安になるほど軽い足取りでビメイの工房を去っていった。
ライアは今日も、ビメイの工房にやってきた。
「初めまして、職人のお兄さん」
ライアの髪は、日の光を受けて金色にも銀色にも煌めく。そんな彼女を、ビメイは美しいと思う。初めて出会った頃も、今日も。
「壊れちゃったの。直るかしら」
ライアが持ってきた竪琴を受け取り、ビメイは今日も考える素振りをした。
「俺には難しい。他を当たってくれ」
ビメイが竪琴を返すと、ライアは今日も気落ちする様子もなく、微笑んだ。初めて会った日と同じ反応だ。
「他が駄目だったら、また来るわ。黒髪の素敵なお兄さん」
ライアは無遠慮にも、質の悪くなったビメイの髪をぐしゃぐしゃと撫で、見ている方が不安になるほど軽い足取りでビメイの工房を去っていった。
近所の青物屋の主人が、自分の店を離れてビメイに物申してきた。
「ビメイさん、勘弁してくれよ。一度で良いから、がつんと言ってくれよ。あんたは優し過ぎる」
青物屋の主人は、悪い人ではない。稼ぎの少ないビメイに野菜や果物を分けてくれる、お人好しだ。二言三言多いのは、昔から変わらない。
「そもそも、この国がおかしいんだ。今の国王陛下が即位されてから、何もかもが変わっちまった。税金は増えるわ、老人は大切にされるわ……」
そこまで喋り、青物屋の主人は我に返った。
「そろそろ店に戻る。あんたも、体には気をつけなよ」
作業台に野菜を置き、青物屋の主人は去っていった。
日が暮れる前に工房を閉めて夕飯の支度をする。目が悪くなってからというもの、蝋燭の明かりだけで作業をするのが難しくなってしまった。近頃は、野菜を煮込んだ汁物と、雑穀の粥が多い。
蝋燭の明かりにすがって独りで夕飯を摂り、ビメイは懐古する。以前のビメイなら、手の込んだ料理をするのが好きだった。壊滅的に料理が苦手な妻に代わって、住み込みの弟子にも料理を振る舞い、妻や弟子の喜ぶ顔を見るのが楽しみだった。子がいないビメイと妻にとって、今や独立した弟子は我が子同然だ。
風変わりな少年もいた。十年前、居場所をなくした少年がビメイの工房に転がり込んできた。食べ盛りの少年は、蒸し鶏の料理をぺろりと平らげると、目を輝かせて喋るだけ喋り倒した。少年は医師ではないが医学に精通し、健康で生活することの尊さを語った。寝台で寝返りを打つこと、起き上がること、歩くこと、食べること、喋ること……何気なく行っている日常の動作が、実は人が健康でいられることに深く関わっている。寝たきりの病人や老人の体が黒ずみ、腐る現象を、少年は「
「体の向きを変えてやることで寝返りの代わりになり、褥瘡を防ぐことができます。それなのに、なぜ誰もやらないのでしょう。医師でなくてもできるのに」
腕を組んで悩む少年の姿が、ビメイは今も忘れられない。聡明な少年に目をまるくした妻の顔も、忘れられない。
夕飯を終えたビメイは、二階の自室の寝台に横になり、枯れ枝のように細く乾いた手で、白髪だらけの自分の髪を掻いた。
ビメイは竪琴をはじめとする弦楽器の職人だったが、今は楽器の修理をするに留めている。自分の技術は全て弟子に引き継がせた。
少しだけ眠り、目が覚めた。数年前から、ビメイの眠りは浅い。
勘を頼りに窓辺に寄り、外を見る。真夜中の夜空とは異なる濃い青色に染まった空に、思わず溜息がこぼれた。徹夜で作業に没頭した日、寝苦しくて早くに目が覚めた日、妻と語り合って眠る時機を逃した日、人生の中で何度か目の当たりにした、短い時間だけ空が神秘的に青く染まる現象を、この歳になってまた見るとは思わなかった。妻は、この空が好きだと言っていた。日の出寸前の、ぎりぎり夜の範疇の、
ビメイは窓枠に手をつき、鼻をすすって感情の濁流を抑え込んだ。忍耐力の無さと我儘で愛する妻を手放した後悔は、一年経った今もビメイの心を蝕んでいる。
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