第32話 ゆ。

 翌朝。屋敷の外は一面の白。雪がしんしんと積もり、世界が静けさに閉ざされていた。

 諒は寝ぼけた頭を起こし、自分の胸元を見下ろす。パーカーの中で、小さな蜘蛛丸が丸くなって眠っている。六つの濃い紫の目をゆっくり開き、諒を見上げた。

「……おはよう、蜘蛛さん」

 声をかけると、蜘蛛丸は小さく口を開け──

「……ゆ。」


 それだけ。

 諒はきょとん。

「ゆ……?」

 その瞬間、諒の体からふわっと気配が広がる。耳、尻尾、瞳の色──それぞれが一瞬ずつ諒の身体に重なるように浮かび上がる。

 りうの浅い青の瞳と垂れ耳。

 伶ケの黒い耳と黒いしなやかな尻尾。

 狐の鋭い銀の目と高貴な尾の気配。


 諒の声は、次にりうの口調になる。

「しゃべれなくなっちゃったの……? ゆ、って……それだけ?」

 続けて怜ヶが前に出て、諒の口を借りてため息を吐く。

「あぁ、ほんとに……言葉、ぜんぶ落ちちゃったんだね〜……」

 狐の気配が立ち上がり、諒の瞳が銀に変わる。

「冬の兆しであろう。想定内よ」 


 諒は胸元の蜘蛛丸をそっと抱き込み、顎下を指でつつく。

「このへん……くすぐったい?」

 くす……と撫でると──

 くるるるる……

 幼い猫のように、喉を震わせる。

 諒の口から二人と一匹の声が重なって漏れた。

「「「かわ……」」」

 狐だけが、ぎりぎり直前で踏みとどまり、

「……言わぬ。絶対に言わぬぞ」

 と言い張る。

 しかし諒の口は笑っている。


 喋れなくなったことに驚きはしたが──

 狐の言う通り想定内。先に聞いていた話だったし、抱えてしまったらもうどうでもよかった。

 パーカーの中で、小さな手が諒の胸をちょん、と押す。

「……ゆ。」

「はいはい、あったかくするね」

 諒が布をそっとかけると、六つの目がとろんと細くなり──

 すや、と再び眠りについた。

 りうの耳が諒の頭にふわっと現れ、嬉しげに揺れる。怜ヶの黒い尻尾が諒の腰でふわふわ揺れながら言う。

「かわいすぎ……今日はぼくが一緒にあっためる〜」

 狐が顔をしかめて諒の瞳を銀に染める。

「……落ち着け。押しつぶすぞ、貴様ら」

“諒の身体を通じて”三匹が入り乱れながら張り合い、パーカーの中では蜘蛛丸がくすぐったそうにもぞもぞ動く。朝の光が差し込む中、喋れなくなっても日常は賑やかで、温かかった。

 そして蜘蛛丸は──

 眠る時間がどんどん長くなっていくのだった。

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