第7話 純真の犬

 朝の光が障子を透かして、淡く差し込んでいた。諒の体は布団の上でゆっくりと動き、――けれどその動きには、どこか“諒らしくない”軽さがあった。

 

――おい、待て。勝手に出るな。頭の奥で諒の声がする。だが、それを押しのけて、明るい声が弾けた。

「蜘蛛さん! あそぼ、あそぼあそぼ!」

 その瞬間、諒の背中にふわりとした影が揺れた。髪の間から、クリーム色の垂れ耳がぴょこんと現れ、背後にはふさふさの尻尾が形を成す。瞳は浅い青に変わり、朝の光を反射してきらきらと輝いた。

 体の主導権を握ったのは“犬”だった。諒の体を借りながらも、その表情も仕草も、まるで本物の仔犬そのものだった。

 蜘蛛丸は薬瓶を整えていた手を止め、わずかに肩を落とした。

 「……またお主か。諒はどこへ行った?」

 「うーん、中で寝てる! ぼくが代わりに外に出たの!」

 「勝手な真似を……」

 そう言いながらも、蜘蛛丸は眉尻を下げる。犬が走り寄り、足元をくるくると回った。

「ねぇ、蜘蛛さん、遊ぼうよ! お座りでも、待てでもいいよ!」

 「……ならば言われた通りにしてみよ」

 蜘蛛丸が言い渡す。

 「座れ」

 「わん!」

 「待て」

 「……っ、わん!」

 「よし、とってこい」


 蜘蛛丸が手毬を放ると、犬は勢いよく廊下を駆け抜けた。滑って転び、また立ち上がり、手毬を抱えて戻ってくる。

 それを何度も繰り返すうちに、屋敷の空気がやわらかく変わっていった。犬は息を弾ませ、笑いながら言った。

 「たのしー! 蜘蛛さん、ぼく、これ好き!」

 「……そうか。ならばもう一度だ」

 蜘蛛丸は表情を変えぬまま手毬を拾い上げた。けれど、その頬はほんの僅かに緩んでいた。犬はその微笑を見逃さず、うれしそうに尻尾を振る。

 「蜘蛛さん、今、笑った!」

 「笑っておらぬ」

 「笑ったもん!」

 犬がはしゃぐ声に、蜘蛛丸の吐息が重なる。

 「……まあ、賑やかなことよ」


 だが、その声音には、以前にはなかったぬくもりが宿っていた。

 獣を苦手としながらも、無邪気な笑顔と生の熱に触れ、蜘蛛丸の心はまた少しだけほどけていった。

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