序章ー第5話 看病

内心、慌てながらやるべき事を再開する。

改めて身体を拭き、用意しておいた服を着せて布を変えた寝台に寝かせる。再び魔法で水の玉を作り出し水を飲ませた。脱水症状は恐ろしい。

その間に子ども用の解熱剤としてよく使われる粉薬を白湯で解く。柑橘類と茹でた野菜にハーブを併せたような独特な匂いが鼻を掠める。効果は高いが純粋な肉食獣人の子どもはこの匂いを嫌がって泣き喚くらしい。幼い頃の苦い思い出と味を思い出して思わず生唾を呑む。嫌がらなければ良いが…と半身を起こし彼女に薬が入ったコップを渡す。


「一気に飲めたら飲んだ方がいい」


とろみがあり口に残る味はお勧めできない。

彼女は頷くと一気にそれを飲み干した。

泣き喚くどころか落ち着いた様子で飲み終わった。


「……ありがとうございます」


肉食獣系統ではないのか、耐性があるのか…反応はなかった。念の為、水を再び与え返されたコップや脱がせた服などを回収する。

後で洗うとしよう。横になった彼女を見る。

薬を飲み、身体を清めて安心したのか辛そうではあるが容体は少し落ち着いたようだった。


「まだ辛いだろう。眠るといい」


俺の言葉に頷くと目を閉じ、やがて寝息を立て始める。次に目覚めた時、どうか元気でありますように…そんな祈りを込めて頭をそっと撫でる。


「おやすみ」


音を立てないよう部屋を出る。回収した物品などを片付け、念の為に吐瀉物の対策をしていると腹がなった。気が付けば夜も更けている…腹が減って当然か。仕方ないと調理場に向かう。普段なら適当に取っておいた焼き菓子を齧るが今回はそうはいかない。弱った胃腸でも食べれる料理を作りついでに夜食としよう。自分の分は胃に収め、彼女の分は温めるだけの状態にしておく。食欲がなければ俺が食べればいい。1時間とかからずに終えたそれらを後にして再び部屋へ向かう。


(熱は…先程より下がっている)


触れた額は熱さはあるが明らかにぬるくなっていた。薬がしっかり効いたらしい。

ほっとして全身から力が抜けた。思わずその場に座り込む。自分は相当、緊張していていたようだ。それと同時に眠気が襲ってくる。


(何かあった場合に備えて今夜はここで寝るべきだ)


半ば根性で立ち上がり毛布に身を包んで椅子に身体を預ける。睡魔に身を任せ目を瞑った。聞こえるのは呼吸音と緩やかになっていく自分の鼓動だけ。それに耳を傾ける。
















眠っていた意識を何かが揺さぶる。

小波のように寄せては返す音だ。


(聞き慣れない…それでいて懐かしい…古い、そうとても古い響きの言葉だ。そして心臓の音…)


あぁ…これは父の鼓動と歌声だ。本当に幼い頃、自分を包んだ懐かしい音。眠る一歩手前の意識の中で響いていた懐かしいそれ。父はとても歌が上手かった。眠る母の腕の中で寝付けない俺に父はいつも歌ってくれた歌。それはあまりにも古い言葉で意味はわからなかったけれど、確かに俺を優しく包んでくれていた。夢の中の父が何かを言う。


「ーーー、ーーーーーーーーー」


俺が眠りに着く最後の瞬間、父は何時も何を言っていただろうか?















はっ、と目が覚めた。父の夢を見たのはどれ程前だろうか…と夢の余韻に浸る。目の前で寝ている子どもは優しい夢を見れているだろうが?そう思った矢先、彼女は小さく呻き声を上げた。


(熱がぶり返したのか!?)


慌てて近寄り額に手をあてる。その額はひんやりしていた。発熱が原因ではないらしい。どうやら悪夢を見ているようだ。のたうつ身体は自分を縛る悪夢から逃れようとしているように見える。


「いや………いや…」


必死に何かに手を伸ばしているその手を握る。

うっすらと開いた瞳は潤んでいて虚だった。

次いで聞こえた言葉に思わず俺は息を呑んだ。


「いかないで」


たった5文字の言葉。それは悪夢の原因に対しての言葉なのか、俺に対しての言葉なのかわからない。もしかしたら亡くなった父親に対しての言葉だったのかも知れない。ただ祈るように縋るように紡がれた言葉は哀切と絶望の色に染まっていた。今にも泣きそうなのに泣き方がわからない、と言いたげな瞳が俺を捉えた。徐々に目が覚めて来たのだろう。潤んだ瞳を見開いて握っていた手を離した。


「………ごめんなさい」


罰が悪そうに彼女は謝って布団に潜り込んだ。


「それは何に対しての謝罪だ」


悪夢に魘された自身の醜態を恥じているのか?

手を握って縋ってしまったことに対してか?

沸々と怒りが沸く。どうして何度も謝るのか。


「君は何故謝る?意味のない謝罪に価値はない」


子どもに対する態度ではない。だが、ここで踏み込まなければ何もわからない。


「…迷惑をかけてはいけないのに」


かけてしまった、と彼女は言った。その言葉に俺はようやく理解する。目の前の存在は病的なまでに他人に頼ることが苦手で、甘える方も碌に理解していないのだ。瞬間的に沸いた怒りを鎮める為に溜息を吐く。


「わかった。隣入っても良いか?」


「…?」


「一緒に寝る、と言っている。嫌なら断って問題ない」


そういえば混乱してしまったのか完全に固まってしまった。その混乱が治るまで待つ。


「………お願いします」


しばらくすると震える声で答えられる。伸ばされては引っ込められる手を握り返して彼女の隣に割り込む。半ば自暴自棄だった。そっとは動いたが俺の突然の動きに驚き、反射的に逃げようとする身体をそっと抱き込んだ。震えが収まるまで待ち語りかける。


「迷惑だどうのとか考えて良いのは大人の特権だ。君にまだその権利はない。むしろ不快だ…すぐに辞めろとは言わない。が、今後は控えるように」


腕の中で震えていた存在の頭を情けないくらい、ぎこちない動きで撫でてやる。かつて両親が自分に与えてくれた愛情をなぞるように目の前の存在に与えてやりたい、そう思った。


「弱っている姿を晒すのは嫌かも知れない。君の周りはそれを望まないかも知れない。だが…人は本来、弱いんだ」


葬式時に下品な男が言っていた通り、鍛治師に令嬢の面倒を見る資格はない。それでもゆっくり優しく、それでいて傲慢に俺は語る。これは正しい行動ではない。立場を弁えていないのだから。それでも腕の中にいる彼女を救いたいと心から思う。


「……少なくとも君が弱っている時、俺は受け入れるよ」


腕の中の彼女が少しだけ身体の力を抜い気がした。

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