番外編『フィーリアのもふもふ日誌』

 わたくしの名前はフィーリア・ルーン・シルヴァーナ。誇り高きシルヴァーナ王国の第一王女……だったはずなのだけれど、今のわたくしは、もふもふの銀狼。忌まわしい呪いのせいで、こんな姿になってしまった。

 あの日、森で深手を負い、もうだめかと思った時、わたくしを救ってくれたのは一人の人間だった。彼の名はアルク。最初は警戒したわ。人間なんて、信用できない生き物だと思っていたから。

 でも、彼は違った。わたくしに敵意を向けるでもなく、ただ優しく、温かいスープを差し出してくれたのだ。

 あのスープの味は、今でも忘れられない。王宮で食べてきたどんな豪華な料理よりも、ずっとずっと、心に染みる味がした。一口飲んだ瞬間、王女としての気品も誇りも、どこかへ吹き飛んでしまったわ。気がつけば、器に顔をうずめて夢中で飲んでいたのだから、今思い出しても顔から火が出そう。……まあ、狼の姿だから、顔が赤くなってもわからないのだけれど。

 アルクの優しさと美味しい料理に胃袋を掴まれ、わたくしは彼についていくことにした。彼が住んでいるという家は、森の奥にあるとは思えないほど立派で快適な場所だった。ふかふかの絨毯、温かい暖炉、そして何より、アルクが眠るベッドの心地よさと言ったら! こっそり彼のベッドに潜り込むのが、最近のわたくしの日課になっていることは、彼には内緒よ。

 アルクの作る料理は、毎日が驚きの連続だった。カリカリに焼かれたお魚、甘くてジューシーなお肉、瑞々しいお野菜のサラダ。そして、先日初めて食べさせてもらった『メロン』という果物! あの脳がとろけるような甘さと香りは、まさに悪魔の食べ物だわ。王女たるもの、はしたないとは思いつつも、もっと食べたいとねだってしまった。アルクは笑いながら、わたくしのお皿にもう一切れ乗せてくれた。もう、本当に……彼はわたくしをダメにする天才なのかしら。

 そんな穏やかな日々に、新しい仲間が加わった。セレスという、アルクの元仲間らしい魔法使いの女性。最初、わたくしは彼女を少しだけ警戒した。アルクを取られてしまうのではないか、と。でも、彼女もまた、とても心優しい人だった。わたくしの頭を優しく撫でてくれるし、アルクが料理をしている間は、一緒に遊んでくれる。今では、彼女も大切な家族の一員よ。

 そして、あの日。アルクが持ってきてくれたペンダントのおかげで、わたくしは人間の言葉を話せるようになった。ずっと伝えたかった感謝の気持ちを、ようやく自分の声で伝えることができた時の喜びは、言葉にできないほどだった。

『必ず君の呪いを解いてみせる』

 そう言ってくれたアルクの瞳は、とても真剣で、力強くて……わたくしは、思わず胸が高鳴ってしまった。王女としてではなく、一人のフィーリアとして、彼のその言葉が、何よりも嬉しかった。

 旅は、きっと大変なものになるでしょう。でも、不思議と怖くはない。だって、わたくしの隣には、世界一優しくて、世界一料理上手なご主人様と、頼りになる親友がいるのだから。

 それに、旅の道中でも、きっとアルクは美味しいご飯を作ってくれるはず。それを考えただけで、思わずよだれが出てきてしまうわ。いけない、いけない。王女としての威厳を保たなくては。

 でも、まあ、少しだけならいいわよね?

「くぅん……」(アルク、お腹すいたわ)

 わたくしがそう鳴くと、キッチンにいるアルクが「はいはい、今おやつにするからなー」と笑って答えてくれた。

 ああ、なんて幸せなのかしら。

 このもふもふの体も、アルクに撫でてもらえるのなら、まあ、悪くはないかもしれない。

 呪いが解けるその日まで、そして、解けた後もずっと、わたくしはこの温かい場所で、大好きな人たちと一緒に生きていきたい。

 そう、心に誓う、ある晴れた日の午後だった。

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