第2話 一投

「その服装……自警団か?」


 純白の警備服に黄金のバッジ。紛れもなく、秩序の維持に心血を注ぐ自警団の身なり。


「ああ。見回りをしてたら、偶然君を見つけてね。ところでその男、まさか……」


 自警団の男は、ジークスが葬った屍を指差した。

動揺の念を抱いているのか、心なしか彼の指先は震えている。


「まさか? コイツについて、何か知ってるのか?」


「コイツは『辻斬りのカイ』だよ。此処ら辺じゃ、かなり有名な人殺し。そんな奴を帰り討ちにするなんて、君は一体?」


 男は怪訝そうな顔つきで、ジークスの瞳をまじまじと覗き込んだ。


「そうだな、あえて名乗るなら……テメェをブッ倒す人間だぜ!」


 が、しかし。返答は男の予想を大いに裏切る物であった。

ジークスは禽獣きんじゅうの様な鋭い睨みを効かせ、ナイフを取り出した。


「な、何を言ってるんだい!?」


 突拍子も無いジークスの発言に、男は眼を右往左往させている。

冷静さが零れ落ちてスッカラカンになった頭を、無数の疑問符クエスチョンマークが埋め尽くす。


「今さっき、『此処ら辺じゃ有名』とか言いやがったな? 自警団の連中は、アイツらの街しか見回りしない。こんな汚らしい場所の事、微塵も知らねェ筈だ。テメェ何者だ?」


「お、俺は……」

「早く答えな!」


 怒り荒ぶる鬼神とでも見紛う程の気迫。

その圧を真正面から受けた男は、諦めの念を抱いて口のファスナーを開く。


「コイツの師匠だよォォ!! このド畜生が! 可愛い可愛い俺のカイを! よくもブチ殺しやがったなァァ!!」


 理性の欠片も無い半狂乱の罵声が、ジークスの両耳をつんざいた。


「なるほど……要するに、テメェは殺して良い人間って事か。」


 冷静沈着な声色だが、ジークスは両手で数え切れぬ程の懸念を抱いている。

相手の戦術は黒いもやの中。加えて、自身は先程の死戦による傷を負ったまま。

勝利を掴み取れる保証など、何処にも存在していない。


「許してくれカイィィ!! 俺がちょいと目を離したばっかりに……お前の仇は必ず討つからなァァ!? だから、だから天国でキャッキャ言いながら眺めててくれェェ!!」


 だがジークスの周囲にそびえ立つのは、すすを被った壁の群れ。

逃げの一手など通用しない。つまりは、再び覚悟を決めるとき


「いいや違うね。二人纏めて地獄でギャーギャー喚いてな!」


「ヘッ、ほざけェ!」


 万物を切り裂く、完全無欠の刃があったとして。

高台から銃弾を放つ狙撃手スナイパー相手に、果たして斬撃が届くだろうか。


「グアッ!」


 戦闘が幕を開けるや否や、放たれたのは投げナイフ。

ジークスの腕を無慈悲に貫き、その使命を全うした。


「見ろよカイの傷を! さぞかし痛かっただろうなァ。こんな真似するクソ外道には、血反吐ブチ撒きながら死んで貰わねェとなァァ!!」


 コートの裏からナイフを引き抜き、ジークスに向かって一発、また一発と刃を撃つ。

怒りで我を忘れているが、投擲とうてきの腕前は精密性を保ったまま。


「クソが……」


 たった今、ジークスと男の距離は僅か数メートル。

しかし、三途の川にさらわれつつあるジークスからすれば、その『僅か』が大海原に引けを取らぬ、途方も無い距離なのである。


 ましてや武器はナイフ一本。射程距離という評価の天秤に掛ければ、飛び道具との差は火を見るより明らか。


「詫びろよ。カイに向かって頭下げろよ。ドブ沼より汚ねぇこの地面舐めてェ! スミマセンの意思を心から示せよォォ!」


「分かったぜ……すみません。」


 風船の如く軽々しい、誰もが上っ面と認める謝罪。

謝罪という名のぞんざいな外殻を破れば、たちまち中身の『挑発』が顔を覗かせるだろう。


「ああ? それが人に謝る態度かよォ!?」


 案の定、男が血管を浮き出しながら怒り心頭に発した。

対するジークスは口角を吊り上げ、更なる怒りを焚き付ける。


「オイオイ……何勘違いしてんだ? 俺の『すみません』ってのは、テメェをブッ殺して『すみません』っつう意味だぜ! 覚悟しな!」


 釘を打ち付けられた藁人形の如く、無数のナイフが刺さっているジークス。

しかし彼の瞳は、人形では到底再現しようのない自信に溢れた煌めきを帯びている。


「威勢だけは一丁前。でも実力は下の下の下だろ? どうせカイに勝ったのも、運のお陰だろ?」


「運か実力か? んなモン今から分かるぜ。弾丸は一発……だがソレで十分だ。」


 これ以上の失血を避けるには、刺さったナイフを引き抜く訳にはいかない。

即ち第一投目かつ最終ラウンドとなる、命懸けのダーツが始まろうとしている。


「やってみなァ!」

「喰らいやがれェ!」


 目にも留まらぬスピードで振るわれた右腕が、空気をザシュンと切り裂いた。


「フン、軌道がバレバ……グエアアッッ!?」


 が。


「読んだな? 俺の動きを『読んだ』な?」


 土壇場で怖気付かず、全身全霊を賭けるジークス。

しかし彼の『賭け』とは、決して脊髄反射の全賭けオールインではない。

僅かな隙を見い出し、その抜け穴にチップを流し込む。それが彼のスタンスだ。


「なッ、なッ……!!」


 側からすれば、ジークスの行動は滑稽極まりないだろう。

彼を仕留めんと殺気立つ敵の眼前で、あろうことか素振りにいそしむとは。


「だが残念、一発目はハッタリだぜ。お前がアホみてぇに勝ち誇ったその瞬間、俺は初めて攻撃した。カイとかいう犬畜生は、どうやら実力負けの様だな……」


 練習が終わるや否や、あっという間に実践に移る。

それが功を奏したのかは知らないが、ジークスは見事成功を掴み取った。


「黙れッ! まだ終わってなァァい! 逃げるが勝ちなんだよマヌケェ!」


 目的の為ならば、己の矜持プライドをもかなぐり捨てる。

ソレを真の人間と呼べるかは不明瞭だが、そういった人間がこの世には存在する。


「チッ、待ちやがれビビり野郎! クッ……!」


 ジークスが負った傷の数。そんな物は、手の指、足の指を両方使おうと数え切れない。

心は男を追っている。身体は止む無く地に伏している。


「阿呆がよォォ! 一発で仕留めるだァ? 寝言ほざくのも大概に」


 グシャッ


「何ィ!? 一体、お前は……!?」

ジークスにとって、死体など見慣れた物体である。だが、くびの断面を見るのは。

 

 今この瞬間が初めてであった。


「……」


 漆黒の角、禍々しい鱗。紛れも無く、ジークスに接近しているのは悪魔そのもの。

男の千切れた首を咀嚼そしゃくしながら、鋭利な爪を備えた両足を一歩、また一歩と進めてゆく。


「向かって来るか……俺は容赦しねェぞ!」


 ジークスは咄嗟とっさにナイフを拾い上げ、その刃先を煌めかせた。

しかし活力が抜け落ちた彼の両手は、碌に動く事すらままならぬむくろも同然である。


「……」


 悪魔がジークスに駆け寄り、彼の身体に荒々しい右手を当てた。

次の瞬間、彼に刻まれた傷の数が変わった。正か負かで言えば、負の方向である。


「俺の傷が……治っただと?」

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