叛逆のマグネティカ 〜スラム暮らしの青年が異能力『磁気支配』に目覚めた結果、知らぬ間に最狂ヤンデレ達を引き寄せてしまった件〜

九災- 「磁力支配と最狂ヤンデレ」連載中

プロローグ 完全なる彫刻

「遂に、遂に見つけちまったなぁ。ヘッ、後は脅し吹っ掛けるだけか。」


 色褪せたローブを纏った盗賊が、ニヤリと下衆笑いを浮かべた。

彼にとってのビッグディナーは萎びたパン一切れ。紙幣を触った事など一度も無い。


 だが、今日の彼は憂いの対極に位置している。札束を暖炉にひょいと焚べる妄想に浸って、己の幸運を讃えていた。約束された栄光が待っている。そう信じて止まないのだ。


「金持ちのクセして見回り一人いねェ……馬ッ鹿だよなァァ。さてと、邪魔するか。」


 錆びた金槌の一振りが、ガラスの窓を豪快に叩き割った。パリンという断末魔が室内を埋め尽くす。しかし返ってくるのは、不気味なまでの静寂のみ。


「オイオイ留守かよォ! まさかの盗み放題か、最高だなァァ! そんでもって、作品……作品は何処だ? この部屋かぁ?」


 盗賊は泥塗れの顔面を火照らせ、ドアノブを勢い良く回した。すると、次の瞬間。


「な、なッッ!? 何だよコレェ!」


 真珠に負けず劣らずの艶めきを放つ、大理石の彫刻が彼を出迎えた。

『その全てが、同じ顔をした生首の彫刻である』事を除けば、大変喜ばしい歓迎だろう。


「気味悪ィ、全部同じ男の顔面じゃねぇか……ヘッ。こんなガキみてぇな脅しに、この俺が引き下がる訳ねェだろ! 大金掴んで酒樽を飲み干すッ! それが定めだァ!」


 無機質な視線の数々を浴びながら、盗賊は恐る恐るドアノブに手を伸ばす。

全身を伝う冷や汗が、盗賊のボロ切れにみてゆく。


「恐れはねェ! 行くぞ、行くぞ俺はァァ! ヘッヘッヘェッッ!」


 ぎこちない笑顔を貼り付け、盗賊は一思いに扉を開いた。

ソレが即ちパンドラの箱だとも知らずに、骨折り損の覚悟を絞り出したのであった。


「何ィ!? い、ッ!」


 白銀の髪をなびかせる、漆黒の角を生やした少女。

彼女は盗賊の狼狽に一切動じず、ただひたすらに彫刻へと己の魂を刻んでいる。


「お前だな? 彫刻一つが三億リロで売り捌かれる、とんでもねェ芸術家ザリカってのはお前なんだなァッ!?」


「……」

彫刻刀を振るうザリカの手には、寸分の狂いすら無い。

眼前で喚く卑しい盗賊など、彼女の世界には存在しないのだ。


「チッ、シカトかよ。てっきり人間だと思ってたが、まさか悪魔とはな。早く汚ねェ魔界に帰ったらどうだァ?」


「……」

ザリカはまたしても、先程と同じ男の顔面を彫っている。

優に百回を超える試行錯誤。だが完成品の出来に頷く日は訪れないだろう。


「おい聞いてんのかァ! コッチが会話を投げてんだろうがッ! 投げ返せェェ! 会話のキャッチボールをしやがれェェ!」


「……」

ザリカはとうに知っていた。自らのアトリエに欲望の奴隷が踏み入った事。

彼が彫刻を強奪して、一攫千金を狙っている事。


 しかし今のザリカにとって、盗賊など取るに足らない障壁である。

ソレすらも生ぬるく感じる程の苦悩が、彼女をことごとく蝕んでいるのだから。


「テメェは両腕にグローブでもめてんのかクソがッ! ヘッ、もう良いぜ。こうなりゃ、首の彫刻共を根こそぎ貰ってく。三億で売れた彫刻に比べりゃクソみてぇにショボいが、まあ……」


「なあ、なぁッ、なぁッ! 君、私の彫刻を侮辱したな? それにあの男第二の人生もだッ!」

トパーズ色の瞳を一心不乱に滾らせて、ザリカが盗賊に詰め寄った。


「いきなり何だテメェ! この俺に歯向かうってか?」


「金なら腐る程持ってるんだ、好きなだけ盗ってけば良いさ。だが私は! あんなつまらない紙切れじゃ絶対に買えやしない、唯一無二のモノを求めてるんだ! 分かったら邪魔をするなッ!」


 崇拝とでも評すべき歪な意志が、アトリエの空気を貫いた。


「何だお前? 随分と強がりやがってよォ。世界一の金持ちになる、この俺に楯突くとは良い度胸だぜェ! 覚悟しなァァ!」


 盗賊が錆びついたナイフを構え、ザリカにその凶刃を振りかざす。

対するザリカは溜め息を吐きながら、いとも容易く彼の一撃をかわした。


 そして遂に、美に取り憑かれた芸術家が処刑人となる。


「仕方無い、君の愚かさを教えてやるよ。アン・ドゥ・リロック! 『開錠』だ!」


 ザリカが盗賊へと肉薄し、彼の顔面に触れたその刹那。


「グエアアァ!! な、何しやがったァァ!!」


 突如として、小ぶりな鋼鉄の扉が盗賊の頬を突き破った。


「そいつは『精神の扉』だよ。君の思考も経験も、全ては扉の奥に詰まってる。じゃあ、ソレを無理矢理こじ開けたらどうなると思う?」


「知るかボケェ! そんなモン……」


 ガチャッ。


 ザリカが開いた扉の奥には、さながら宇宙の端を彷彿とさせる、黒くよどんだ濃霧が充満していた。だがザリカは一切の躊躇ためらいを示さず、扉の中へと華奢な右手を潜らせた。


「道端でブッ倒れてるガキの命よりどうでも良い、か。最低だな。」

「なッ!?」


 ザリカは盗賊の鬱陶しい喚き声を遮って、彼の思考をピタリと言い当ててみせた。

そして軽蔑の眼差しを彼に向けながら、皮肉めいた声色で吐き捨てる。


「はぁ……君みたいな奴を彫刻のモデルにすると、途中で手が出そうになる。余りにも本物ソックリに彫ってしまうからね。芸術の腕がうまいのも困り物だ。」


「だ、黙れクソアマ野郎!! 俺はもうチンケな盗賊じゃねェんだぞ? お前をブチ殺して大金を掴み取る、世界一幸運な男だぞ!? ナメた事をほざくなァァ!」


 盗賊は威勢を削がれた後、躍起になって己の卓越性を訴えた。

側から見れば滑稽極まりない、自身への過大評価だけは一丁前らしい。


「口を慎め負け犬が! 今なぁ、君の記憶を読んでる最中なんだ。集中させてくれ!」


 ザリカは底無しの苛立ちを募らせつつも、扉の中をひたすらに探っている。


「気持ち悪ィ奴……何の為にだよ?」


「『知識』だ。『知識』が作品に命を吹き込むんだ。ムカデの足は全部で何本ある? 人間の骨格はどうなってる? そういう知識こそが、芸術に閃きと説得力を授ける。」


「ヘッ、そうかいそうかい。無駄な労力だと思うが、精々頑張りな。」


『可憐な少女を思い切り殴ってスッキリした』『行商人を刺殺して小銭を強奪した』……


 具体例を挙げたら枚挙にいとまが無い、盗賊の腐れ武勇伝。

それらを端から端まで覗いたザリカは、愛想を尽かした様子で辟易の意を示した。


「はぁ。案の定、君みたいな奴は使い物にならないな。一つもロクな記憶が無いとは……もう用済みだ。私の邪魔をしたツケ、払って貰うぞ。」


「あ? テメェ、口だけは達者みてぇだな。もう容赦しねェ……ブッ殺してやらァ!」


 愚者の辞書に学習という単語は無い。盗賊は懲りずにナイフを取り出し、ザリカへと刃先を向けた。けれども彼は、ザリカの掌で踊る道化ピエロである。


「達者なのは君の方だろ? アン・ドゥ・リロック! 『施錠』する!」


 ザリカの細々とした人差し指から、漆黒の鎖が放たれた。

鎖は宙を切り裂いて、扉の奥に侵入した。即ち黒衣の死神が、命知らずをさらう刻。


「何だ、この感覚ッ……!? ア、ア……」


 盗賊の野太い声が、瞬く間にかすれていった。

燃料を喰らい尽くした焚火の如く、彼はジワジワと衰弱の一途を辿ってゆく。


「ああすまない、言い忘れてたな。私の異能はアレだけじゃない。精神の扉に鍵を掛け、行動を『禁ずる』力も持ってるんだ。」


「アガ、ア、ア。」

威勢良く響いていた罵声も、今となっては命朽ちゆく蝿の羽音。


「それでもって私は……呼吸する事を『禁止』した。要するに、君の余命はあと数十秒。悔いのない様に、遺言でも何でも書いとくと良い。」


「……」

反論の一声は返って来ない。窓から吹き込むそよ風が、ザリカの皮膚を撫でるのみ。


「なぁんだ。人間かと思ったら、ただの死体じゃないか。あっはっは! さてと、続きだ続き。こんな奴にこれ以上構ってられない。」


 ザリカは年季の入った彫刻刀を握り締め、物思いにふけりつつ刃を振るった。


「ジークス。君は何故、悪魔の私を信用した? 一体過去に何があった? そのワケを知るまで、私の作品は石に過ぎないんだ。いつか必ずや、君の全てという究極の『知識』を掴んでやる。世界一の芸術家として、一人の悪魔として……」

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