いいかいミザリー、僕の名をお聞き

四十住沓(あいずみ くつ)

Prologue

 深夜二時、僕はタクシーに乗り込んだ。助手席には既に先客がいる。男か女かも判然としない。見知った人間か否かすら判らない。顔のない先客を、僕はぼんやりと眺めていた。

 タクシーは宙を走るように静かで、揺れることもなかった。窓の外に視線を移すと、どす黒い空の下、街燈が煌めく箒星のように流れていく。次に足元に目線を遣ると、赤い糸巻きが一つ落ちていた。何となく恐ろしく、触れることが出来ない。

「ここで……」

 先客がタクシーを止めた。精算もせずにタクシーを降りていく。

 タクシーはそれからしばらく走り続けた。どこで降りるのか僕にも判らない。そもそもここはどこだ。東京のような気もするし、横浜のような気もする。

 タクシーが米軍基地に差し掛かると、何故かここで降りなければと思った。

「ここで降ろして下さい」

 運転手は答えずに走り続ける。

「ここで降ろして下さい」

 上がり続けるメーターが怖かった。財布を見ると、玩具の千円札が数枚だけ入っていた。

「ここで降ろして下さい。ここで……」

 それでもタクシーは走り続けた。赤い糸巻きは物言わぬまま床に鎮座していた。……

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