第三季「秋雨のコンチェルト」
第一節「灰雨のコンチェルト」
ドサ、と音がした。少年はその音で目覚めた。何の音だ、少年を起こした音は、地面に寝そべっていた少年の背中に地振動を伝わらせていた、相当の重量の物が相当の高度から落ちたのでなければ乞うまで強烈な音、振動を少年に齎しはしなかったろう、しかもそれが相当に少年に近くなければ、もしかして少年の真上に落ちそして少年の命を同時に奪ったであろう程の近距離で無ければ、こんな現象、少年の命を奪える威力を持った脅威がすぐ側でその脅威性を失った事を聴覚圧覚で知ると言う現象は起きなかった筈だ、そんな余りにも不自然な出来事、その出来事が齎した音、一体何の音なのだ。これが、生物で無かった場合、その物体はもはや原形を留めないほどに粉々になっている筈だ、だが先ほどの音は、ドサ、だった、物が壊れる時の音、ガシャン、だとかバキンだとかパリンだとかそう言う種類の、嗚呼、その物質は終ったのだなと言う事を示すその物質にとって一度限り許された音、究極破壊音では無かった。究極破壊音、それがもし生物の物だった場合、それも音と振動を与えるほどの或る程度の大きさ、少年の命を確実に無き物に出来る程の大きさの物だった場合、その音には、只の固形物が齎す無機的な音だけではない性質の音が含まれる事になる、それは、人間にとって、究極不快音とでも言うべき音、生物の砕けたのを予感させる音、比較的柔らかな物に包まれていた液体が、その柔らかな物が激しく破れ散ったが故に周囲に撒かれる時の音になる、その音は余りにも有機的なので言語で表す事は出来ない、言語の様に明快に発音できる領域ではない、悪魔の言語とでも言うべき、人には発声出来ない最悪の音階を持った死のカプリース、自由な発想の元に気まぐれで生物を無生物に変える悪魔の歓喜の狂想曲として人の耳に届く音だ。だが勿論、それはそんな音ではない、もしそんな音であれば少年は起きた時条件反射で目に涙を浮かべて軽い悲鳴を上げて首をそちらに直ぐ向けて手足はその場から、悪魔の鎌がいまだ己の首を狙っているのかも知れないという妄想から逃げる為にいつでも駆け出せる用意をしながら、即座に目で確認しただろう、人間が五感に不自由無い場合、その人が一番頼みとしてしまうのはどうしても目だ、聴覚や触覚は真剣な危機的状況に置いては視覚を働かせるきっかけにしかならない、何故なら人の命を奪うのは人の命を奪う物の予感ではない、人の命を奪う物と自分の距離が零になった瞬間、それが人の命を奪う。その予感を行使して、人は何とか人の命を奪う物と自分の距離が零に成らないようにしなくては成らない、その距離を自分の五感の中で最も確からしく測ることが出来るのは、人の場合は聴覚でも、触覚でも、勿論味覚でも嗅覚でも無い、視覚、目だからだ。だが、少年は見なかった、それがもう自分の命を奪える威力を喪失している事は明らかだったからだ。ドサ、と落ちた物質そのものが少年の首を狩る悪魔だとしたらそれはもうそれでどうしようもないが、少年の思考はそこまで自分の保身の事だけを考えるようには出来ていなかった。
少年は、やっと目を開けた。自分の居る場所が文化的な場所で、何か構築物が有ってその構築物に乗っかっていた何らかが少年の傍らに落ちたのだとしたらその物質はまだ壊れてはいないとしても可笑しくは無いのだろう、だが、予想通り、少年が寝ていた場所はそんな構築物とは全くに縁の無さそうな環境、草原だった。風を感じて、風に含まれる草の香りを感じて、少年は自分の居場所が自然と繋がった場所である事を目を開ける前から分かっていた。だとすると。ドサ、と言う音は変だ。草原に、少年の直ぐ横に落ちて来た物、それが落ち始めた場所は、空、そうとしか考えられないのだ。空から落ちてきた…何だ、鳥、飛び方を何かに狂わされて憐れにも落下してきた鳥か、しかし先程考えたように、これは単なる生物の落下激突音では有り得ない、と言うより、激突していない、激突したかも知れないが何かがその激突時の衝撃を緩和している、そう言う音だ。そして激突を緩和したのは、草原ではない、ここはそこまで豊かに草が衝撃緩和のクッションとして働くほどの生え方をしていない、つまり、降ってきた物質が自身で落下の衝撃を緩和したのだ。なんなのだ、自分の傍らに落ちてきた物体は、少年の目は遂に訳が分からない物への好奇心によって、動いた、その物体を確認すべく少年の気だるくいまだ覚め切っていない頭は目にその物体を見る事を命じた。見て、そして少年は一気に目が覚めてしまった。自分の隣に、少女が寝ていた。いや、これは、寝ていない、間違い無く死んでいる、しかし落下したのに何故、砕け散って自分の体に彼女の体液が飛散しなかったのだろう。そして気付く、彼女の体を包み込んでいる白いゲル状の物質に。そうか、この得体の知れないゲルが、彼女の体を崩壊から守ったのだな。しかし何故、守られたのにこの少女は死んでいるのだ?少年は落ちてきた物質の正体を確認しても、この出来事の訳が分からない事は相変らずだった。それでも、せっかく天から落ちてきて、その肉体が綺麗なままで済んだのだ。何処か良い場所を見つけて、この少女の体を休ませて上げよう、手厚く葬ってあげよう。そう決意すると少年は、立ち上がって彼女が降って来たと思しき空を見上げた。一部、灰色掛かっている。不自然に渦を巻いている部分がそうなのだが、だからと言ってそれを気にしようと思うほどの規模では無かった。その時少年の頭に何かが走った、灰色、灰色は何か眠りに就く前に自分に決意をさせた存在だった筈だった、一体なんだったろうか…しかし、それ以上を考えるのは今の呆けた頭では無理らしい。それを諦めると、少年は少女を抱きかかえた。ゲルが粘っこく彼女の体にへばり付いて来たので、少年はそれを足で切り落とした。このゲルも空中に存在した物だったのだろうか。一体、今空の灰色の中で何が起こっているのだろう。そう考えるうち、空からまた新たに降ってきた物が有った。灰色のゲルだった、いや、何故ゲルだ、普通空から降ってくる物は雨で無かったのか?少年は辺り一面にべちゃべちゃと降り注ぐ灰色のゲルに戦慄した。この光景から逃げなくては、そう思うと少年は、遠くに見える森の方へと駆け出した。少女の体が壊れなかったのは、この少女の体が余りにも軽いせいだったのかも知れない、等と論理的ではない事を、少女のか弱い体に思わされながら。
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