第2話 一色学視点

 高校に入って『ドラ○ン桜』を読み、「なるほど、東大進学も悪くないな」と思った時期もあった。だが、その想いは陸上に情熱をかければかけるほどにすっかりと消失していた。進学先は、名門にあたる瀬田にしようかとぼんやり考えていた。そんな俺に渡嘉敷が東大進学を薦めてきたのは何かの縁なのかもしれない。

 俺は自宅で受験勉強にひた励んている。先日の模試は全国偏差値74、東大理科I類合格判定A。悪くない成績だ。無言で走っている時もそうだが、黙々とペンを走らせている時も不思議な快感が得られるものだ。化学の問3を解いていると、ふと一昨日行われた高校駅伝のことを思い出した。



 11月1日、長野県高校駅伝があり男子は佐久東が27連覇を飾った。


第1区(10.000km)生方流斗(3)28.36(区間賞)

第2区(3.000km)小川剣心(3)7.58(区間新)

第3区(8.1075km)岸本和泉(3)23.19(区間新)

第4区(8.0875km)黒田清春(3)23.11(区間新)

第5区(3.000km)遠藤灯至夫(3)8.09(区間新)

第6区(5.000km)小峯伊吹(3)14.10(区間新)

第7区(5.000km)渡嘉敷遥輝(3)13.29(区間新)


 優勝:私立佐久東高等学校 1:58:52(大会新)



 この結果に他校は唖然としていた。2位の松本秀岳館とは15分差。はっきり言って化け物級の記録である。事実は小説より奇なり、とはこういうことを言うのか。他県の全国優勝候補のタイムを3分以上上回っていやがる。しかも、主力の荒井や俺を抜いて。渡嘉敷は大会前こう声をかけてくれた。

「一色は勉強が忙しいけんよ。予選は俺らに任せときな。大会新、飾ってみせるけんな」

 まさに渡嘉敷の宣言通りになってしまった。余談だが、唯一区間記録が出なかった1区の記録保持者は俺(2年生時)だ。去年初めて2時間切りを果たした、空前絶後の大記録が1年で塗り替えられてしまうとは。多分、実業団チームでもこの記録に迫るのは難しい。もう、走路の変更でもして俺らの記録を参考記録にしない限り、この記録が更新されることは未来永劫ないだろうと確信した。


 渡嘉敷とは摩訶不思議な男だ。おそらく、誰にも奴の本質を見出すことが出来ていない。陸上をとおして関係を深めたところで底が全く見えない。かけがえのない友で、戦友であるのだが、時々薄気味悪さを感じている俺がいた。

 渡嘉敷が長距離走に目覚めたのは中学3年生の冬、箱根駅伝を見たのがきっかけなのだという。

「どしても箱根駅伝優勝したかったけんよ。それで進路、佐久東に変えたんよ」 

 箱根駅伝を見て以降、受験勉強の傍らブラジル人の知り合いと一緒に毎日道路を走り続けたのだという。入学してからの練習についていけるように。ちなみに、最初に芽が開いたのがそのブラジル人のほうで、春先にあった市民マラソン10kmの部で優勝してしまったらしい。


 佐久東は長距離界の名門中の名門だ。渡嘉敷も入部してしばらくは体がもたず、道端でゲロを吐く姿がよく見られた。付け焼き刃の肉体ではしかたあるまい。早々に退部していった同級生の後を追うのではないか、と心配した。だが、入部したときに渡嘉敷の身体を見て、「長距離向きのしなやかな身体をしているな」とも思ったものだった。

 渡嘉敷が化けたのは1年の夏合宿を終えた後だった。それまで凡人程度だった奴の記録がうなぎのぼりに上昇し、一躍主力の仲間入りを果たしたのだ。諸星監督も「今までこんなに短時間で成長した選手なんて見たことがないし、今後も見ることがないだろう」と陸上雑誌の取材で語っていた。そして今、この世代の実質最強選手は渡嘉敷だ。……認めたくないが。

 この戦力なら、確かに箱根駅伝優勝も夢じゃあるまい。だが、学生連合でそれを実現させるとは……。どう考えても条件が厳しすぎる。だが、渡嘉敷が言うのだがら何とかなる気もしていた。


 渡嘉敷といえば、誰も奴を名前で呼ぶのを聞いたことがない。英語の渡辺先生も「サキ!ユーマ!カナエ!トカシキ!」と、何故か渡嘉敷だけを苗字で呼ぶ。

 ちなみに俺の名前は学と書いて「がく」と読む。読み間違えられた回数のほうが圧倒的に多い、我ながら不憫な名だ。小さい頃は「がく、がっくん」と呼ばれていたが、いつしか名前で呼ばれる頻度が少なくなった。漢字のとおり、秀才になってほしいと親がつけた名前で、陸上部では俺だけが進学コースに籍を置いている。

 今度呼んでみようか、渡嘉敷のことを名前で。「はるき」とさりげなく。そうしたから、奴の得体の知れない本質が少しは見えてくるかもしれない。どうしてだが、俺はそんな風に思えてならなかった。



 色々考え過ぎたな。年末には全国高校駅伝も控えているというのに、勉強に集中しないと。渡嘉敷は俺が東大に落ちたとき用の大学も用意してくれていたが、絶対に行きたくない。

 俺は赤本を開き、じっくり化学の問題に挑み始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る