エピソード・ジーク その3

 窓枠に額装された景色は黒に塗りつぶされ、時の

経過を明確に示していた。


 痛え。それしか考えられない。今身体にある痛みの

ない部分は"感覚のない部分"だけだ。かなり長い時間

治癒を施してもらったが、治癒の痛みに脳が耐え

かねて痛覚自体を遮断したんじゃないかと思って

しまう。神官が言うには数日で動けるようになる

らしいが、不安は拭いきれない。


 串刺しから目覚め、罪の告白をし、ボリスさん達は

家路に着いた。人のいる手前涼しい顔をしてはいたが

これは流石にキツすぎる。指の1本でも動かせば

呼吸を強制停止させられそうだ。今は親父が神官達に

夕飯を振舞っているようで、隣の部屋から食事の

匂いが漂ってくる。そりゃ、あれだけ長時間治癒

魔法をかけ続ければ疲れもするし腹も減る。今夜は

泊まり込みでオレの治療にあたってくれるらしい。

申し訳ないことこの上ない。


 あとは家族で何とかします。と、デニスは言った。

オレを気遣う言葉ではあるだろう。だが……


「そりゃねぇぜ……ちくしょう」


 あの時デニスがセリカを引き離してくれなきゃ、

確実にオレは死んでただろう。羽のもげた虫を甚振る

が如く、指先ひとつでオレの命なんざ弄べる。それが

今回はっきりわかった。人伝に聞いてた恐怖なんて

小麦の1粒だったんだ。


 自分より歳下の子供に命を救われた。自信だとか

自尊心だとか、そんなものは見事に砕け散った。

その上で、その気は無いとはいえ戦力外通告。かなり

堪えるぜ、これは。


 デニスの見事な推理を聞くうち、こいつには敵わ

ないと思った。徐々に追い詰めてくる理詰めの圧力、

背徳感を突き刺す視線。セリカとは別の種類の

恐ろしさを感じた。敵対心から出る言葉ではなかった

のが、救いといえば救いか。


 こんなかっこ悪ぃままで、終われねぇだろ。



「あぁ、もう大丈夫っすよ。ありがとうございます」


 神官2人が狼狽える。3日か?4日か?途中朦朧と

してたのもあってよく覚えてないが、オレは治療に

対して礼を言う。この村に神官は3人しかいないと

いうのに、オレ1人でそんなに独占している訳にも

いかないだろう。オロオロとする助祭が言う。


「あの、ジーク君……?まだ、表面が塞がっただけ、

みたいな所も所々あるんですよ」


「はは、上等じゃないっすか」


 オレは汚れた包帯を取り、気になる部分だけ新たに

新品の包帯を巻き直す。部屋を出ていった神官は親父

と何か話している。今の身体の状態とか、その辺の

事だろう。


 顔洗い用の小桶から水を掬う。指の隙間から溢れ

落ちる水量がいつもより遥かに多い。手や指に力が

入っていないのだと、その時初めて気づいた。


 洗った顔を鏡で見る。……多少はマシになった

じゃねぇか。なぁ、臆病者のジークさんよ。影から

見つめ返してくるよりは、今の方がだいぶいい顔

してる気がするぜ。



「あんな怪我の後で、もう大丈夫なんですか?」


 ボリス家の夜間警備に訪問すると、デニスが

心配そうな目で見てきた。鮮やかに思考を巡らせて

いる時の彼と違い、また小動物のような控えめさに

戻っている。二重人格とは言わないが、この子の

察しのよさは時折少年の域を出ている気がした。


「ああ。神官様々だ。もう動けるとなったら、いても

たってもいられなくてな。元はと言えばオレの行い

が発端だ。手伝わせてくれ」


 これがオレのできる精一杯だ。ここからは何日

だって夜警をするつもりだ。隠れ家に殴り込んで

直接止めるのも考えた。だが流石に、1人でどうにか

なる数でもない。でかい街や王都のように、犯罪の

取り締まり特権を持つ騎士なんかも配備されちゃ

いないから事情を話して協力を仰ぐ事も出来ない。

あったとしても、そんな物を頼れば真っ先にオレが

牢にぶち込まれるのは目に見えている。村の者を巻き

込んでスコイルを止めるのも危険だ。セリカや

クローケと対峙すれば全滅するのは言うまでもねぇ。


「よろしくお願いします」


 一家が全員オレに頭を下げる。……やめてくれ。

これは臆病風に吹かれた自分に課された当然の役割

だ。「やらせてください」とお願いするのは、むしろ

オレの方なんだ。言葉より態度や行動で示す。オレは

床に頭が着く勢いで腰を折り頭を下げた。


『殊勝なことじゃ。確かにだいぶ回復したようじゃが

まだ全快ではなかろう。体に鞭打つのも程々にのう』


 この口ぶりだとダガーさんにはバレてるな。まだ

体のあちこちがボロボロであることが。オレは

ダガーさんに頭を下げながら、心の中で言った。


(他の人には身体のこと、黙っててください。これは

オレのケジメなんです)


『…………』


 ダガーさんは何も言わなかったが、無言の了解と

捉えておこう。左親指の先から魔法の小さな火を灯し

葉巻に火をつけるボリスさんは、微妙にオレと目を

合わせない。甘い香りの煙を吐きながら、言った。


「さぁ、お前らはもう寝なさい」


 勝手口側の壁椅子を2つ横並びにし、窓を監視する

ようにどかりと座るボリスさん。空いている座席を

手でポンポンと叩き、「座りなさい」という仕草。

オレは、恐る恐る座った。


 ボリスさんはまっすぐ窓を見つめている。やっぱり

目線が合わないのは気のせいじゃない。ボリスさんの

心中は察することが出来る。エディの誘拐を依頼

されている集団に属する者が、自分の横で警備に

当たろうとしている。思うところが無いはずがない。


 無言の時間が流れる。気まずい。空気に押し潰され

そうな重さを感じる。耐えかねてオレは口を開いた。


「あの……ボリスさん。改めて、申し訳ありません」


「…………」


 謝って済む事じゃねぇ。そんな事はわかってる。


「……俺はな、ジーク君。君がどちらに行くのか、と

思っていたんだ」


 どちらに行くか……?どういう事だ?


「君の怪我が治った後、ハディマルの人々と縁を切り

スコイルの一派として完全に取り込まれる事を望む

のなら、俺は一切の容赦なく君を打ち倒すつもり

だった。だが君はここに来てくれた」


 ああ、なるほど。オレの中には全く無い発想だった

が、確かに周りから見ればそういう選択肢もある

ように見えるのか。


「もちろん、計画の一環で君がここに詰めるのが都合

がいい、という可能性もある。だから俺は、まだ

君を信用しきれない」


「そう……ですよね」


 突然ダンと肩を叩かれる。ボリスさんの大きな手、

そのまま握り潰されればオレの肩は弾け飛ぶのでは

ないかという迫力。


「俺に、信じさせてくれ。ジーク君」


 オレは、無言で大きく頷いた。テーブルに置かれた

蝋燭はゆらゆらと周りを照らしていたが、やがて

ボリスさんが葉巻を置くと共に、ピンとまっすぐ

上にその火を伸ばした。


 どれくらい経ったか。ダガーさんの声が頭に響く。


『ジーク。何か来ておる。起きよ、ナーシャ、デニス」


 一気に身体が緊張に切り替わる。まだなんの変化も

感じ取れない中、オレはボリスさんにダガーさんの

言葉を伝える。彼は用意していた薪割り斧を握り、

席を立った。


『デニス!さっさと起きよ。……なにか来ておる。

庭の入口方面じゃ』


 声に応え、デニスが飛び起きた。全員が壁際に

集まり、何が起こるのか神経を尖らせる。こんな

遅くに村人の訪問、なんて事もねぇだろう。


「流石ダガーさんっすね。オレらじゃ全然気づかない

っすよ」


「ダガー、魂はいくつ見えますか?」


 デニスが冷静に今必要な事を確認する。相変わらず

思考がオレより半歩前に進んでる。


『ひとつじゃ。いい度胸をしておる……じゃが……』


 ダガーさんが言葉を切ると、カラカラとなにかの

音がした。訪問時に見かけていた鳴子か。


『少し……怪我をしておるな……そして何をしておる?

よろよろしおって……そこまで深手ではあるまい』


 怪我?どういう事だ?敵の侵入というのは早合点

だったか?……いや、油断は大敵だ。オレは念の為

携帯してきたナイフを抜く。それほど大きな物では

ないが、人同士の喧嘩なら十分役に立つ。


 窓からは、仕掛けられていた松明がひとりでに

燃え上がるのが見えた。……どういう仕組みだ?

これもデニスが仕掛けたものか?次々と灯る松明は

妙な気味悪さを覚えた。


 ドンドンドンッと乱暴なノックが響く。

対応して強く心臓が脈動するのを感じた。


「誰だ!こんな夜更けに!」


「すんませェん……助けてください。道端で変な奴に

襲われたんすよォ……」


 ボリスさんの呼び掛けに応えたあの声……おいおい、

あまりに聞き覚えがあるじゃねぇか。酒臭い息の顔

が脳裏に浮かぶ。耳に入る度に嫌悪感を抱くその声

の主を、オレはおそらく知っている。


「その声……あんた、タンブルか……?」


 一瞬の後、追加のノックと共に返答が帰ってきた。


「あ……?ジークか?てめぇなんでこんなトコに……

いや、それより聞いてくれよォ!すぐそこで、

なんか変なやつが、いきなり……!」


 ……あいつならやりかねない。怪我人を装って

玄関を開けさせ、エディを奪って逃走、か……?

流石に考え無しにも程があるんじゃねぇか?

……いや、あいつならやりかねねぇ。馬鹿だし。

オレは小さく首を横に振り、考えを伝える。


「おかしいっす。タンブルがこんな所にくる用事が

あるはずが無い。リサイドからわざわざ来ると

したら……多分今夜が大当たりっすよ、ボリスさん」


 信じさせてくれ、と、言っていた彼の期待に

応えたい。その為なら頭領だろうとなんだろうと、

躊躇っている暇は無い。ボリスさんはオレの目を見て

無言で頷いた。


「なぁ、俺ァ怪我してんだよォ、助けてくれよォ。

他にも中にいんだろ?外はやべェんすよォ」


 ……おかしい。オレが中に居るとわかって、しかも

正体を暴かれて、なおこの下手くそな芝居を打つ

理由はなんだ?怪我人として油断させる計画が

成り立つとでも思ってるなら、相当に愚かだぞ。

既に室内は完全な戦闘態勢だ。全員がジリジリと

玄関に近寄り、ボリスさんが鍵を開けようとした

その時、さっき鳴ったのとは別の鳴子が鳴り響いた。

デニスが叫ぶ。


「ダガー!?」


『見えん!裏にヒトは居らんはずじゃ!』


 ……おぞましい光景が広がった。勝手口から

"屍人"の群れが雪崩込んできた。過去の記憶が蘇る。


 以前1度だけ見たことがある。配達で訪れた別の村

の墓地で、小さな葬儀が執り行われていた。オレは

馬車を停めそれを遠目に見ていた。柩に泣きつく男。

彼が突然柩に向かって手を翳すと、その蓋が砕け散り

中から女が頭を上げた。


 人を生き返らせる魔法なんて聞いたことがなかった

オレは腰を抜かしたが、その後目を疑った。参列者が

爆ぜるように逃げ出し、蘇った女はおもむろに男に

喰いついた。


 一瞬、再会を喜ぶ男女の抱擁だと思ったんだ。

でも"それ"は男が動かなくなるまで赤いモノを

撒き散らし、結局参列者の1人に"駆除"された。

魔術で亡骸を操る外法により生まれる屍人。それは

術者が未熟であれば操る事すら困難な、御しがたき

操り人形でしかない……


「し、屍人だっ!」


 ボリスさんの叫びにハッと我に返る。危機的な

状況は数瞬の間に悪化して、一家憩いの場は悪夢の

光景に変化していた。


「父さん、庭に出るしかない!」


 デニスが言葉を飛ばす。慌てて外に飛び出すと、

デニスはご丁寧に何らかの方法で玄関のドアを外から

封鎖した。全く、こいつの胆力はどうなってるんだ。

ほんとに15歳の子供か?


 静寂にひとつ、タンブルという異物が混入された

夜の庭。所々に灯る松明に照らされ、家の窓から

屍人の蠢く姿が見える。


 ふと辺りに妙な光が増える。松明じゃねぇ、

何だこの光は。青紫色の発光部分から、ヌルッと

人影が生まれた。


 ……おいおいおい、勘弁してくれ。


「お前ら……スコイルの……」


 お前ら、なんて現れ方してんだ。連中がこんな

事できるなんて知らねぇぞオレは。隠してただけで、

こいつらはこんな魔法が使えたのか?……聞いてねぇ

ぞ、そんなの……!


 最後に現れたクローケの姿を見て何となく察した。

これは多分、全部こいつの術だ。全員が全員同じ事

ができると考える方が不自然だ。となると、さっきの

屍人もこいつか、あるいはこの中の誰かの力か……


「だはははっ!旦那ァ!注文通りだろォ!上手く

やったろォ!へっへへへへ!」


 タンブルの耳障りな声が耳を汚す。あいつ、本当に

何やってやがる。……全員ではないようだがスコイル

の連中をこんなに連れて、子供1人攫うのにどれだけ

人間使ってやがる。


「御機嫌よう。善良なるモノ達。お初に

お目にかかります。私は魔術師のクローケ。

以後お見知り置きは結構です」


 クローケの嫌味ったらしく丁寧な挨拶が癪に障る。

玄関の封鎖が破られ、中の屍人もわらわらと庭に

流れ出てきた。どうやらかなりしっかりと操作され

ているらしい。オレが見た女の屍人とは違い、突飛な

動きはせずにお行儀よくオレ達を取り囲む。


 ふと、屍人の1人に目が止まった。見覚えのある

細い輪郭、よく被っていた帽子。ひょろ長い体型に

小ぶりな目……その瞳は白濁し、あさっての方向を

向いているが、どう見ても"あいつ"にしか見えない。


 音が遠のく。思考が止まる。目から入った絵が

頭の中で友人の顔と合致する。気弱で、腕っ節も

イマイチで、怖がりな癖にこんな集団に所属して。


 ……デニスがクローケを気にしている。デニスから

すれば初対面の謎の男だろう。オレは胸の内に暴れる

感情を押し殺して、説明した。


「前に言った依頼主マルトのお抱え魔術師、覚えて

るか?あいつがそうだ。いつも屋敷の中に控えてて、

薄気味悪い雰囲気を放ってる」


 デニスは一瞬考える素振りを見せたが、すぐに追加

の疑問を投げかけてくる。


「屍人のほうは心当たりありますか?」


 ……屍人を誰が動かしてるか、って質問なら十中

八九クローケだが、残念ながら確実には分からねぇ。

だが、屍人そのものや今"目の前にいる屍人"には……

同じく残念ながら心当たりしかありゃしねぇ。


「状況からしてあいつの術で作られたモノだろうな。

だが、それよりも……屍人の何人かは……確実に

スコイルの連中だ。……あの背の高い屍人、顔立ち

といい体型といい…………」


 オレはそんな些細なことよりも、この現実を

呪ってる。確固たる信念を持たず、いい加減な態度で

スコイルに属し続けた結果が、これだ。


「……確実に、フォルト。オレのダチだ……!」



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