第18話・根も葉も在る背中
入り組んだ路地を走る。僅かに白んだ薄明の空は
まだ人々に起床を告げはしない。ランタンが無くても
かろうじて目視できる街の様相は、昼間のそれとは
比べようもなく冷たく暗い。僕は先程のやり取りを
頭の中で反芻していた。
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「ケ……ケッヒャッ!何それ!冗談のつもり!?」
セリカはそう言って嗤った。我ながら大きく出た
とは思う。なんせ今まさに僕が言った"首を乗せる"
とは、"村人全員の命"と、"僕と再戦する権利"を両皿
に乗せた提案だ。なんて烏滸がましい。彼女の僕に
対する執着次第で、この天秤がどちらに傾くかは
決まる。
「面白いこと言うわ……やっぱりデニス君面白い」
僕の提案をひたすら嗤うセリカ。その横でダガーは
厳しい苦言を呈する。
『莫迦者!なんて事言っとるんじゃ!お前の親父に
子守りを約束したワシの立場を考えんか!自分から
命を投げ出すとはどういう腹積もりじゃ!』
頭がガンガンする程の強さで響く。確かに一見
馬鹿な取引だ。だが先程の話を聞いて、僕には少し
勝算があった。
彼女の天秤理論は確かにスジが通っているかの
ように見える。しかし根本的な要素があまりにも
おかしい。それがこの理屈の後に弾き出される結論
の異常性に繋がっている。
原因は、"皿に乗せられたモノの重さ"の基準が
セリカの価値観のみで定められている事にある。
命が片皿に乗っていれば対となる皿に何を乗せても
良いと断ずる時点で、本人の人権や人格が勘定から
漏れている。命のやり取りなら水平という理屈も、
運動神経、戦闘経験、体格差、全て度外視だ。
彼女の公平には、彼女自身の価値観という大きな
偏りが介入している事を、本人が"理解した上で"
良しとしている。
であれば、僕との再戦の重みはどうだ?普通に
考えれば戦闘能力の差は歴然。本来なら僕の首に
大した重みなど無い。でも、彼女の中では違うはず。
「村人が消されれば、僕はきっと絶望のあまり
木偶の坊と化すでしょう。己を責め悔やみ呪う。
でも、そこまでです。何かができるとは思わない。
……食後のお楽しみは、残っていた方がいいのでは?」
セリカの嗤いがピタリと止まる。
「……復讐のためにあなたが私を狙いに来る、とは
考えられない?」
「ありませんね。僕の心はそんなに強くない」
「何それ。自虐もいい所ね」
確かにかっこいい理屈ではない。でも、おそらく、
彼女には効く。ジークさんの話やクローケの焦りを
考えても、彼女は無敗だ。その彼女が、偶然に近い
形とはいえ負けた相手。そう易々と勝ち逃げさせる
はずはない。
「うん。まぁ、良いか。殆ど釣り合ったわ。でも、
あと一声、傾いてるのよねぇ。もちろん、何も関係
の無い奴らなら、何十人乗せようがあなたの首の方
が重いわ。……でもね、そいつらは"大切な人達"
なんでしょ?もう少しオマケが欲しいわ~」
この期に及んで厄介なことを言う。こんな血腥い
天秤があってたまるか。彼女はにこりと笑い言った。
「刃物ちゃん。お名前教えて?それでピッタリ水平よ」
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結局ダガーは名乗り、セリカは満足そうにどこかへ
飛んでいった。比喩でもなんでもなく、棘の推進で
街のどこかに"跳んで"いったのだ。生きた心地がし
ない。屋敷への到着を待たず心臓が跳ね回っている。
石の壁を抜け、ずんずん進むジークさん。セリカ
との遭遇でかなり精神が削られたが、それを理性で
強引に蓋しているのが見て取れる。……こんな道は
自分では通ったことがない。早足で器用に細い道を
通り抜け、道を塞ぐ樽を乗り越える。
『ジーク、附けられておるぞ』
「ああ、わかってる。……目的地はすぐだ。このまま
行く」
僅かに靄の残る石畳を早足で抜ける。道端には
酒瓶を抱えたまま眠る人々が、壁にもたれて微かに
寝息を立てていた。湿った空気と古い酒、治安の悪い
すえた匂いが入り混じり、狭い路地はどこも似た景色
に見える。村ではまず見ない光景に、前世の繁華街
早朝を想起した。
比較的大きな建物の前で立ち止まる。重厚な石造り
の家々の中にあって一際尊大な建物。庭は控えめ
ながら橙色の石壁は年月を経て鈍い光を帯び、屋根は
濃茶色の瓦で整然と覆われている。窓の額縁や扉の
彫刻は妙に華美で、家主の確かな富を示していた。
屋敷は静かに、しかし確固たる威圧感で街に鎮座
している。僕は、ここに次は1人で到着しろと言われ
てもできる気がしない。
「ここがマルトの屋敷……だが」
ジークさんの言葉が途中で止まる。ジャリっと石を
踏む音が背後から聞こえた。僕はダガーを引き抜き
構え、振り返った。
「まぁ……当然、お前らが出てくるよな。タンブル」
庭で見かけた下品な男。そしてその周りにも
ぞろぞろとスコイルと思われる青年達がいる。
「よォ。こんな所で会うたァ偶然だなァジークゥ。
俺ァ今、気分が悪くてなァ。2人ばかし殴りてェ
気分なんだわ。そしたらちょォど良いトコに
良いマトがあってなァ。ついてるよなァ俺ァ」
独特の嫌な発音に耳が拒否反応を起こす。こいつは
そもそもあの乱戦の中、逃げ延びられていたのか。
「良かったな。周りにいくらでも居るじゃねぇか」
軽口で返すジークさん。それを受けて息巻く
青年団の面々。ずらりと並んだ顔を見ていると、
見覚えあるものが散見した。エディ誘拐時は暗かった
ため完全には断定はできないが、庭で見かけた連中も
何人か混じっている。懲りない人達だ。あれだけ怖い
思いをしたというのに。
「デニス君……いや、デニス。お前は屋敷に入れ」
袖を捲り、ジークさんが1歩前に出る。両腕を広げ
青年団と向かい合うように立ち塞がった。まさかこの
人数を1人で留める気だろうか。無謀に思える彼の
行為に僕は思わず協力を進言した。
「いや、流石に無理ですって!僕もここで……!」
言いかけたところで、制止された。交通整備の
ストップを示すハンドサインの様に、僕の目の前に
彼の手のひらが開く。
「……お前、玄関でダガーさんになんて言われた?」
じくりと胸に刺さる。ジークさんの声は落ち着き、
そして鋭い。ダガーとのやり取りは当然覚えている。
お前が他を見極め、他を立て、他の機嫌を取る節が
あるのは別によい。それは誠実な配慮の賜物じゃ。
じゃがな、時にそれは信頼の低さともとれてしまう。
リフレインした言葉は今の状況と重なり、ジーク
さんの言葉の意味を深く理解した。
「オレの"存在意義"も、棚に置いてくれるなよ」
ややはにかんだ顔でこちらを見る彼の背中は、
とてつもなく大きく見えた。
「ここで奴らに背中を見せちまったら、今度こそ
本当に死んじまう気がするんだ。……だから、ここ
から先は通さねぇ。オレにはなんにも出来ねぇが……
引き下がる事も出来ねぇんだ……っ!」
気迫のある声に気圧される。1人の男のシルエット
が、大きな壁の様に見えてくる。この人には、いや、
この人だからこそ、僕は頼る必要がある。
「……お願いします!」
「……おう。任せろ」
振り返り、屋敷の入口へ走る。トンと力強く、背中
を押された気がした。
『ワシからも頼むぞ。ジーク』
ジークさんは何も言わず、防護壁に徹していた。
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夜の名残がまだ僅かに息づく空気。靴底が立派な
床板を踏むたび、重く乾いた音が壁に反響する。
揺れるカーテンの隙間から零れる朧気な光だけが、
この静寂の中、唯一呼吸をしているように思えた。
『デニス。何人か下で動いておる。……研究所という
のは、信用しても良さそうじゃな』
地下……おそらくそこに、エディも居る。
『じゃがその前に、大人の相手じゃ』
フロアの中央に聳える絨毯張りの階段。上階から
2人の男が降りてきた。1人は魔術師クローケ、
もう1人が、おそらく依頼主のマルト。小柄ながら
恰幅のいい男。背が高くほっそりしたクローケとは
対比の強い風貌だ。
「……青年団の者達が帰還した時点で、この展開は
必然でした。が、あなた1人で乗り込んでくるのは
少々意外でしたね。お父上はどうしましたか?お母上
は?彼らは自分達の息子を取り返す為に、出来の悪い
兄だけを寄越したのですか?なかなかの無慈悲です」
クローケの言葉が痛い。確かにエディに比べれば
僕の力は微々たるものだ。でも……それでも、僕は、
僕だ。エディじゃない。それを受け入れろ。
「クロちゃんクロちゃん。あの子はなんなんです?
あと、ワタシの屋敷を守るはずだった集団はどうした
んです?」
マルト……と思われる男が口を開いた。落ち着き
払って堂々としてはいるが、特に威圧感のような
ものは感じない。クローケはやや鬱陶しそうにして
いる。あくまでビジネス的な関係なのだろう。仲間
と言うには、纏う空気が違いすぎる。
「どうせなにか妨害を受けたのでしょう。あのような
モノ達、期待するだけ損です。それより私は、"上に
避難していてください"とお伝えしたはずですが、
何故わざわざ降りてきたのです?」
クローケの少し苛立った声を意に介さず、マルト
は見た目にそぐわぬ無邪気な動きで言った。
「いや、だって、侵入者見たいじゃないですか。クロ
ちゃん居るなら安全ですし。それに見てくださいよ、
あの青年?少年?身長は少しありますが、顔は幼い。
ギリギリイケそうですよ?ワタシ。いやね、ワタシ
から言わせれば12歳以上はみんなジジババなんです
けどね、それはあくまで見た目が大事でしてね……
って、クロちゃん聞いてます?」
クローケは懐から取り出した小瓶の液体を鬱陶しい
モノの周りに雑に撒き散らす。次の瞬間、シャボン玉
の様な物がマルトの周りを覆った。残った小瓶を薄膜
に向かって放り投げる。その瓶は膜との境界線で粉々
に砕け散った。
「見物するなら大人しくお願い致します。この魔法は
内側からの接触にも容赦がありません。敵前逃亡は
危険ですのでおやめください……なお、」
クローケの顔がこちらに向き直る。前回対峙した時
と違い、明らかに敵意をこちらに向け、構えている。
「……音も遮断されるため、私の声も聞こえません。
ご注意ください」
クローケの無意味な警告がマルトに届く事は
無かった。興味津々といった顔でシャボン膜を触り
接触点が爆ぜる。こちらから見れば無音の透明ドーム
で、独り掌に怪我を負うマルト。何を叫んでいるかは
分からないが、その1発で懲りたらしく、大人しく
見世物に興じる姿勢をとった。
何をしてくる?僕は咄嗟に前回同様、距離をとる
方向に頭の舵を切った。遠距離攻撃は無いか、広範囲
攻撃しかない。その予想であれば今回も有効だ。
流石に巻き込みたくない対象が存在しないとはいえ、
人の屋敷を倒壊させるような戦法には出ないだろう。
何よりここの地下には"クローケの"研究所がある。
なら余計大爆発などは無いはずだ。
『気をつけよ、デニス。クローケの魔法は才能による
行使では無い。つまり、ワシには一切知覚不能、
何をしているのかがわからんのじゃ!』
前回ダガーはクローケの術に魂が籠っていないと
揶揄した。彼の魔法は全て純粋な修練によるもの。
だがそれは、裏を返せば彼の手持ちは全てダガーに
対する特効魔術。彼女とクローケは相性が悪すぎる。
クローケがローブの上半身を脱ぐ。インナーには
3本のナイフがホルダーで携帯されている。眼前に
構えた人差し指。
「デニス君。君は前回私の事を非常に良く観察して
いた。そしてとても妥当な結論に至った。遠距離での
攻撃手段は私には無いと読み、距離をとりました」
何やら呪文のような言葉を口にすると、その指の
先から線を描く様に、黒い針状の物が成形された。
それが何を示すのか、思考を巡らせるその刹那、
僕の後方足元でカッという乾いた音が響いた。
思わず目をやる。持ち手の赤黒いナイフが、床に
浅く刺さっていた。
「……あ……!」
……察した。そして、察するのが一瞬遅かった。
瞬きの前には遠い位置にあったはずのクローケの
姿が、今この瞬間、背後にあった。
「……正解です」
人差し指に纏った黒い爪が、僕の脇腹にズブリと
喰い込んだ。
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