第16話・再起の嘶き
見慣れた天井が目に入った。窓から差し込む日は
だいぶ傾いており、濃いオレンジ色を帯びている。
白色の薄いカーテンが軽く揺れ、窓の隙間から
吹き込んだ風に乗ってそれが少し大きくはためき……
窓の端に着いた黒い血痕が目に入った。
ベッドから跳ね起きる。蠢く屍人の群れとの乱戦が
フラッシュバックし、血の気が引き呼吸が浅くなる。
僕は慌てて部屋から出た。普段食事を並べ家族が
集まるテーブル周辺は、乱戦の爪痕が色濃く残って
いた。砕けた椅子、木板を突貫で打ち付けられた
勝手口、割れた花瓶や食器の破片は流し台に集め
られ、床板は一部大きなひび割れが走っている。
そこかしこの破損と破壊が日常を汚染し尽くして
いた。炊事場には人もダガーも見当たらない。
両親の部屋に飛び込む。そこには、横たわる父さん
とジークさんの姿。椅子に腰掛けた母さんと、
父さんに治癒魔法を施す神官さん達。
「母さんっ!!」
目の下に薄ら隈を浮かべ、安堵に満ちた表情で
立ち上がる母さん。何か反応する間もなく柔らかな
抱擁に包まれた。
「良かった、無事で……」
「母さん、でも、エディが……!」
「わかってる。でも、あなたも見たでしょ。あの黒い
人は、エディを気絶させて攫って行った。たぶん
エディが生きている事が大事なの。だから、まだ、
あの子は生きてる……!そうでしょ」
母さんの体が震えている。温もりを纏った腕は
力が籠り、強く身体を抱きしめた。
確かにそうかもしれない。しかし……そうとも言い
きれない。最悪な想像だが、仮に身体の一部だけが
必要な場合でも、生体を保持できる仕組みが無ければ
対象の生け捕りは必須だ。そしてあの戦いからどれ程
経ったのか。それ次第で話がかなり変わってくる。
「父さんとジークさんの状態は!?僕はどのくらい
寝てたの!?ダガーは!?残ったスコイルの連中
は……!?」
一気に捲し立てる声に反応するように、ジークさん
がムクリと体を起こした。
「……ナーシャさん、すみません、長々とベッド
借りちゃって」
既に治療を終えているのか、ジークさんはある程度
落ち着いている。この前の焼き直しのような光景だが
明らかに彼の目つきが違う。フラフラと流される
弱さではなく、すべき事を見定めた覚悟が瞳の奥に
宿っている。
「オレから話そう」
ジークさんの話はこうだ。あの後、スコイルの
生き残りは居心地の悪さに耐えきれず、各々逃げる
ように姿を消した。見廻りの1人が連れてきた
司祭さん、助祭さんが治療にあたった。僕やジーク
さんの治癒は大方済んだが、父さんは屍人から毒の
ようなものを受けているらしく、治癒の進みが遅くて
まだ目が覚めていない。庭での戦闘から夜が明け、
再度日が沈みかける今に至るまでが淡々と語られた。
「見回りの人達がね、帰りがけに少し家の中を
片してくれたのよ。屍人の残骸も移動させて
くれてね……お母さん、ダメね。みんなに簡単な
食事を用意する事くらいしか出来なかったわ」
母さんが悲しそうに言う。
「それと……はい。ダガーちゃん、今寝てるわ」
やや鈍い輝きを放つ紫の宝石。母さんが差し出した
ダガーは、鞘も含め綺麗に磨きあげられていた。
最後に屍人の肉に刃を食い込ませた感触をまだ手が
記憶している気がする。
「ここ数日、あまり寝てなかったみたいなのよ。
夜は任せろと言っていたのよね?でも、昼夜問わず
気を張ってくれてたみたい。……デニスには言うな
って言われてたんだけどね、そこは、内緒になんて
できないわ」
知らなかった……昼間は極端に反応が希薄だった
ため、てっきり寝ていると思い込んでいた。……感謝
は起きてからしっかり伝えよう。
「デニス君。体は問題ないか?」
まだ痛む箇所はある。だが、父さんやジークさんに
比べればかなり軽傷で済んだようだ。僕は頷きながら
言った。
「大丈夫です。昏倒したのは……多分力の使い過ぎ
だと思います」
「ある意味良かったかもな。治療、痛いもんな」
へへへ、とジークさんが笑う。すぐにまじめな顔に
戻り、彼は話を進めた。
「デニス君、オレはリサイドに行く。君も来るか」
先に言われてしまった。だが当然そのつもりで
状況を確認していた。クローケの目的がなんであるか
分からない以上、早いに越したことはない。父さんが
動けるか否か問わず、僕はエディを助けに行く。
そんな僕らのやり取りを見て、母さんが制止した。
「ちょっと待ちなさい。あなた達だけで行くつもり?」
「うん……母さんは、父さんについててあげてよ」
大人がいた方が確かに心強いが、なるべく急いだ
方がいい状況で人数を集める事が出来るだろうか。
そしてまた乱戦となれば被害が大きくなる可能性が
高い上、リサイドという人の多い場でそれはまずい
気もする。
「あの、無理なお願いとはわかっているのですが、
力を貸していただけませんか……?」
母さんは神官の2人に助力を仰ごうとしている。
「母さん……今は父さんを診てもらった方がいいと
思う。もし目が覚めたら、父さんを連れて一緒に
応援に来て。……ダメかな?」
「リサイドにも神官は居ます。……安心してください
とは言い難いっすけど、エディ君を取り戻したい
気持ちは、オレも同じっす。早い方がいい」
神官は通常、各村や街に1ヶ所は聖堂を構え、
主祭、司祭の最低2人、規模によってそれに加え
助祭が数名詰めている。神事に加え治療を司る神官
が土地を離れるのはややリスクがある。少しの間
思案の時間を経た後、ため息を漏らして母さんは
言った。
「……わかったわ。ただし2つ守ってちょうだい。
絶対に無理をせず、困ったら大人の助けを待つこと。
……そしてもうひとつ」
母さんの足が炊事場に向かう。
「出発まではしっかり食べて、治療を受けて、回復に
努めること。いいわね?」
・
・
・
「本当は今すぐでも……」
夜風に触れながら、僕はジークさんに言った。
玄関から庭を見渡すと、昨晩の乱闘や連れ去られる
エディの姿が脳裏に浮かぶ。
「神官達も休憩が必要だからな……」
治癒の魔法も使い続ければ当然疲れが出る。僕が
滑らせる力を使い過ぎると体力を使い果たすように、
長時間の連続行使は使用者にとって大きな負担と
なるのだ。やきもきとした心を押さえつける。
ふと、玄関に小さなガラス片のようなものを
見つけた。昨晩は全く気づかなかったが、窓ガラス
の破片に混じりやや丸みを帯びた物が落ちている。
僕はその少し青色がかった欠片を拾い上げた。
不思議そうに見つめていると、ジークさんが声を
かけてきた。
「……そりゃ多分、使用済みの"相対石"だな」
……聞き慣れない名前が出てきた。
「あんま一般的じゃないけどな。時々クローケが
オレたちに渡した事があった。指先程の小さな石で、
2つで一対の天然石だ。2つの石がくっついた状態で
採掘される」
「なんでそんなものを……?」
「どういう原理か知らねぇが、一対の相対石は片方
が割れると必ずもう片方も同時に割れる性質を
持ってるんだと。だから、離れたところにいる奴に
単純な合図を送る場合に使われる。今回も、多分
タンブルが転移先の設置を終えたってのをクローケ
に伝えたんだろう」
……ちょっとした衝撃が走った。前世では電波を
初めとした通信装置にまみれていたが、この世界に
そのような物は無いという先入観が強かった。単発の
使い捨てながら、これはあまりに便利な物なのでは
ないだろうか。
「大きな戦争とかがあると、その周辺で需要が爆発的
に上がるそうだ。"最も時価に差のある石"なんて
言われてるらしいぜ」
「ジークさんは持ってるんですか?」
「いんや。そんな日常使いするものじゃないしね」
そんな代物まで使って、確かにクローケは本人が
言うように"合理的"な人間に思える。使い方次第では
かなり恐ろしい力になるはずだ。
『のう、デニス。ジークもおるな。お前らまだ出立
しとらんのか?』
寝起きのような調子でダガーが話しかけてきた。
「おはよう、ダガー。……と言っても夜ですけどね」
『ワシはてっきりもうリサイドに移動中だと思うて
おったわい』
「もう少しだけジークさんが治療を受けます。
それよりも……その、ありがとうございました」
『あん?なんの話じゃ?』
「夜だけでなく、ずっと見張ってくれてたんですね」
ダガーは大きくため息を漏らす。面倒くさいという
感情で包み込んだ照れくささが声音に出ている。
『ナーシャめ、黙っておれとあれほど……まぁよい。
それに結局はワシの慢心で奴らの策に封殺された。
大して役には立っとらん』
そんなことは無い。確かに警備自体は破られたが、
向こうがわざわざ時間をかけて策を弄したのは、
他ならぬダガーの魂の目があったからこそだ。その
情報が敵側に無ければ、おそらくジークさんの復帰前
に強襲は敢行されていた。この人が居たか否かで、
昨晩の戦いは全く違う様相になっていたはずだ。
『それと……デニス。お前、最後に屍人を刺す時、
ワシに謝ったな。あれはどういう意味じゃ』
「最後……?……あ」
確かに、僕はあの時無意識に謝っていた。何か
罪悪感というか、申し訳なさを覚え、考える前に
口走っていた気がする。
『……あのな、意図的か否かは知らんが、お前は
狼の夜以降、ワシで何かを斬る事に大層遠慮して
おるじゃろ。あまつさえ木を削るだけで一言断りを
入れる始末じゃ。……何を躊躇っておる?』
僕本人としては、意図していたわけではない。
でも、言われてみれば否定しようがない。僕はダガー
という人格ある刃物を、刃物として使う事に
どことなく背徳感を覚えていたのかも知れない。
『ワシはダガーじゃ。"突き刺す者"……お前がそう
名付けた。自己の意義を問うた場合、まず真っ先に
据えるのは"鋭さ"じゃ。お前は気を使うあまり、
ワシの存在証明を棚に置いた事になる……違うか?』
「……仰る通りです……」
諭すようなダガーの口調が、心に刺さる。責めら
れている訳では無い。だが、丁寧な窘めを受け、
僕は深く反省した。
『お前が他を見極め、他を立て、他の機嫌を取る節が
あるのは別によい。それは誠実な配慮の賜物じゃ。
じゃがな、時にそれは信頼の低さともとれてしまう。
手心を加える必要は無い。信じて斬り裂け。それが
お前とワシの絆になる。努々忘れるな』
「ごめんなさいダガー。変に気を回すのはやめます。
……約束します」
それしか言葉が出なかった。
『かかかかか、それでよい!刃物には刃物の矜恃が
ある。見誤るでないぞ!』
久しぶりにダガーの笑い声を聞いた気がする。
一刻も早くと焦っていた心が落ち着きを取り戻した。
『ほれ。なにやらぞろぞろ来おったぞ』
庭の外に、いくつものランタンが揺れている。
気付かぬうちに、人集りが出来ていた。村の、
大人達……?各々の持つ農具や武具が触れ合う音と、
人々のざわめきが重なり混ざる。
「毎度、厩のザッカーだ。待たせたなぁ、デニス君!
ジーク!話は聞いたぜ。馬が要るだろ?さて、
"どちらまでお運びしやしょうか?"」
馬の手綱を繰るザッカーさんが呼上げてきた。
仕事上の決まり文句が、静かに沈んでいた空気を
消散させた。ザッカーさんの跨る馬以外の3頭は
それぞれ数人の村人が乗った荷車を引いている。
「親父……!?それに、みんな……」
ザッカーさんは颯爽と馬から降りる。手綱を引き
庭中央で、ジークさんにそれを渡した。
「ちっと荷物が多くてな。おいら達ぁ少し遅れて
行くからよ。責任もって運べよ、バカ息子」
突然騒がしくなった庭に、母さんが慌てて駆け
出してきた。待機する村の大人、周囲を明るく照らす
ランタンの光は、まるで祭り行事のそれだった。
「でも、オレ……」
少し俯くジークさんの肩に、馬が鼻を擦り付けた。
「ベティ……?お前……」
ベティの大きく整った慈愛に満ちた目は、以前
リサイドへの道すがら見せていたものとは比べようも
なく澄んでいた。馬がジークさんを警戒する様子は
もう微塵もない。
母さんと共に出てきた助祭さんがジークさんの
左腕に治癒を施す。その柔らかい緑の光は、まるで
人馬一体となった事を祝福するように輝いた。
僅かな追加治療ゆえ、さほど回復はしていない
はず。それでもジークさんは包帯を軽快に引き外し、
大きく跳んで馬の背に跨った。
「乗れ!デニス君!」
ジークさんの力強い腕に引き上げられ、僕もベティ
の背に乗った。ジークさんの胸板が頼もしく僕の背を
支えた。命の鼓動が足を伝わり胸に響く。2人を乗せ
てもベティの足取りは、なお軽い。
「頼んだぞ、ベティ!」
甲高く力強い嘶きが夜の闇を切り裂いた。
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