第16話 空へ舞う獲物、深き森の連携

「さて、エアスフィアを起動するわ」

メリアが静かに言い、背負っていた小型の筒状のアスタギアを取り出した。その動きには迷いがない。

「エアスフィア……?」

聞きなれない言葉に思わず尋ねると、ニナが笑みを浮かべて振り返った。

「ああ、これな。第0枝のフェルガンにとっては欠かせない道具なのさ」

彼女も同じような筒型の装置を取り出して見せる。

「要するに、魔獣を浮かせて村まで運ぶための仕組みよ」

メリアが説明しながら装置の中央に刻まれたミスティコードにそっとマナを注ぎ込む。

装置が低い音を立て、わずかに振動を始めた。メリアはそれを倒れた魔獣の近くに慎重に設置する。次の瞬間、装置の上部から薄い光の膜が広がり始め、魔獣の巨体をゆっくりと包み込んでいった。

「うお……!」

思わず声を漏らした。その光の膜は魔獣を完全に包み込むと、ゆっくりと浮かび上がらせた。

「これがエアスフィア。魔獣をエーテルのフィールドで包み込んで、浮遊状態で目的地まで運ぶ仕組みね」

メリアが説明する声には、どこか誇りが含まれているようだった。

浮かび上がった魔獣は、光の球体の中で静かに揺れている。その巨体がまるで重力を無視するかのようにふわりと浮かんでいる光景は、なんとも言えない神秘的な美しさを感じさせた。

「これで村まで自動的に運ばれる。村の塔には受け取り用のビーコンが設置されているから、エアスフィアは正確に目的地に向かう仕組みだ」

ニナが付け加える。

「魔獣の肉や素材を効率的に運ぶための技術ってわけだな」

ゼフィルが短く補足する。その声には、長年の経験から来る確信が込められていた。

エアスフィア。この仕組みは地球で言う「フルトン回収システム」に似ている。フルトン回収システムとは、戦場から人や物資を回収するために対象を風船で浮かせ、航空機で回収する技術だ。ただ、エアスフィアは航空機の代わりにビーコンで誘導され、浮遊状態のまま自動的に目的地に運ばれるという点が違う。

「でも、こんな大きな魔獣が飛んでいくなんて……」

思わずそんな言葉を呟いた。だが、その言葉が終わる前に、光の球体がすっと宙に浮かび上がり、村の方向へと滑らかに飛び去っていった。

そのシュールでありながら壮大な光景に、言葉を失う。

「慣れれば普通のことよ」

メリアが微笑みながら言った。

「そう言われても……」

まだ信じられない気持ちのまま、その姿を見送った。


◇    ◇    ◇


エアスフィアの光が森の闇に溶け込むように消え去った後、ゼフィルが再び前方を指差した。

「次に進むぞ」

ゼフィルが短く言い、全員の視線が前方へ向けられる。彼の声には戦場の緊張を解かない冷静さがあった。

「森の奥へ進むにつれ、魔獣の気配は濃くなる。警戒を怠るな」

その言葉に従い、全員が改めて武器を手に取る。自分も赤枝をしっかりと握りしめ、歩を進めた。


森の中を進む足取りは重い。先ほどイノシシのような魔獣と戦闘を行った場所よりもさらに奥に進んだこの場所では、警戒レベルがさらに上がったようだ。メンバーの視線や言動からそう感じる。

周囲の景色はますます鬱蒼とし、昼間だというのに暗さを感じさせる。葉が重なり合う木々の間から射し込む光が、ほとんど地面に届かないせいだろう。

「ここから先は、中位の魔獣の活動領域だ」

ゼフィルの低く抑えた声が、隊列全体に響く。彼の口調に、不用意に音を立てるなという警告が含まれているのを感じた。

「足元にも気をつけろ。魔獣の縄張りに入ると、踏み込んだだけで気づかれることもある」

その言葉に、足元を見ると、倒木や絡みつく蔦が道を塞いでいるのが目に入る。うかつに踏み込めば、たちまち周囲に自分たちの存在を知らせてしまいそうだった。

歩みを進める中、どこかの枝が折れる音が聞こえる。それだけで心臓が高鳴るのを感じるが、隣を歩くニナがこちらに軽く笑いかけた。

「緊張しているか?」

彼女の声は穏やかだが、どこか楽しんでいるようでもある。

「少しだけ……。いや、かなり」

正直に答えると、彼女は頷いた。

「大丈夫さ。ここではこれが日常。日常を怖がるものなどいない。そしてクウォンにとっても日常となるさ」

その言葉に励まされる。


◇    ◇    ◇


進むうちに、ライアがふと動きを止めた。

「……止まって」

彼女の耳が僅かに震え、鋭い目つきで前方を見据える。次の瞬間、小さな息を吸い込み、低い声で告げた。

「前方、魔獣がいる。……今度の相手は厄介よ」

彼女の声に全員の動きが緊張感を増す。ゼフィルがライアに目線を向けるように顔を動かした。

「詳細を」

ライアが軽く息を吸い、冷静に答えた。

「シェイドハウンドだと思うわ。ヴェールあり、遠距離攻撃の法理術を扱う魔獣」

その言葉を聞いたゼフィルは短く頷いた。

「全員、散開して迎撃準備。狙う箇所は首元か心臓。マナヴェールの薄い部分を見極めること」

その一言で隊列が一気に戦闘態勢に入る。

「今回クウォンは後ろで見学だ」

ゼフィルがこちらに目を向けることなく言う。

「了解しました」

小さく頷き、少し後ろに下がる。心臓が早鐘を打つように鳴っているのを感じながら、魔獣が姿を現すのを待った。

闇を引き裂くように現れたのは、漆黒の毛並みを持つ狼型の魔獣だった。その体は筋肉質で、目は暗赤色に光り、鋭い牙と爪が不気味に輝いている。

「行くぞ」

ゼフィルの号令とともに全員が動き出す。

メリアがまず弓を引き、光の矢を放つ。その矢は正確に魔獣の首元を狙うが、防壁に弾かれた。

「ヴェール、厚いわね」

ライアが低く呟きながら、素早く魔獣の背後に回り込む。彼女の動きは猫人族の俊敏さを活かしたもので、敵の注意を引きつける。

次の瞬間、シェイドハウンドの口が開き、黒いエネルギー弾が放たれる。音もなく飛ぶその攻撃は、木々を薙ぎ倒しながら一直線に進む。

「防げ!」

ゼフィルの指示でニナが盾型アスタギアを展開。エネルギー弾がそれに直撃し、衝撃で地面が揺れる。

「狙う箇所は薄くなっている左側面!」

ゼフィルが的確に指示を飛ばす。メリアが再び矢を放ち、ライアが近距離から防壁を削り続ける。

ニナが重厚なハンマーを振り上げ、魔獣の足元に叩きつける。その衝撃で魔獣が一瞬よろめき、防壁がひび割れた。

「今だ!」

ゼフィルが一閃を放つ。その剣はヴェールに空いた穴を的確に貫き、魔獣の首元に深く突き刺さった。

漆黒の巨体が崩れ落ち、静寂が戻る。


◇    ◇    ◇


シェイドハウンドの巨体が地面に沈黙し、静寂が森を包む。彼らは一息つき、それぞれ装備を整えながら息を整えていた。倒れた魔獣の近くには、無数の攻撃の痕跡が刻まれている。その光景を目にしながら、胸の奥で強烈な何かを感じていた。

(これが、第0枝での魔獣との戦い……。)

言葉にするには難しい感情が湧き上がる。単に「すごい」とか「強い」とか、そんな簡単な表現では片付けられないものだ。

あのイノシシ型魔獣を倒したときの記憶が蘇る。あの時は、自分なりに必死に戦い抜いた。だが、それが今、この場で見た光景と比べれば、あまりにも「単純」だったことに気付かされる。

(イノシシ型魔獣も確かに強かった。突進の一撃で木をなぎ倒し、光刃を弾くマナヴェールを備えていた。でも……攻撃のバリエーションは少なかった。突進の威力と速度さえ警戒すれば、集中攻撃でマナヴェールを突破できた。)

一方で、シェイドハウンドは――。

(突進だけじゃない。奴は遠距離からの法理術攻撃、マナヴェールの高度な防御、そして素早い動きまで備えていた)

ゼフィルが前衛でシェイドハウンドの動きを封じる間に、メリアの矢が正確にマナヴェールの隙間を狙い撃ち、ライアが迅速に周囲の地形を利用して死角から攻撃を仕掛ける。そしてニナは防御を固めつつバトルアックスで相手の体勢を崩す。

(誰一人として無駄な動きがない。息がぴったりと合ったチームプレイ……まるでひとつの生き物のようだった。)

地球での軍属時代を思い返す。そこで見たエリートチームの連携。それに近い、いや、それ以上の精密さがこの狩人たちの動きにはあった。

(もし自分がこのシェイドハウンドと戦ったら……。)

想像するだけで冷や汗が流れる。あのイノシシ型魔獣を倒した経験があっても、シェイドハウンドのレベルは桁違いだ。あのスピードと多彩な攻撃を前にしたら、まず近づくことすらできないだろう。

「クウォン、あのイノシシ型魔獣と比べてどうだった?」

ニナが問いかけてきた。その声は柔らかいが、視線は真剣だ。

「正直……全然違いました」

素直に答えると、彼女は満足げに頷いた。

「だろうね。あのイノシシ型魔獣は『低位魔獣』さ。この第0枝では、初心者でも上手くやれば倒せるレベルだ」

「でも、シェイドハウンドは『中位魔獣』。単独でも相手にできるが安全に倒そうとすると連携が必要だ。それに奴らは群れで遭遇することも多い。だからこうやって連携して戦う必要があるんだ」

ゼフィルが補足する。冷静な声だが、その言葉には第0枝の現実を生き抜いてきた重みがある。

それから彼らは、魔獣をエアスフィアで包み込む準備を始めた。その手際の良さに、自分はただ見入るしかなかった。

「これが第0枝の普通の魔獣狩りさ」

ニナがこちらを振り返り、シェイドハウンドを包み込んで浮いているエアスフィアを指さしながら言った。

「普通……?」

本日2度目のその言葉に戦慄を覚える。こんな恐ろしい魔獣でさえ中位。そんな獣が跋扈する地域で生きている連中――それは人も獣もまともではない。まさに魔境。その言葉に嘘はない。

「いずれクウォンも、これくらい一人で倒せるようになるさ。なんたってクウォンも立派なエントリアの住人だからな」

吸い込まれそうな笑顔でそう語るニナの言葉が頭に残った。

それからしばらくして、日が傾き始める。ゼフィルが静かに手を挙げて全員を止めると、振り返って言った。

「今日はここで野営だ。準備を始めるぞ」

彼の声には、深い安心感が漂っていた。この第0枝で初めての野営。次の試練が何をもたらすのか――少しだけ期待と不安が胸に混じった。

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