第4話 エルミナスという名の世界
エッタと共に、彼女の村を目指して歩き出した。泉から村までは徒歩で10分ほどらしい。
森の中を歩くのは不思議な気分だった。緑に包まれたこの場所は、どこか地球の森にも似ているけれど、微妙に違う。風の匂いも、木々の息づかいも、この世界特有の“調和”のようなものを感じさせる。
何より、隣を歩くエッタの存在が心強かった。小柄な体に不釣り合いなほどの芯の強さが、彼女の歩く姿からも滲み出ている。
――このまま、無事に村に辿り着ければいいな。
そう思った矢先だった。
「クウォン。待って」
「どうかし――」
言い終わる前に、エッタが睨んでいた茂みから、何かが飛び出てきた。全長10メートルはあろうかという大蛇が、その圧倒的な体躯をくねらせながら、襲いかかってくる。その口は、成人男性を一口で呑み込むに違いない巨大さをもって、不吉に開かれていた。
とっさにエッタを庇おうと前に出るが、彼女はすでに動いていた。彼女の動きは優雅でありながらも、雷のように速い。小さな身体からは想像もつかない敏捷性と力強さを見せつける。
「せいっ!」という軽快な声を上げると同時に、彼女は腰に下げていた短剣を素早く抜き取り、空を切るように一閃した。その短剣からは、太陽を凝縮したかのようなまばゆい光が放たれ、それが直線的に大蛇を貫いた。瞬間、空気が震え、光が大蛇の厚い鱗を容易く切り裂く。
切断面からは一瞬、青白い光が漏れ、その後、大蛇は力なく地に崩れ落ちた。光は大蛇の体を両断し、その命を奪うと同時に、周囲の植物に一切の損傷を与えることなく消えていった。全てが終わったかのように、森は再び静けさを取り戻す。
「えーっと……」
それ以上の言葉を見つけられず、ただ頼りない呟きだけが漏れた。
何の技術か魔法かはまったくわからないが、とにかく圧倒的だった。
まるで熟練の猟師が山で遭遇したマムシを手に持った鉈で退治するかのような、あっけない気軽さで、襲ってきた大蛇を撃退したのだ。
「ふぅ、服が汚れるから勘弁してほしいわね。本当」と、まるで日常の一幕のように言い、微笑みかける。
エッタの言葉は圧倒的な強さを湛えていたが、その華奢で愛らしい外見とのギャップは、言葉にならないほど衝撃的だった。
「エッタさん?こいつは?」
思わず敬語になってしまう。きっと今の自分の顔は引きつっているのだろう。
「魔獣よ。それにさんはいらないわ」
「あ、うん。魔獣?」
「あら。クウォンは魔獣を見たことがないのかしら?」
「うん。蛇はあるけどこんなにデカい蛇はさすがにいなかった」
「そう、私たちの世界とは違うのね。それにクウォン、気付いたのだけど、貴方戦うための武器を持っていないのね」
「……一応こんなのがありますが」
護身用に持ってきたブツを見せる。
「私には包丁に見えるのだけど?」
「包丁ですが?」
「……クウォン、よかったわね。貴方あの泉より先に踏み込んだら多分生きていられなかったわよ」
「……ああ」
エッタの表情から、事の重大さを痛いほど理解できた。この魔獣と呼ばれた獣は包丁程度では多少腕に覚えがあったところでどうにもならないのだろう。まるで初期位置がラスボス付近のフィールドというプレイヤーの心を折るだけの、悪意の塊のようなゲームのようだ。まったくもって無慈悲もいいところである。
いずれにせよエッタには感謝しかない。
「幸甚に存じます」
「ふふ、感謝の気持ちは伝わったわ。先を急ぎましょう」
そして、心強い護衛と共に妖精族の村への道を進んだ。
◇ ◇ ◇
さらに5分ほど森の小道を進むと、木々が開け、突如として現れた村に足を踏み入れた。質素な小屋や木々に覆われた原始的な風景を想像していたが、目の前に広がるのは近代的な設計が際立つ、美しく整備された村であった。
外敵を拒む石で組まれた外壁に囲まれた村の中心には美しい泉があり、その周りには水路が引かれ、村全体に清潔で美しい水を供給していた。泉の中央には光る幾何学模様のモニュメントのような塔が建っており、通りには未知の技術で作られたランプや街灯が取り付けられていて、夜でも安全に歩くことができるように配慮されていた。住居は木や石を組み合わせた近代的なデザインで、まさに環境に合ったエコフレンドリーな建築様式と言えよう。
驚くべきことに、自分は妖精族の村に来たと思っていたが、それ以外の種族も多数見かけた。総じてベースは人間のようなのだがそれに加えて背中に翼があったり獣のような耳があったりと一般的な人間とは異なった特徴をもつ者ばかりだ。
これまで、地球とは異なる世界にいることは理解していたが、こうして様々な種族や彼らの生活を目にすると、打ち震えるような感動がこみ上げてくる。確かな現実感が自分を包み込み、この世界にいることをことさら強く実感する。今すぐ歌いだしたくなるほどだ。
そんな様子をみてエッタは微笑んで言った。
「ふふ、気に入ったみたいね。楽しさが伝わってくるわ」
「ごめん、ちょっと興奮しすぎた」
「いいわ。でもまずは祖父のところに行きましょう。案内は後でしてあげるわ」
エッタについて大きな家に入ると、家の中は妖精族らしい質素ながらも森の温かさを感じさせる雰囲気だった。その奥に、穏やかな灯りが漏れる部屋があり、エッタの祖父の姿が見えた。
「おや、エッタ。お客さんかね」
「ええ、お爺様。森の泉で出会ったの」
「初めまして。クウォン=クラシナといいます」
「ほっほ。これはご丁寧に。エッタの祖父のジードじゃ」
「よろしくお願いいたします。この度は今の自分の状況とこの世界について伺いたいです」
「なるほど。ではまずおぬしの話を聞くとしよう」
「はい、自分は……」
まずは、自分の置かれている状況、自分が地球から来た旨などを伝えた。
エッタの祖父ジードは説明を聞いた後、情報を咀嚼するようにゆっくり何度か頷いたあとで口を開いた。
「エッタの推察通り、おぬしはアースティアで間違いないようじゃ。転移した状況、そしてチキュウという場所、聞き及ぶアースティアの特徴と一致しておる」
「なるほど……アースティアがこの世界にやってくる事はよくあることなのでしょうか?」
「我々の世界、エルミナスでは、まれではあるが、わしが生きてきた間に少なくとも3人の異世界からの来訪者の話を聞いたことがある。彼らの中には、この世界で子を成し生涯を終える者もいれば、ある時を境に姿を消す者もいた。その中には、彼らが再び地球に帰った可能性もあると言われている」
この情報は重要だった。自分以外にもこの世界への転移経験者がいたこと、そして地球へ帰った可能性があることが明らかになった。
「そのアースティアの子孫は、どこにいるのでしょうか?」と尋ねてみた。
子孫がいるのであれば彼の残した記録なども持っている可能性がある。それは自分にとって喉から手が出るほど欲しい情報だ。
ジードは考え込んで答えた。
「残念ながら、その子孫たちの居場所はわからない。この場所、落ちた枝、テネブラーネは一般の世界から隔絶された場所で、人の出入りも少ない。彼らの子孫の存在についての情報は乏しいのじゃ」
「その"落ちた枝"とは、この地の名前を指すのですか?」
「その通りじゃ。この大地は大樹の朽ちて折れ落ちた枝に他ならん」
「なんと」
海に囲まれた陸地だと思っていた場所は、件の大樹の枝が海に落ちたものであるとのこと。つまりあの仰ぎ見るほどに大きい樹は、枝一本でこれほどの陸地を構成するほどのスケールなのだ。
「あの大樹の上、もしかしてエルミナスの人々はそこに住んでいるのですか?」
「うむ。このテネブラーネに住む者はエルミナスに住む者の中でもごく一部、この地に適応できたものだけじゃ」
「適応ですか?人間……じゃなかった、ヒュミリスがいないのというのもそれが原因でしょうか」
「うむ、この世界の海にはエーテルが高濃度で溶け込んでおり、その強いエーテルは多くのエルミナス住民にとって毒に等しいのじゃよ。それ故、ほとんどの住人は大樹の枝の上で生活しておる」
これは驚くべきことだ。この世界の母なる海であるはずの場所が、エーテルと呼ばれる物質が高濃度で溶け込んでいるが故に、生存に支障をきたす禁断の領域となっているということだ。そして人はエーテル濃度の高い海から離れて、海抜の高い大樹の上へと生活圏を移しているとのこと。
「聞いた限りでは、そのエーテルというものは相当に厄介なもののようですね」
地球で海を利用できず、さらに海に含まれる物質で生活が脅かされるのであれば一体人間の生存域はどれだけ狭まることだろう。
「いや、一概にはそうは言えんのじゃ」
「それはなぜでしょう?」
「エーテルは我々の生活を支える糧であり、文明を支える礎でもある」
「んんん?」
「夜に明かりを灯すのにも、暖を取るにも、魔獣から街を守るのも、エーテル車を動かすにもエーテルは必要じゃ」
「なるほど、理解しました」
エーテルはまさにこの世界のエネルギー源であり、ガソリンのような存在だと考えれば理解しやすい。
現代では欠かすことのできないエネルギー源ではあるが、ガソリンそのものは有害である。揮発性が高く吸い込むと咳や吐き気を引き起こし、長時間または高濃度での吸入は重篤な健康問題に繋がる。
海水が塩水ではなくガソリンだったと考えるとわかりやすい。
現代では奪い合いとなり殺し合いまで起こるエネルギー資源だが、それが普遍的に存在する世界。エネルギー源に困りはしないが、代償にそのエネルギー源による健康被害が身近にある世界。
海は蒸発し雲となり、それが雨となって降り注ぐ。濃度は下がるとは言え影響がないとは思えない。そんな世界ではあるところのエルミナスでは「普通の人」はどのように暮らしているのだろうか。
「すみません、では自分はなぜこの地に居て平気なのでしょう?」
「それはわしにもわからぬ。もしかすると特異体質であったり、他の種族の血が混じっているのかもしれん」
「うーん……あ、アースティアはみんなそうだったりしますか?」
「いや、そんなことはなかったはずじゃ」
「そうですか……」
エルミナスという世界とアースティアに関してはある程度わかったが、自分のことに関してはまだはっきりしない部分が多い。うーん。
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