サンクトネスト ー石の在処ー

@moguranosora

第1話  始まりの朝と、嵐の予感。



春を間近に迎えようとしているはずのルミナの村の朝は、

そんな気配を少しも感じさせないほどに冷え込んでいた。

家々の屋根からはまだツララが下がり、

村の中心へ伸びる道の土も白く凍りついている。

寒さだけでなく、日の出も遅い。

朝になっても、村では誰一人外に出ていなかった。

そんな寝静まったような朝。

人目を避けて路地を進む影があった。


――バンッ!


「ただいま! カイト、起きてるか?」


ドアを開けたのは、キース・ハロウ、16歳。


茶色くごわついた毛を持つ小柄な少年だ。


ドアの音に反応して、ベッドの上の布団の塊がもぞもぞと動き、

そのまま床に落ちる。弟のカイトだ。


絡まった布団をほどきながらはい出てきたカイトが、頭だけ出して聞いた。


「今起きたよ。兄さん、こんな時間にどこ行ってたの? まだ外暗いじゃないか」


「ん? ああ、まぁちょっと出てただけだよ。飯、食うだろ?」


まだ布団をほどききれずにいるカイトは、怪訝そうに兄を見つめる。

「なんだよ?」

カイトの視線に、バツが悪そうに不機嫌に返すキース。


「なんだよって、その“飯”の出どころだよ」


怪訝な表情は崩れず、兄を見つめたまま。ようやく布団がほどけ、姿を現す。

カイト・ハロウ、11歳。

ミルクティーのような綺麗な髪色の少年で、キースの弟だ。


「近所の、ほらジーナおばさんがくれたんだよ。昨日言われてたんだ。朝、野菜を収穫するから取りに来なって」


カイトの胸にぞわりと不安が広がる。

だが押し込んで、応えた。


「そう? ならいいけど……ありがとう。いただくよ」


兄が持ち帰った食材を調理している間に、カイトは着替えを済ませた。

ダイニングに腰を下ろす頃には、キースは手早く料理を終え、食事を並べていた。

朝食は、少しの塩で茹でた野菜と、申し訳程度にベーコンの浮いた質素なスープ。

家に残っていた水気の抜けたパンが半分ずつ、皿に置かれている。


「いただきます」


「おう。ちょっと少ないかもしれないけど、スープはまだあるからな!」


軽く微笑んで返事の代わりにし、硬くなったパンをスープに浸して食べた。

「ねぇ、兄さん」


呼ばれたキースは、不思議そうに返す。

「あ? どうした?」


「母さんが死んじゃって……もう、どれくらいたつだろう」


パンを口に運ぼうとした手が止まり、力なく皿に戻された。

「そうだな……もう半年以上は経つかな」

生気のない返事だった。

と、急に声のトーンを上げた。

「なんだカイト? 急に寂しくなっちゃったか? 兄ちゃんいるから、な? 大丈夫だろ?」


カイトはその声のトーンの変化を敏感に感じ取った。

「違う、違うよ! そんなんじゃない! 兄さんの心労を増やしたくて言ったんじゃないんだ」


キースは苦笑し。

「何言ってんだよ。お前が気にすることなんか何もない。大丈夫だって!」

変なこと気にしてないで、冷める前に早く食っちまえよ」


そう言って食事を終えた。


食後、キースはテーブルに肘をつき、片付けをしているカイトをぼんやり眺める。

これでよかったのか――と心の中で自問した。

両親を失い、自分が守ると誓った唯一の存在。

できることはしているつもりだが、

カイトがときどき寂しそうな顔で笑うと、どうしてやればいいか答えが見えない。


「カイト。兄ちゃん、日が昇ったら風読みの丘に狩りの様子を見に行くけど、お前は?」


これはキースの日課だった。


「ぼくは泉に行くよ。何日か行ってないから、新しい芽が出てるかも」


これもまたカイトの日課だ。


「そうか。なら気を付けて行くんだぞ? あんまり泉の奥に行きすぎると凶暴な――」

「兄さん、大丈夫だって! 分かってるから!」


いつものように心配ごとを並べるキースを遮る。


「ああ、そうか。じゃあ兄ちゃん行くからな?」


玄関の壁にかかった二本のマフラーのうち、

赤銅色で使い込まれた方を取り、首に巻く。

もう一本の淡いブルーはカイトのもの。

母が編んでくれた、お揃いの大切なマフラーだ。

キースは玄関のドアを開け、昇りきった日の光に手をかざした。


「まぶしっ……日差しだけは春なんだよな」


そう言い、カイトに手を振って駆け出した。

家を出て三軒ほどの民家を抜けると、村の中心に南北へ通る街道がある。

山へ続く道はその北側だ。

キースは村の人間に会いたくなかった。

ひどい目に遭わされ、理由もなく、ただ怖かったからだ。

人目を避けるようにして山まで駆け抜けた。



―風読みの丘。

幼いキースは父の背中にしがみついていた。

肩の上から見えた景色は、世界のすべてが小さく見えるほど広かった。

「風はな、ただ吹いてるだけじゃねぇんだ」

父・カイルは、腕に装着した“ギア”のワイヤーを指で弾きながら笑った。

無口なはずの男が、狩りのときだけよく喋る。

「山の向こうの海から吹く日もあるし、森の奥から立ち上る日もある。

 流れを読めるやつだけが、獲物に近づける」

キュル、キュルと風見鶏が回る音。

父は風向きを見て、キースの頭をぽんと叩いた。

「キース。強い男になるんだぞ。大切なものを、守りきれる男に」

それが、毎夜焚き火のそばで聞いた“寝る前の合図”だった。

……だが、その言葉を言っていた父は、もう帰ってこない。

山でワイヤーが木々に絡み、引きずられて――

村人にそう告げられた日の匂いを、キースは今でも忘れない。




カイトもまた、外出の準備を終え、兄とお揃いのマフラーを巻いて家を出た。

母の使っていた麻の籠を手に、泉へ向かう。

中央通りに出ると、遊び仲間たちがすでに外に出て騒いでいた。

「おはようカイトー! また泉行くのか? 気を付けていけよー!」

「うん、ありがとう!」

軽く手を振り、泉へ向かう。

泉は西の森を少し入った場所にあり、少し開けた静かな畔がある。

母とよく山菜やキノコを採り、毒のあるものや食べられるものを教わった場所だ。


母・ミラは、泉の畔を歩くたびに笑っていた。

「ねぇカイト、このキノコね、煮込むとおいしいんだよ~?」

まだ幼いカイトが一生懸命に籠を持ち、

「これ食べられる?」と毎回訊くたび、

ミラは膝をついて葉をひっくり返し、丁寧に教えてくれた。

夕暮れ、帰り道。

お揃いのマフラーをくるんと巻いてやり、

「お兄ちゃん、狩りなんて危ないでしょ~? カイトが見張ってあげてね?」

と、いつもの調子で笑っていた。

――だが、父が死んだその冬から、ミラは急に痩せていった。

声は細く、息は浅く、立ち上がろうとすれば倒れ込み、

それでも無理をして家事をしようとするので、兄弟が支えてベッドに戻した。

ある朝、ミラは目を覚まさなかった。

キース15歳、カイト10歳。

残されるにはあまりにも早かった。



最近は、ここで泉を眺めながら母と心の中で会話をするのが、カイトの儀式のようになっていた。

地に膝をつき、泉を見つめて呟く。

「母さん……兄さんにまたどろぼうさせちゃったよ。

なにか、力に慣れればいいんだけど」

涙が浮かび、泉に答えを求めるが、返事が返ってくることはない。

ふっと息をつき、空を見上げる。

今日の空は雲が厚い。――少し早めに帰ろう。


風読みの丘に着いたキースは、深く風を吸い込み、森の様子を見渡した。

丘の入り口にある風見鶏が、キュルキュルと不規則に回っている。

まだ父が生きていた頃、キースが父の肩に乗って立てた風見鶏だ。

「……かなり湿気が混じってるな」

山向こうの海側から吹き下ろす風。

ただの雨では済まないかもしれない。

雲が広がれば、一気に降り出すだろう。


「狩りどころじゃないな。」


すぐに引き返して帰らないと。

カイト、空に気付いてるかな。


急いで踵を返し、山を降りることにした。


丘を下り、村の入り口付近に差し掛かったころには、

村の者たちも空の異変に気付いた様子だ。


中央通りに店を構えた店主らが、せっせと朝から準備したであろう、

店の前に並べた品々を店内にしまい込んでいた。



キースたちの住むルミナ村は、

エルダリア大陸と呼ばれる広大な大陸の北端に位置する小さな村で、

外部との交流も、

必要とする者だけが最低限に物資を仕入れている。

そんな、どちらかと言えば閉塞的と言っても差支えない村だった。

町の北側にそびえる山向こうには海が広がり、

風の機嫌次第で、天気のころころ変わる土地柄ではある、

ただ、それを踏まえて考えても今日の雲の広がりと、風の吹きおろし方は警戒するには十分だった。


中央通りを抜け、自分の家へつながる路地を曲がるころには、空は黒い雲が覆い、土煙が上がりだしていた。


家のドアを開け、体を滑り込ませたところで、外からポツポツと音が鳴りだした。

濡れなくて、よかったと胸を撫でた。

そして、家の中を見て、また一つ安心できた。

カイトも、しっかり帰ってきていたのだ。


「危なかったな、ちょうど降り出したみたいだ。」


ほどいたマフラーを壁にかけながら呟いた。


「ん、僕もさっき帰って来たんだ。

急に空が真っ暗になるんだもん、急いで帰って来たよ。」


「この空じゃ、すぐには止まないだろうな。

かなり激しいのが来るかもしれないぞ。」




そして、予想通り、その日振り始めた雨は夕方になっても雨脚を緩めることはなく、

だんだんと激しさを増しているようにさえ感じたほどだ。


お世辞にも造りのしっかりした家とは言い難い二人の家は、屋根に張られた板が、何とか風に耐えているのだろう、バタバタと激しく暴れている。

建付けの悪い窓や、玄関も、時折、ガンっ!ガタガタ!

っと激しく鳴り出すので、しまいには飛んで行くんじゃないかと不安になった。


山の方では、雷が激しく轟いている。


天気の不安定な土地とはいえ、ここまで激しい雨と風に村が見舞われたのは、覚えている限り初めてだった。


これじゃ、何が起こるか分かったもんじゃない。


不安な時間はその後も続き、やがて夜を迎えた。

それでも、雨は止む気配を見せない。


「カイト、今夜はずっとこのままかもな。

外うるさいけど、寝れそうか?」


「わかんない。ちょっと、怖い。」


カイトの本心なのだろう、不安の色が見て取れる。


「だな、兄ちゃんもちょっと怖い。」

ちょっとではない。じつはかなり怖い。


すると、外から、聞いた事のない音が轟いた。


ゴゴゴゴゴゴッ!


雷の轟きに似てはいるが、音がかなり長く続いている。



「なんの音だ?ちょっと外を確認してみるよ!」


そうして、ドアに駆け寄り、風に吹かれ重たくなったドアを慎重に押し開けた。


近所の人たちも、音を聞きつけて外に様子を見に出ている人が何人か確認できた。


音の出どころはハッキリしないが、まだかすかに響いている。

山の方角、東側でなにやら聞こえる気がする。


ただ、この雨だ、すぐに逃げなければいけない何かでない限り出てもいけない。

と、音が止んだ。


とりあえずは大丈夫だった、と思ってもよさそうだな。

そう思い、ドアを閉めた。

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