第12話 成長痛
【カイ・視点】
ここ最近、俺を喜ばせつつも、同時に少しばかり困惑させている出来事がある。
それは、リアの成長速度だ。
俺は数週間前に買ったばかりの白いニットセーターを手に取り、眉をひそめた。買った当時は、長く着られるようにと二サイズも大きめを選んだはずで、彼女が着るとまるで大人の服を盗み着した幽霊みたいだったのに。
それがいまや、袖口がちょうど手首のあたりにきている。
「これが亜人の成長期ってやつか……?」
過酷な環境に適応するため、多くの亜人種は幼年期が極端に短く、ある時期に身体が一気に成長すると本で読んだことはある。だが、こうも目に見えて変化されると、生命の神秘を感じずにはいられない。
ふと、子供の頃に近所に住んでいたパンダ人(パンダフォーク)の一家を思い出した。
俺の後ろをトコトコとついて回っていた、白黒のモチみたいなパンダ族の妹分。海外留学する前に抱っこしてやった時は、まだ鼻水を垂らして「おにーちゃん」と甘えていたのに。
二年後に帰国して玄関を開けたら、そこには俺より背が高く、目のやり場に困るほど豊満なボディを持つ「パンダのお姉様」が立っていた。
彼女はその後、四川の実家へお見合いに帰ってしまったが、あの生物学的な奇跡に圧倒された衝撃は今でも忘れられない。
そして今、リアにもその時期が訪れているらしい。
ただ、あの頑丈なパンダの彼女とは違い、リアの「成長」には大きな負担が伴っているようだ。
ここ数日、彼女はずっと病人のようにぐったりとしている。
もともと白かった肌は、透き通るほど蒼白になっていた。ソファの隅で丸くなったり、部屋に引きこもったりすることが増え、いつも俺の声に合わせてピコピコ動いていた耳も、力なく垂れ下がっている。
「リア、まだ辛いか?」
俺は白湯(さゆ)を持ってリビングに入った。
リアはソファに突っ伏して毛布にくるまっていたが、俺の声を聞くと辛そうに身を起こし、弱々しい笑みを浮かべた。
「へ、平気です……カイ様。ちょっと体が……重いだけで」
「無理するな。額に脂汗が滲んでるぞ」
俺は痛ましげに彼女を見つめた。成長期なら栄養は必須だ。それにこの衰弱ぶりを見るに、種族特有の「成長痛」のようなものかもしれない。
そう思って昨日、街で一番大きな魔法薬店に行き、大枚をはたいて最高級の滋養強壮剤を買ってきたのだ。
「ほら、これを飲むんだ」
俺は装飾の施されたクリスタルの小瓶を取り出した。中には黄金色の液体が揺らめき、神聖で温かな光を放っている。
「店主の話だと、これは『天使』の血を引く亜人のために調合された『聖霊の滋養液(エリクサー)』らしい。教会の祝福を受けた聖水が含まれていて、身体にすごくいいそうだ」
俺には確信があった。天使の混血である彼女にとって、この光属性の魔力が満ちた薬こそ、最高の特効薬になるはずだと。
【リア・視点】
それは……毒だ。
カイ様の手にある、網膜を焼くような金色の光を放つ小瓶を見て、私は本能的な悲鳴を上げそうになった。
高濃度の聖属性魔力。
闇の眷属であり、淫魔(サキュバス)の血が流れる私にとって、それは濃硫酸と何ら変わりない。
「……天使の、お薬?」
「ああ。飲めばすぐに楽になるはずだ」
カイ様の笑顔はあまりにも優しく、期待に満ちている。私のために、わざわざこんな高価なものを買ってきてくれたのだ。私が清らかな天使だと信じて、この神聖な光が私を癒やすと信じて。
(拒絶なんて、できない……)
(嫌がったら、カイ様に怪しまれてしまう。天使が聖水を怖がるなんて、あってはならないことだもの)
(カイ様が下さるものなら……例え毒薬だって、笑って飲み干さなきゃ)
私は震える両手を伸ばし、その熱い小瓶を受け取った。
息を止め、顎を上げ、一気に煽る。
ゴクン。
――ジュウウウウッ!!
その瞬間、真っ赤に焼けた炭を飲み込んだかと思った。
液体が食道を滑り落ちていく先々で、烈火のような激痛が走る。胃袋が悲鳴を上げ、五臓六腑が激しく痙攣し、体内の細胞一つ一つがこの強引な「神聖な力」によって断罪され、浄化されていくようだ。
「うっ……ッ!!」
私は必死に口元を押さえ、悲鳴を噛み殺した。
痛い。痛い痛い痛い。
これは罰なのだろうか。嘘つきで薄汚い私への、天罰なのだろうか。
「リア? どうした、顔色が悪いぞ」
カイ様の焦ったような声が、遠くから聞こえる。
私は冷や汗にまみれ、視界が歪む中で、泣き顔よりも酷い笑顔を必死に張り付けた。
「へ、平気……です……ただ、お薬が効きすぎて……体がポカポカして……」
「そうか? ならよかった。あの店主、嘘じゃなかったな。反応が強いのは、毒素が抜けている証拠だろう」
カイ様はほっと息をつき、優しく私の額の汗を拭ってくれた。
その手はひんやりとしていて、心地いい。
この温もりを感じられるなら、たとえ内臓が焼け爛(ただ)れようとも、私は構わない。
【カイ・視点】
リアは大丈夫だと言ったが、その後一日経っても、彼女の容態は目に見えて良くはならなかった。
それに、もう一つ奇妙なことに気づいた。
救急箱に入っていた包帯の減り方が、異常に早いのだ。
先週買ったばかりの医療用包帯が二巻もあったはずなのに、今日棚を開けてみれば、残っているのは空の芯だけだった。
新しい怪我でもしたのか? それとも古傷が開いたのか?
いくら聞いても、彼女は顔を赤くして首を振るばかり。「遊んで使っちゃった」とか「なくしちゃった」とか、歯切れの悪い言い訳を繰り返している。
この不自然な隠し立てが、俺の不安をさらに募らせた。
「リア、着替えるんだ。診療所へ行くぞ」
薬が効かないなら、プロに頼るしかない。一般の医者が希少な亜人の構造に詳しいかは分からないが、家で手をこまねいているよりはマシだ。
「診療所」という単語を聞いた途端、ソファでぐったりしていたリアが弾かれたように反応した。
「い……いやっ!」
彼女の拒絶は異常なほど激しかった。ソファの隅まで後ずさり、クッションを抱きしめて必死に首を振る。
「お医者様なんて嫌! 病気じゃないの! 本当に病気じゃないの!」
「リア、わがままを言うな。立つのもやっとじゃないか」
「行かない! お医者様は怖い……注射も嫌! お願いですカイ様、お家にいさせて……寝てれば治るから、本当に!」
涙目で俺を見上げるその怯え方は、演技には見えなかった。もしかしたら以前、奴隷商人のところで白衣を着た人間に酷いことでもされたのかもしれない。
ガタガタと震える彼女を見て、俺は結局、無理やり引きずっていくことができなかった。
「……はぁ、まったくお前には敵わないな」
俺は溜息をつき、彼女の隣に腰を下ろした。
外は冷たい雨が降り続いていて、室内の空気も少し肌寒い。薄手のパジャマ一枚のリアは小刻みに震え、顔色は紙のように白い。
「病院に行かないなら、せめて様子を見せてくれ」
額に手を当てると、体温は恐ろしいほど低かった。
ずっとお腹を抱えるようにして丸まっているところを見ると、腹痛か? あるいは女の子特有の日なのかもしれない。
「お腹が痛いのか? カイロを貼れば少しは楽になるはずだ」
俺はそう言ってテーブルの下から貼るカイロを取り出し、彼女の上着の裾を捲(めく)ろうと手を伸ばした。
それは、病人を気遣うだけの、ごく自然な動作だった。
だが。
「――ッ!!」
リアの喉から、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴が上がった。
「だめッ!!」
彼女は猛然と自分の服の裾を押さえ込み、後ろへ逃げようとして、勢い余って肘をソファの肘掛けに強打した。「うぐっ」と呻き声が漏れる。
「リア?」
俺は呆気にとられた。普段から恥ずかしがり屋ではあるが、これほどまでに拒絶し、その目に恐怖と……絶望を浮かべたことなど一度もなかった。
「いや……捲らないで……」
彼女は荒い息を吐き、額の銀髪は冷や汗で頬に張り付いている。そのオッドアイは激しく揺れ、俺の手を――まるでカイロではなく拷問器具でも持っているかのように――死に物狂いで凝視していた。
「ただのカイロだぞ。下着の上からでもいいから……」
「いらない! 寒くないもん! カイ様……お願い、触らないで……」
あまりにもおかしい。
いくら思春期の恥じらいがあるとしても、この反応は過剰すぎる。
これ以上刺激するのは良くないかと思い、手を引っ込めようとした――その時だった。
ふわりと、ある匂いが鼻を掠めた。
リア特有のミルクの香りと、さっき飲ませた聖薬の香り。だがその奥底に、鼻につく鉄錆のような臭いが混じっている。
それは……血の臭いだ。
俺の視線は、瞬時に彼女の腰元へと釘付けになった。
ダボッとした白いパジャマの裾、その一部が肌に張り付いている。そしてその中心から、じわり、じわりと、暗赤色の染みが広がっていた。
生理的な位置ではない。
もっと後ろ、腰の低い位置――尾骨(びこつ)のあたりだ。
「リア……血が出てるのか?」
俺の声が低くなる。
「ち、違う! これは……トマトソース! こぼしちゃったの!」
リアは慌ててその赤い染みを手で隠そうとし、ついに瞳から涙が溢れ出した。
嘘だ。隠している。苦しんでいる。
トマトソースなわけがない。出血している、それもあの量だ、傷は浅くないはずだ。
「手をどけるんだ」
「いや! カイ様、嫌いになって……罵って……でもお願い、見ないで……」
「手をどけろと言ってるんだ!!」
この瞬間、心配が躊躇を上回った。俺は初めて、彼女に対して力を行使した。
必死に抵抗する彼女の細い手首を掴み、頭上で拘束する。
「あぁーーッ!!」
リアは絶望的な悲鳴を上げ、やがて観念したように全身を痙攣させながら脱力した。
俺は奥歯を噛み締め、もう片方の手で血に染まった服の裾を掴んだ。
傷を確認するために。彼女を救うために。
俺は一気に、そのパジャマを捲り上げた。
バッ。
静まり返ったリビングに、衣擦れの音が虚しく響く。
俺の動きは、そこで凍りついた。
目に飛び込んできたのは、「惨状」としか言いようのない光景だった。
ここ数日消えていた包帯の行方が、そこにあった。
粗悪な白い布切れが、まるで締め上げる蛇のように、彼女の折れそうなほど細い腰から尾骨の下まで、何重にも、何重にもきつく巻き付けられていたのだ。
あまりに強く締め付けられているせいで、周囲の蒼白な皮膚は鬱血して青紫色に変色している。
そして腰の低い位置、尾骨の両脇あたり。重なり合った包帯の下に、二つの不気味な、拳大ほどの「突起物」があった。
何かが……身体の内側から生まれ出ようとしている何かを、持ち主が自傷に近い狂気的な方法で、無理やり押し込めているのだ。
包帯はもはや白くはなかった。
それらは肉に食い込み、古びた黒褐色の血の塊(かさぶた)と癒着し、今の暴れ方で裂けたのか、隙間から鮮血がドクドクと溢れ出し、その異様な突起を赤く染め上げていた。
だが、その血肉の惨状よりも俺の心臓を止めたのは、リアの表情だった。
彼女はもう叫ばなかった。隠そうともしなかった。
ソファに突っ伏し、横顔をこちらに向けたまま。いつも俺を追っていたあのオッドアイは、涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。
彼女は、ただ俺を見ていた。
取り返しのつかない罪を犯して現場を見られた子供のように。あるいは、主人に捨てられるのを悟った手負いの幼犬のように。
恐怖、羞恥、そして底知れぬ絶望。
全ての仮面が剥がれ落ち、そこには塵のように卑小な魂だけが残されていた。その瞳は、声にならない声で乞っていた。
『見ましたか? 私は怪物です』
『お願い……捨てないで』
世界は、彼女のその砕け散った硝子のような瞳の中に、永遠に定着(フリーズ)したようだった。
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