其の十一
赤松氏の将軍暗殺。世に言う「
室町幕府六代将軍足利
新築した自邸に義教を招いての暗殺には、赤松氏をはじめとした多くの犠牲があり、周防の守護、大内
当時揚知客は二十一歳。
そして、揚知客が父と慕った大内持世の悲報は、揚知客と同じ二十一歳で家督を継ぐことになった大内
それから何年か過ぎたある日、大内氏が揚知客にぽつりと問いかけた。
「お前は、絵が好きで描いているのか?」
「当然です」と、応えなければいけない問いだった。なのに、どうしたことか、揚知客の口から応えは出なかった。言い澱む揚知客にちらりと視線を投げかけ、大内氏が淡々と続ける。
「俺はお前に、描くことを強要してるわけじゃない。描かなければいけないという気持ちで描かれた絵なら、俺はいらない」
その言葉に、落胆の色を滲ませ俯く揚知客に、大内氏が言葉を重ねる。
「間違うなよ。これは命令なんかじゃない。まして、見切りの言葉でもないぞ」
言いながら、大内氏がくしゃくしゃと自分の髪をかき混ぜる。
「俺は、言葉が上手くない。もっと、良い言いようもあるんだろうけどなぁ」
少しだけ情けなく呟く大内氏に、揚知客の視線がついと上げられる。その視線を捕らえ、大内氏が朗らかに笑う。
「あのな、実はこれ、父上の遺言なんだ。いつかお前が、自由に色んなものが描けるようになるまで、見届けろってさ」
揚知客の瞳が、苦悶にゆがむ。
「父上は、お前に無理矢理描かせる為に、此処を用意したわけじゃないんだからな」
言葉を継げない揚知客に、大内氏は穏やかに言う。
「だから、無理はするな。描きたいと思うようになったら描けばいい」
君主と庇護されるものという間柄でありながら、同い年の大内氏と揚知客には兄弟に近い情があった。
本当の息子のように接してくれた大内持世は見守るに徹していたけれど、教弘は違っていた。揚知客に対して友人のように、時には兄のように、屈託のない言葉を投げかけてくる。その大内氏の言葉にある、深い情愛を、揚知客は知っていた。
くらりと眩暈のようなものを覚えて、揚知客は頭をふる。
それらは遠い日々の出来事のはずなのにあまりにも鮮やかで、思い出のはずの風景がその一瞬の空気の色まで甦って、意識が錯雑と乱れていく。過去と現在が一緒くたに流されて、混ざり合っていく。
瞳の前にある古びた書状は、過ぎ去った時をこえ揚知客の前にあった。
めぐる追憶に、今を見失いそうになり、揚知客は視線を庭へと移す。今を瞳に刻もうと移したはずの視界には、風にたなびく菊花が魅せる、幽玄の世界がある。秋雨が奏でていた、やわらかな雨音は消えていた。開け放たれた蔀戸の向こうは、ぼんやりと明るさを取り戻している。
溜息のようにゆっくりと霧がたちのぼり、色も
―― 我が道を得んと願うなら、桜の皇子を尋ね候へ
伎芸天の謳うような声音が、不意に思い出され、揚知客の瞼が熱く滲む。何もかもから逃げるように旅立った朝の風景が、夕暮れの、
揚知客にとって、描く事は生きる事だった。描けないという事は、息を止められるよりも苦しい事だった。なのに今は、一本の線さえまともに描けない。
幼い頃、見たものを素直に描き、命を吹き込んでいたあの頃は、足の指先でさえ欲しいものが描けた。褒めそやされることしか知らなかった自分が、描くことに迷っているなど口が裂けても言えなかった。
だから自分を騙し騙し、師に言われるままに、中国絵画の模写に明け暮れていた。そして、見も知らない人の筆跡を辿りながら、見たこともない風景だけを描き続けることの息苦しさを、誰かに言うことはもちろん、問うことさえ出来ずにいた。
鬱々と胸に溜まっていった
―― 助けてください……
誰にともなく、呟いていた。
―― 私は、描きたいのです!
夢に行き留まった混沌は、出口を求めて荒れ狂っていた。
失くしてしまった夢。その夢を、どうしても、もう一度この手に掴みたくて旅立った朝。描きたいと思うことそのものが、自分には過ぎた願いのように思えて苦しくて。誰でもいいから、間違ってはいないと、望みのままに生きろと、そう言って欲しくて。
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