兵士は死なず

曇空 鈍縒

第1話

 空は青々と晴れ渡り、木々には冷たく澄んだ風が吹き付ける。

 木々の根がうねる歩きにくい山中を、俺は歩いていた。


 四十キログラムをゆうに超える背嚢と、前後にセラミックプレートが入った防弾ベスト、弾薬ポーチ、無線機、ファーストエイドキット、小銃、その他諸々。

 ギリギリまで減らしてなお、その総重量は百キログラム近い。


 全身の筋肉が酸素を求めて軋む。冷たい空気を吸っているせいで肺が痛い。


「一旦、休憩にするぞ」


 先頭を歩いていた小隊長のダニエル准尉が、軽く腕時計を見て決定する。


 大柄で立派な顎髭を持つ彼は、もう二〇年以上、戦前から軍に勤めるベテランだ。

 その発言権は下手な士官より大きく、そして下手な士官よりずっと頼りになる存在だった。


 休憩の合図に、俺は筋肉の緊張が緩んで全身から力が抜けるのを感じる。


 だが、道のりはまだ百キロメートル以上ある。しかも、たとえ全ての計画が完璧に進んだとしても最低一回は敵と交戦する必要があった。


 今すぐ逃げ出したい衝動に駆られたが、自分が今、殺傷能力のある武器を持っており、小隊二十八名の小隊員の全員がそれは同じであるという事実が、その衝動を即座に打ち消した。


 任務を達成しようが必ずしも死を避けられるわけではないが、任務から逃げたら死は避けられない。仲間や憲兵の追跡を奇跡的に逃げ切っても、社会的には死ぬ。


 どれだけキツくても、一番死から遠い道を進むしかないのだ。


 小隊の兵士たちは交代で周囲を警戒しながら野戦糧食を食べる。匂いが漏れて敵に発見されることがないよう、ポンチョで全身を覆った上でだ。


 メニューはフレンチトースト、ビーフジャーキー、ドライフルーツ、カフェイン入りキャンディー。


 加熱なんてする余裕はないが野戦糧食は加熱する必要がない。そして、野戦糧食の味は、食べることが可能な程度にしか考慮されていない。完全に栄養補給のためだけの食事だ。


 俺はオリーブグリーンの袋を破って、単純な甘味や塩味など気にすることもなく淡々と食事を終え、警戒要員と交代する。


 その間、小隊長は先任下士官や各分隊長らと何やら話し込んでいた。


 俺たちの任務は、捕虜になった戦闘機パイロットの救出だ。それに関する話だろうが、盗み聞きをしようとは思わなかった。俺のような兵卒まで知る必要がある話だったらすぐにダニエル准尉が通達するだろうし、そうでない情報は知ってもどうしようもないので、わざわざ聞く必要がない。


 俺はただ命令に従っていればいいのだ。


 警戒についた俺は木々の陰で銃を構え、五感を研ぎ澄ませる。動物の鳴き声や草木の揺れる音、獣臭と自分の体臭が混じった、濃い緑の匂い、揺れる木漏れ日。防寒着越しに感じる冷たい空気と、地面の柔らかさ。


 俺は自分の体が森に同化するような、不思議な感覚を味わう。


 敵がいなければ、戦場だって平和そのものだ。


 休憩は十数分ほどで終わった。小隊は再び前進を開始する。


 しばらく立ち止まっていたことで薄れていた疲労は、すぐに戻ってきた。


 徐々に日が昇って、冷たく冴え渡っていた空気は、ぬるく濁っていく。


 それと同時に流れてきた汗が下着を瞬く間に湿らせ、俺に不快な感覚を与えた。


 俺は小隊の列のやや後ろの方にいる。前方の視界は前を歩く兵士の背中で塞がれていた。至近距離になると、迷彩服と森の境界もくっきりと浮かび上がる。


 突然、俺の前を歩いていた兵士が歩みを止めた。


 俺も立ち止まる。


 何が起こったのかと気になり前方の方を見ると、どうやら小隊長が停止のハンドサインをしたようだった。


 敵でも現れたのだろうか?


 俺は小銃のグリップを握り締める。


 銃を保持している両腕には疲労が溜まっていたが、銃撃戦をできないほどではなかった。できれば、ただ目的もなく歩いている方が良かった。


 百キロメートル歩いても死にはしないが、一発の銃弾を受ければ確実に死ぬ。


 俺は周囲を探ったが、森の中に敵兵の姿を認めることはできなかった。


「総員、展開して対機甲戦闘用意」


 小隊長が言う。


 もしかしたら無線から何か連絡が入ったのかもしれない。敵の機甲部隊が我々の方へと接近しているのか。


 だとすれば、戦闘になる。


 俺は恐怖と昂揚を同時に感じた。


 だが体は訓練通りに、まるで機械のような正確さで動く。


 俺は地面の起伏を探し出してそこに伏せると、背嚢に括り付けておいた筒状の対戦車ロケット発射機を構える。小銃はすぐに撃てるよう手元の近くに置いた。


 こんな森の中に機甲部隊が入ってくるのだろうか?


 俺は疑問に思ったが、それはすぐに解消された。


 地面の揺れと共に、偵察戦闘車がその姿を表す。


 回転砲塔に機関砲を搭載し、各種センサーが取り付けられている。大きさは戦車ほどではないが、歩兵に比べれば十分に大きい。装甲も大して分厚くはないが小銃では歯が立たない程度のそれは備えている。


 そして、その周囲には二十名ほどの敵歩兵がいた。


 やり過ごすのは不可能だろう。だが心配はいらない。こういった場合のことはしっかりと訓練してあるし、作戦前にも説明を受けた。


 第一分隊の展開しているあたりから、一斉に対戦車ロケットが飛び出す。


 一発は外れて森の木を一本吹き飛ばしたが、残りは偵察戦闘車に直撃した。ほとんどは装甲に阻まれて有効打にならなかったようだが、一発が砲塔と車体の隙間に突き刺さった。


 やかましい金属音と共に偵察戦闘車は停車する。車体からは黒い煙が上がった。


 地味だが撃破には成功したようだ。ハッチが開き、重傷を負い服に火がついた乗員たちが偵察先頭車から飛び出すと地面で転げ回る。


 俺はもう撃つ必要がなくなった対戦車ロケット発射機を地面に置いて、小銃に持ち替えた。


 銃側面のレバーを人差し指で押して銃のモードを安全装置から単発に合わせ、敵兵の一人に狙いを定める。


 指の震えを感じたのは一瞬で、俺は概ね訓練通りに引き金を引いた。


 反動が俺の方を殴る。俺が撃った敵は地面に倒れていた。頭から血を流している。

 死んだらしい。


 俺は何も感じなかった。ただ、早く敵を排除しなければならないという焦りだけがあった。


 俺は敵兵に照準を合わせ、慎重に引き金を引いていく。顔のすぐ横を弾丸が通り抜け、耳にヒュンという弾丸が風を切る音が届く。


 俺は全身を恐怖に支配されて伏せる。どうやらただの流れ弾だったようで、二発目が飛んでくることはなかった。


 俺は慎重に顔を上げ、再び銃を構えた。


 奇襲を受け偵察戦闘車を失った敵兵は、瞬く間に数を減らしていった。味方が投擲した手榴弾が炸裂し、偵察戦闘車の近くに隠れていた敵兵らを切り刻む。


 やがて発砲音は消える。


 敵部隊は壊滅していた。


「被害状況を確認しろ」


 小隊長が声を上げる。俺は立ち上がった。


 敵は壊滅したが、こちらも無傷というわけにはいかなかった。


 頭部の鼻から上を失った者、腹部に被弾して死にかけの者、肘から先を失った者など、数名ながら死傷者もいる。


 奇妙に甘ったるい血の匂いが鼻腔をくすぐる。


 同じ釜の飯を食った仲間たちの酸鼻を極める姿に、俺はそれが自分でなくて良かったと安堵し、即座に自己嫌悪を感じる。


「どうした?」


 第二分隊長、俺の直属の上官であるマーティ曹長が声をかけてきた。


 気付くと、俺は歯を食いしばっていた。かなりひどい顔をしていたのだろう。


「いえ、問題ありません」


 俺は言う。


「そうか」


 マーティ曹長はそう言って、会話は終わった。お互い、長く話すような体力など残っていなかった。


 小隊の衛生兵が冷静にトリアージを行う。負傷者は連れていけないので、無傷の兵士四名を付けた上で撤退させ、死者は残置することとなった。


 二十八名だった小隊は、十八名にまで減った。それに伴って編成についても見直され、第三分隊は解体され、小隊は二個分隊編成となった。


 小隊は、再び移動を開始した。

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