第10話 5.未完の傑作 堀川花湖様


企画にご参加ありがとうございました!

面白かったです。



▶︎もしくは、若さの満ち満ちた艶のいい「こころ」そのものが存在しているのかも。


なんかココ。笑ってしまいました。若さ!満ち満ち!艶!w 私には最初からなかった気もするw


▶︎ねえ三島由紀夫さん、あなたは百年前にお腹を割いたけれど、


生誕百年で、享年45歳だから、割いたのは55年前?


▶︎わたしの腹部は綺麗に閉じていて、逆立ちしてもジャンプしても腹パンしても何も出てこない。


体内って、あの綺麗な図のようではなく思っている以上に配置は人それぞれらしいですよ。エンバーミングの人が言ってました。裂かなきゃわかんないんですねー。


▶︎「なんで、あんたは中途半端に変なの?」とよくいっていた。


私も子育て失敗したといわれてましたね。


▶︎あんたが勝手に産んだんだから責任もって最後まで育てろよ、学費くらい払えよ、って。


この謎はいまだに私も解けなくて、色んな解答に目は通しましたがどれも納得できず、問いが不適切なんだなということだけはわかりました。


母の描写に入りますが、母性的なものの厄介さを感じますね。母娘問題は割と語られやすいですが、どう流れていくか楽しみです。


▶︎その声をきくと、いつものことだけど、わたしは急に泣きそうになる。さっきまで、淡々と母の世話が出来たというのに、今更泣くなんておかしいよねって、もう一人のわたしがわたしを嘲っている声がする。


せやねん!です。まあ自分、散々色んな家庭見てきましたが、子どもが人格分裂させてまで親のケアしてるのってある。


▶︎ぞんび肉のパックを捨てずに、そばでじっとしているものだから、そのにおいが、わたしに染み込んでいるらしい。


私もよく「人間がくさい」描写しますが、実際、精神が終わってる人は臭い。免疫下がってるから。


▶︎彼らが災害に対して見せる「たくましさ」みたいなものはどこにいったんだろうか、ってぼんやり思うことがある。


岩手は熊に脅かされることで屈強さに回帰してる気がします。


▶︎ぞんびでない人間は一律坊主頭にするようにと国からお達しが出ているから。


コロナの時に国の強制力を身近に感じましたね。私も坊主にしたい。


▶︎わたしはただ単に、脂がぎとぎとに染み出ているので、ぞんびは燃えやすい――そんなことを、思い出しただけだった。あと、ぞんび肉のパックのとなりで、もう泣かなくていいのかなあ、とも思った。


いいですね。人間、こういうとき意外と呑気になる。


▶︎ヤスは、ならいいんだけどさ、思ったより未練なくて、と漏らした。言い訳みたいに。


ヤス、優しい。


処理しきれない圧が腹部にかかるのがいいですね。


▶︎わたしはもろもろと泣きながら、でもやっぱり踏ん切りがつかなくて、ざり、と陰毛を剃っただけだった。腹じゃなくて。そもそもこんな剃刀じゃ死ねないだろうけど、ってあとから気づいた。それでも剃刀を動かす手は止められなくて、陰毛を全部剃った。「アソコの毛がなければそーゆー行為ってふつうよりキモチクなる」って、高校の下世話な友人が力説していた記憶が、ふと蘇る。わたしって彼女がいっていたみたいな、性の喜びすら享受できないままぞんびになっちゃうのかな、って思う。


大人の象徴を失っていきますね。毛を剃るというのは衝撃的ではありませんが、その行為に至るまでの過程や、何を重ねているかがわかるので精神的には痛ましく、語りの滑らかさの中にもいっぱいいっぱいであるリアリティがあります。


シャンプー飲んじゃうあたり、リアルですね。ODじゃないあたりの優しい気持ちが苦しみの源に思えて、不条理の中にもがく様が良きです。


▶︎見れば、『お母さん誕生日』というリマインダーが来ていた。過去のわたしの無神経さが肺にずぶずぶ刺さって、そこから出た空気が声帯を震わせて、一つの呻き声を生成する。


逆に笑ってしまいました。これはヤバい。死にたくなる。言葉も上手いし。天才ですね。


▶︎結局、スーパーで牛肉と小さなカップケーキを買った。ほんとうは本格的なケーキが買いたかったけど、もちろん売ってないから、カップケーキ。ぞんび肉ではなく牛肉を買ったのは、最後の食事なのに、いつものぞんび肉では味気ない気がしたからだ。母の「精神」はもう生きていないはずで、「肉体」もじきに失われる、だったら最後のけじめをつけたい、というのもあるかもしれない。わたしは、もう、最後までエゴだ。


ぎょえー、優しすぎる。。。


▶︎わたしはビニール袋からカップケーキを取り出すと、包み紙を剝いて、一口かじる。それを咀嚼すれば、ぱさついた小麦粉の味がした。残りのカップケーキを、母のいるバスタブへ投げ入れた。そして、わたしはハッピーバースデーの歌を歌った。ハッピーバースデー、トゥーユー、ハッピーバースデー、お母さん。途中から、その歌は挽歌みたいなニュアンスを含んできて、耐え切れなくったので、歌うのをやめた。


終末世界観に正常な精神と狂気入り混じってますね。


▶︎ずっとひたひたと足音を響かせていたタナトスが、急に接近してきて、わたしを脅かす。それはあまりに酷くて叫びたくなるけれど、恐怖の追随がそれを許さない。視界が揺れる。浴室の天井の染みが、黒い太陽みたいにわたしをじっと見下している。このままじゃぐちゃぐちゃんなって死ぬなあ、と思う。母の口からは、いつもの声が響き続けている。


おかんが相手というのが、もう!


▶︎わたしは、母の世話を、エゴだけで行い続けたことを後悔した。ごめんなさいお母さん。たぶん、いまその天罰が下っているのだ。でも、わたしは利己的な人間だから、それを受け入れてしまうのはなんだか悔しくって、でもくたばりそうで、左手でポケットの中をまさぐる。すると、そこにはヤスからもらった携帯ナイフがあった。わたしはもう判んなくて、左手で携帯ナイフを取り出すと、母の腹の左側に突き立てた。ぷちゅ、ガスが抜けるみたいな音がして、血が溢れ出す。わたしはナイフを右に動かす。切腹するみたいに。もはやわたしを突き動かしていたのは、長年熟成させたどろどろの衝動だった。腹の奥には一体何があるのか。わたしは必死で母の腹を割くと、その中へ手を突っ込んだ。赤黒くて、半分腐った内臓をかき分ける度、腐臭が鼻腔を滅多刺しにするが、気にしない。とうとうたどり着いた先には、背骨も、寄生虫も、こころもなかった。――わたしはたまらなくなって、目を見開く。


……終わった!! 終わってしもた!!

これは……どうなんだw

個人的にはラストこそ堀川花湖が何者であるか語るとこかなと思いますが、結などなくていいと群像に書いてたんで、もういいのかもしれません。

頑張りましたね。

面白かったです。



私としては本作は母娘問題がテーマで、母というものをありのままに書き、十代の成長と捩れを終末世界で拡大して書いたのだと解釈しました。

子が独立するということを、ヤスのナイフに重ね、ヤスのナイフで精神的な臍の緒を切ろうとしている。

そう見えました。

だから、ラストどうなったのかめちゃ気になるけど、あんまりキッチリ書くとエンタメ寄りになりそうだから、未完の傑作でも良いかと思いました。



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