追放された大魔族、喫茶店を経営する

@harusaki_129

第1話

「お兄さん格好良いから特別料金にしてあげるわよ」

違法につくられたコンクリート製のビルが建ち並ぶ大きなスラム街で、本日何度目になるか分からない女の手招きにうんざりしながら、レヴィゼインは疲れたように溜め息を吐いた。


腰まで伸びた艶やかな銀糸の髪に切れ長の涼しげな瞳を持った彼は、他人と関わることを嫌っているため繁華街を避けようと路地裏を歩いていたのだが、どうやら判断を誤ったようだ。

彼の手を引いて露出の多い衣装に包まれた自身の胸元に導こうとする女の手を払って、「日用品を買いに出ただけでどうしてこんな目に遭うんだ」と呟いたレヴィゼインはしなやかな肢体を翻し、建物の壁や梁に無秩序に取り付けられた看板が密集し、赤い提灯の下で商店や露店がひしめき合う歓楽街に足を踏み入れた。


彼は人々に押されながら狭い通りを長袍の裾を揺らして歩き、建物の壁や梁に無秩序に取り付けられた、極彩色の文字が表示されている大衆向け広告や電飾に辟易しながら、スラム街の中層に位置する歓楽街の路地裏を抜けて『黒山羊珈琲堂』と書かれた小さな電飾看板の設置された洋館風の建物に取り付けられた扉をやや乱暴に開く。


「お待ちしてましたよ、レヴィ様」

飾り棚に整頓された西欧アンティーク調の小物が並べられ、四つの重厚な木製テーブルとセットで置かれた椅子の奥に一枚板のカウンターが設置された店内では、やや目元にかかるふわふわした紅茶色の癖毛が特徴的な青年が「もう朝ごはん出来てますよ」と言いながら、皿を片手に彼に歩み寄りにかっと笑った。


黒山羊珈琲堂に漂う深煎りの豆の香りにほうと息を吐いたレヴィゼインは、目の前のテーブルに皿をことりと置いたカイゼルに「遅れたくて遅れたわけではない」と応じる。

氷のようなレヴィゼインの顔に一瞬浮かんだ表情を見てとってか彼が持ち帰った、日用品の詰められた紙袋を恭しく奪い取ったカイゼルをちらりと見たレヴィゼインは、呆れたというように小さく首を振った。

「全くお前は気が利かない訳ではないのに⋯朝の仕込みがあるからと主人に買い出しをさせる眷属がどこにいる」


彼の言葉を聞いたもうひとりの従業員が、布巾を動かす手を止めてぴくりと震える。

ストロベリーブロンドの髪を腰の辺りで切り揃えた彼女もやはり大魔族レヴィゼインの眷属であり、襟元や袖口にレースのあしらわれた上品な黒の膝上丈のフレアスカートに身を包み、ショート丈の白いエプロンをかけていた。レヴィゼインによってキルフェと名付けられた彼女が緊張したように顔を伏せたことを気にも留めず、「ここにいますねぇ」と楽しげに話すカイゼルに諦めたような溜め息を吐いた彼は、皿の上に盛り付けられた朝食に意識を移す。


一見レヴィゼインに敬意を抱いていないように見えるカイゼルだが、その忠誠心がキルフェと遜色のないものであることは知っているので、彼の勤務態度については考えるだけ時間の無駄なのだ。


分厚めに切ったトーストの上にとろとろのチーズと野菜を載せ、ケチャップを塗って端が焦げるくらいまで焼いたものが今日の朝食らしいが、レヴィゼインは手の汚れる食事を好んでいなかった。

渋い顔をしてフォークをつぷりとトーストに突き立て、ナイフを動かす彼を見てキルフェが端正な顔立ちに気遣いを滲ませながら『今月も店は赤字です』と書かれた紙を差し出す。


「どうして食事の時に嫌な話題を⋯キルフェ、まだ清掃の途中だろう」と彼女に返答したのは耳の痛い話を蒸し返されたくなかったからではなく、あくまでふたりしかいない従業員の開店準備を止めてはならないと判断したたためだ⋯そう心中でぼやきながらレヴィゼインは「なぜ年中赤字なのだろうか」と眉を寄せて呟いた。


黒山羊珈琲堂ではカイゼルが調理を、キルフェが接客を担当しており彼はカイゼルに「レヴィ様も働いてくださいよ」とからかわれながら、一日中カウンターの端の席でコーヒーを嗜み本のページをめくる。

訳あって大魔族であることを隠して人々の集まるスラム街で喫茶店を営む彼であるが、営業形態にまで人のものを適用させる気など全く無かった。魔族の世界では下の身分の者が上の者に奉仕をすることが当たり前なのだ⋯部下に頼まれて使いっ走りをする大魔族などレヴィゼインをおいて他にいないのである。


「開店の札を出してきますね」と言ってシンプルな白いシャツの上に黒いベストを羽織り、ギャルソンエプロンをはためかせながら黒山羊珈琲堂の扉を出ていくカイゼルの背中を見送ったレヴィゼインは、今日も数少ない常連客たちの会話を聞きながら安穏とした時間を送れるだろうと考えていた⋯覚悟を決めたように自身の頬をぺちりと叩いたキルフェに声をかけられるまでは。

──

第1話を読んで頂きありがとうございます!

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