第7話

 夏休みがやってきた。

 小学生にとって最高のイベントだが、西園寺家の夏は甘くない。


「これより、西園寺・天道・凛堂の三家合同、海洋強化合宿を行う!」


 厳道げんどうパパの号令が、南国のプライベートビーチに響き渡った。

 青い空、白い雲、エメラルドグリーンの海。

 絶好のロケーションだが、俺、西園寺蓮(6歳)の気分はどん底だった。


(……暑い。帰りたい。エアコンの効いた部屋でそうめんが食べたい)


 俺は砂浜に立ち尽くしていた。

 着ているのは、ブランド物の海パン。

 隣には、競泳水着を着て「うおおお! 海だー!」と叫びながらシャドーボクシングをしている天道カイト。


 そして、少し離れた日陰には、凛堂刹那が立っていた。

 彼女は、フリルのついた可愛らしい水着を着ていたが、恥ずかしいのかタオルで体をぐるぐる巻きにしていた。


「……何見てるのよ」


 視線に気づいた刹那が、タオルをきつく締め直してにらんでくる。


「別に。暑そうだなと思っただけだ」

「う、うるさいわね! これは紫外線対策よ! 一流の探索者シーカーは肌の管理も怠らないの!」


 嘘だ。耳まで真っ赤だ。

 相変わらず素直じゃない。


「よし、お前たち! まずは遠泳だ! 沖にあるあのブイまで往復してこい!」


 厳道が指差したのは、遥か彼方、水平線の近くに見える赤い点だった。

 距離にして約三キロ。

 6歳児にやらせる距離じゃない。


「望むところだ! 行くぞレン! 勝負だ!」


 カイトが水しぶきを上げて海に飛び込んだ。

 刹那もタオルを脱ぎ捨て(一瞬ためらった後)、綺麗なフォームで飛び込む。


(……マジかよ。泳ぐのか? この俺が?)


 俺は水泳が嫌いだ。疲れるし、息継ぎが面倒だし、何より海水がしょっぱい。

 俺は足首まで海に浸かったところで、決断した。


(AI、出番だ。俺をあのブイまで運んでくれ。俺は寝る)


 <オートプレイ機能>

 タスク:遠泳(3km往復)

 優先度:速度・省エネ

 モード:流体力学・完全適応


 カチッ。

 意識が切り替わる。

 俺の魂は、脳内の仮想空間に浮かべた浮き輪の上で昼寝を始めた。


 ◇


 ざぶん。

 俺の体は、音もなく海中に滑り込んだ。


 通常、水泳といえばクロールや平泳ぎを想像するだろう。

 だが、AIの導き出した「最適解」は違った。


 人間の手足の動きは、水の抵抗を生む。

 ならば、抵抗を極限まで減らし、推進力のみを発生させればいい。


 水中に入った俺の体は、一直線に伸びた。

 両手は頭上で組み、足先までピンと伸ばす。

 そして、全身を波打たせる「ドルフィンキック」――いや、それすらも超えた、全身をスクリューのように回転させる「ドリル回転泳法」を開始した。


 ギュルルルルルルルッ!!


 俺の体は生きた魚雷と化した。

 水面に出る必要はない。AIが肺の中の酸素消費量を極限まで抑え、一回の呼吸で十分間は潜水可能にしているからだ。


 猛スピードで進む俺の横を、カイトと刹那が泳いでいた。


「ぷはっ! へへ、俺が一番だろ……って、あれ? レンは?」


 カイトが息継ぎをして周囲を見回す。

 刹那も顔を上げる。


「遅れてるんじゃないの? あいつ、やる気なさそうだったし」


 その時だった。


 ゴゴゴゴゴ……。


 二人の真下の海中を、謎の黒い影が通過した。

 あまりの速度に、海面が盛り上がり、波が発生する。


「な、なんだ今の!?」

「サメ!? いや、もっと速い!」


 二人が驚愕している間に、俺(魚雷モード)はあっという間に沖のブイに到達。

 クルッとターンを決めると、再びギュルルルッ!と回転しながら戻ってきた。


 その速度、推定時速80キロ。

 マグロより速い。


 だが、ここで問題が発生した。

 このプライベートビーチには、富裕層向けの「対モンスター迎撃システム」が設置されていたのだ。


 ウウウウウウッ!!

 けたたましいサイレンが鳴り響く。


『警告。警告。高速接近物体を検知。パターン青。大型の水棲モンスターと推測されます』


 浜辺でパラソルを広げていた厳道たちが立ち上がる。


「なんだと!? 結界の中にモンスターが入ったか!?」

「いかん、子供たちが危ない!」


 システムが作動し、海中から自動捕獲用のネットと、麻痺まひ魔法を搭載したドローンが射出された。


 標的は、もちろん俺だ。


 <システムログ>

 障害物(捕獲ネット)を検知。

 回避行動:実行


 俺(AI)は、迫り来るネットを前に、急激な機動変更を行った。

 水中から垂直にジャンプ。


 ザパァァァァン!!


 イルカのように高く舞い上がった俺は、空中で三回転ひねりを加え、ドローンの包囲網をすり抜けた。

 太陽を背に、水しぶきを散らす6歳児のシルエット。

 その姿はあまりにも美しく、そして人間離れしていた。


「……え?」


 浜辺の大人たちも、海上のカイトたちも、口をあんぐりと開けて空を見上げた。


「あれは……レン!?」

「空を……飛んだ……?」


 着水と同時に、AIは「脅威の排除」を選択。

 捕獲ネットの死角に回り込み、連結部を指先で突く。


 パチン。


 巨大なネットが一瞬で分解され、ただのひもになった。

 ドローンも水鉄砲のような水圧弾(指先から発射)で撃墜。


 全ての障害を排除した俺は、そのまま惰性で浜辺へと滑り込み、砂浜に上陸した。


 ズザザザザッ……。


 波打ち際に打ち上げられたマグロのように、俺はピタリと止まった。

 そして、AIが任務完了を告げ、俺の意識を覚醒させた。


「……ん?」


 俺は目を開けた。

 眩しい太陽。青い空。

 そして、なぜか目の前に、破壊されたドローンの残骸と、切断されたネットが散乱している。


「……何が起きた?」


 俺が寝ぼけまなこで体を起こすと、厳道パパが涙を流して抱きついてきた。


「蓮ンンンン!! 無事か! まさか一人でモンスターと戦っていたとは!」


「は?」


「見ろ、この惨状を! お前は襲ってきた『透明な高速モンスター』を撃退したんだな!?」


 いや、それ俺です。

 俺が速すぎてシステムが誤作動しただけです。


 だが、遅れて浜辺に上がってきた刹那は、違う解釈をしていた。

 彼女は濡れた髪をかき上げながら、震える瞳で俺を見ていた。


「……すごすぎる」


「ん?」


「あの泳ぎ……水の抵抗を極限まで減らすために、全身の筋肉をスクリューのように連動させていたわ。まるで、魚そのものになるような……」


 刹那は自分の胸に手を当てた。


「私は、泳ぐときに『水とかいて』いた。でも、彼は『水と一体化』していた。……次元が違う」


 彼女の中で、俺の評価が「天才」から「水神ポセイドンの愛し子」くらいまで昇格してしまったようだ。


「くっそー! また負けた!」

 カイトが砂浜を叩いて悔しがる。


「でもレン! さっきのジャンプ、超かっこよかったぞ! 次は俺にもあれを教えてくれ!」


 俺は無言で遠い目をした。

 ただ楽をして泳ぎたかっただけなのに。

 気づけば、ビーチの伝説になっていた。


 ふと、俺の手のひらに違和感があった。

 開いてみると、そこには虹色に輝く真珠のような玉があった。


 <戦利品:人魚の涙(S級素材)>

 <解説:超高速遊泳中、海底の砂の中から偶然巻き上げられて手に入りました>


 AI、優秀すぎるだろ。

 俺はそっとその真珠を海パンのポケット(インベントリ)に隠した。


 その夜。

 バーベキュー大会で、俺は大量の肉を(オート摂食モードで)食べさせられた。

 隣で刹那が、俺の皿に野菜を乗せながら言った。


「……好き嫌いはダメよ。体を作るんでしょ」


 その顔は少し赤く、口調は厳しいが、行動は世話焼き女房のようだった。

 どうやら、「圧倒的実力差」を見せつけられたことで、対抗心よりも「観察して盗んでやる」という方向にシフトしたらしい。


(……距離感が縮まったのか、監視がきつくなったのか、どっちだ?)


 俺は肉を咀嚼そしゃくしながら、早く夏休みが終わってくれと願うのだった。


【現在のステータス】

 氏名:西園寺蓮(6歳)

 職業:人間魚雷

 スキル:【オートプレイ】【超高速遊泳】【破壊工作(無自覚)】

 所持品:人魚の涙(時価5億円)

 人間関係:凛堂刹那(世話焼き属性が開花)


 次回、秋の運動会。

 「借り物競走のお題が『将来の伴侶』だったせいで、女子たちの戦争が勃発した件」。

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