あいでなくなっても
@kobemi
虫かごのふたり
人は誰しも、何かしらの囲いの中で生きている。それは物理的にも、精神的にも言えることだ。そうしなければ、人は雨風をしのぐことができない。虫かごの類なんかは、進んで入るものではないけれど、たいていの場合、そして特に人間の場合は、自主的に、自分自身の身を守るために、あえて閉じ込められることを選択する。
姉だ。
豆美の家は彼女の両親と、父方の祖父母、そして姉の渚を入れての六人家族だった。ついでにシェプランドシープドッグのモヨの一匹も入れてあげよう。
渚は昔からなんでもそつなくこなすタイプで、容量の悪い豆美とは大違いだった。最近では成長期が来たのか、うんと背が伸びて、その分部屋の領土を侵犯しがちなので、そこもまた鬱陶しい。
でもそんな姉のことを、父も母も祖父母も、家族のみんながもてはやす。モデルさんにだってなれるんじゃない?と甲高い声で褒めてみせる。姉はむりむりと口ではそう連呼するけれど、実際のところ、どう思っているのだかよく分からない。
ただ唯一、姉とのことでよかった点を挙げるとするならば、学力に差がある二人は、必然的に同じ学校に通うようなことはまずあり得ないということだった。比較対象として見なされるのは、家の中にだけに限った話になる。だから豆美は、常日頃から早いところこの家を出て行きたいと考えていた。姉の渚は高校二年生だ。成績は入学してからずっと、学年トップの座をキープし続けているらしい。母は姉と豆美の二人が共同で使っている狭い部屋で、聞こえよがしに姉のことを褒め立てるので嫌でもその類の情報は耳に入ってくるのだ。
順当にいけば、姉は進学するだろう。今は冬。こうしてぬくぬくと炬燵でだらけているうちにも、二階の部屋のすべてが自分のものになるその時は、刻一刻と迫りつつあるのだ。
周りに散乱するみかんの皮のことなんて気にも留めないで、豆美はそんな風な妄想の世界に囚われていた。彼女の突っ伏している炬燵の上には、数学のプリントが敷いてある。よだれの痕やらみかんの汁やらでひどいあり様だけれど、これでもカバンから引っ張り出しているだけまだマシと思う。ひどい時は家に帰る頃には行方知れずになっていることだって、素行不良の豆美にとっては日常茶飯事なのだ。
テレビはこれといって面白いものをやっていない。平日の午後の時間なんてこんなもんかなと、頬杖を突きながら豆美は思った。かといって、することもなければしなければならないこともない。いや、宿題はしなければならないことなのかもしれないけれど、それはやっぱり人それぞれ、物の見方というものがあって、その人の尺度によっては、そこまで迫られたものにはなりはしないのだ。少なくとも、豆美はもうとうに諦めている側の人間だった。
ただ、さしもの豆美も、高校くらいは行っておかなければと思うから、そういう危機感から、一応取り組もうとしているだけ。そういう風な惰性的な気持ちでしかない。
ため息交じりに、天井を見上げる。二階の部屋では、渚が勉強をしているのだ。これはもうほとんど、渚の趣味といっていいだろう。最近、雛野家では渚をこれでもかとお嬢様扱いする風潮が強い。高校二年の冬というのは、もう受験に向けて必死こいて勉強を始めていなければならない時期らしい。中学に上がるときだってそんな実感は皆無だった豆美である。大学生になるための勉強なんて、とても及びつかない話だった。
渚がカリカリとシャーペンを走らせている傍らで、ぐうたらと惰眠を貪っている豆美のことを、家族のみんなは目ざとく発見する。祖父母は比較的優しいので、みかんやらお菓子の類で豆美のことを優しく部屋の外へと誘導してくれる。今日はそのパターンだった。ただ、母の場合はというと、烈火のごとくぶち切れにぶち切れて、豆美のことを寒空の下に放り出そうとしてくる。豆美と母が乱闘騒ぎしている方が、よっぽど渚の勉強に悪影響だろうということに、豆美の母はいつも気がつかないのだ。そういう母親と、仕事一辺倒で真面目を絵に描いたような父親の元に生まれた二人が、どうしてこうも中和されることなく両極端の性格をしているのか、豆美はいつもそれが不思議だった。人と人が平等でないから争いが起きるのだとして、その場合兄弟姉妹くらいは角の立つことのないように設定して欲しいものだと、ぐうたれの豆美はいつもお空に向かって愚痴を垂れている。
そうしているうち、ぎしぎしと鳴る階段の音で、豆美は意識を現実に引き戻された。よだれのだらしなく垂れているのに気づいて、口元をぐりぐりとこする。制服のブレザーを着たままだったので、また母に皺が寄るだのなんだのと叱られてしまうなと思った。思っただけで行動には移さないところが、豆美クオリティである。
部屋のガラスの障子戸ががたがたと音を立てる。障子の向こうは木目調の廊下が続いていて、誰かがそこを通るたび、たとえどんなに注意しても障子戸を揺らさないわけにはいかないのだ。
豆美は思わず目を細めた。擦りガラス越しでは背格好がかろうじて分かるかどうかというものだったけれど、階段を通る足音がしたこと、そして今この家で二階にいるのは一人しかいないことから、それが誰かはすぐにピンときた。
「どろぼう!」
鳩時計みたく顔を出しながらそう叫ぶと、案の定そこにいたのは渚だった。どきりと体を強張らせて、彼女の無駄にでかい後ろ姿がちょうど廊下の角を曲がろうとしている。
「……びっくりした。脅かさないでよ」くるりと顔をこちらに向けて、胸に手を当てた渚が言う。
「どこいくの?コンビニ行くならお菓子買って来て」豆美はおかまいなしに渚の方へと距離を詰めた。詰めれば詰めた分だけ、渚はいそいそと玄関の方へと後ろ歩きに向かっていこうとする。
「受験生のお姉ちゃんをパシリにする妹がありますか!」
「……いたぁ。こんなささやかな冗談も通じない石頭じゃ、受かるもんも受からないね」
はたかれた頭をさすりながら、豆美はぶつくさとそうぼやいてみせる。
「かわいくないなぁ……。あ、うーん、わかったわかった。私、これからちょっと、出かけてくるからさ。その間、二階の部屋で見張り番しといてくんない?みんなに気づかれないように」
「え?」
「約束守ってくれたら、お菓子買って来てあげるからさ。おねがい!」
目の前で拝むポーズを作った渚に、豆美は茫然とするばかりだった。
「うーん、まぁ、いいけど」
こういう場面で、いつもよく考えもしないで頼まれ事を承諾してしまう自分が、自分で嫌になる。あと、お菓子一つで釣られてしまうような、安価で取引される自分のことも。
「ほんと?破ったら針千本だからね!やろうと思えばポッキーでだってできるんだから」
言うが早いか、渚はすぐさま玄関口で靴を履き始めた。飴色に光る廊下は、靴下も履かないで立っているとその冷たさがそのまま伝わってきて少しつらい。わざわざ見送ることもないなと、今更ながら豆美はそれに気が付いた。
「じゃ、いってきまーす」間延びした声で小さく告げると、渚はそそくさと家を出て行ってしまった。豆美はほっとため息を吐いて、渚が開けたことで入り込んできた冷気から逃げるように、元の炬燵部屋に引き返していった。
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