彷徨える夢の中

朔雪 令月

第1話 空を舞う魚

――夢を見ることは、あるだろうか。

 いつも同じ夢かもしれない。楽しい夢かも、不幸な夢かもしれない。


 知らない人と何処とも知らない場所でびっくりするほど仲良くする事もあれば、家族と大喧嘩するサスペンスドラマになることもあるかもしれない。


 古代では夢を見ているときは自分の体から魂が抜け出した状態であり、一種の幽霊としてこの世界を経験しているのだ、と信じられていたらしい。


 ――正夢という言葉がある。

 起こった出来事が後から現実のものになることだ。


 もしかすると、夢で出会った知らない人も夢の中で自分を見ていて、地球のどこかで探している……なんてこともあるのかもしれない。

 そんな事が現実に起こり得るのならば、の話だが。


――――――――――――――――――


「…………?」


 妙な夢を見ていた、気がする。

 内容は全く覚えていないが、見知らぬ地元を歩いたような……既視感と未視感を張り合わせたような感覚。


 奇妙な感覚を辿って記憶を夢へと巻き戻すものの、夢なんてそんなものだと言われればそんな気もする……

 いまいちはっきりとしない。


 つまるところ、見た夢の内容をさっぱり覚えていないのだ。

 全く覚えていない癖に妙に引っかかり、思い出せそうな感覚が忙しい朝の支度時間の足を引っ張る。


外は湿気った曇り空。雨が降っていないのが不思議なほどに暗い。

 時計が無ければまだ夜だと勘違いしていたかもしれない。


 そう思いながら振り向くと、ちょうど壁掛け時計が時報を鳴らす。


「あ、やべ……」


 慌てて家を飛び出す。


 傘立てから傘を引っ張り出す安物の、ともすればコンビニに置いただけで姿が消えていそうな格安百円のビニール傘こそが、俺の聖剣エクスカリバーであり聖盾イージス。


 これ一本で雨滴から身を守り、道を阻む者を打ち砕くのだ……

 ……妙にテンションが高い。嫌な予感がする。


 と言うのも何かやらかす時の人間は、決まってテンションが高いものである。


 昔からそうだった。

 例えばあれはテスト前日の夜。


――――――――――――――――――


 こつこつと学ぶ習慣の無い俺は一夜漬けでテスト範囲をカバーしようとしていた。

 勉強のお供にとかけていたラジオが深夜帯へと変わり、独特の空気感を電波に乗せる時間だった。


 それまで流れていた著名な邦楽から、アングラめいた洋楽へとシフトする頃。

 あるバンドの曲にハマったのだ。


 調べたその曲を何度も聞き直し、読めない英語を空耳めいた歌詞として歌っていた。

 カラオケに行ったときは、必ず持ち曲として歌っていた。


 ある日、ふと調べた日本語訳が教えてくれたのだ。

 それはもう、大変な下ネタ曲であることを。

 人前で、しかも学生が歌うには憚られる内容であることを、後になって知ったのだ。


 英語の出来た友人は俺の歌を一体どんな心境で聞いていだろう……


――――――――――――――――――


 ――イタイ。体は健康でも胸の内側がイタイ。


 今すぐしゃがみ込んでのたうち回りたくなってしまうような思い出に崩れ落ちそうになるが、大概そういった類は他人からすれば取るに足らない事であり、仮に聞いたところで「そうだったっけ?」で済まされてしまう程度のものだ。


 そう自分に言い聞かせながら家の門を曲がると、魚にぶつかりかける。

 朝の寝ぼけた頭はなんてことのない物にとんでもない見間違いをする事もある。


 ――――だから、今俺の目の前を泳ぐ熱帯魚も何かと見間違えているのだろう。

 目をこすり、何度か瞬きをする。願わくば可愛い美少女との出会いとかだとありがたい。


  瞳を開き、そこにいたのはネオンテトラの群れ。「テトラ」という魚の種類の中でも「ネオン」みたいな赤、青、白の色を持つからネオンテトラ。


 原産はアマゾンだから、ここにいるのは誰かに飼われていたのだろうか……きっと飼い主も脱走に気付いて焦っているに違いない。


 ……いや、違う。魚類が空中を優雅に泳いでいるのがおかしいのだ。

 手を伸ばすと驚いたのか、散り散りに去っていってしまった。


 呆然と立っていると、風を感じて端へと寄る。

 背中を鯉が追い越していった。鮮やかな青から黄色のグラデーションが美しい。


 優雅なヒレを見せながら空を目指す鯉のぼり。シャボン玉よりも高く、天まで届きそうな鯉だ。

 大海のごとき大空を泳ぐ内に鯉は雲を食べ、少しずつ大きくなる。


 空を青空へと変え、空を我が物とするその姿は畏怖にも似た敬意を抱かずにはいられない。

 大きさは百メートル程。きっとギネスにも載る。空を舞う姿を魚として見てくれるかにもよるが。


 空の王者たるこの鯉はすっかり雲が消えた青空を泳ぎ、太陽の前を泳ぐ。

 その姿を見て、叫ばずにはいられなかった。


「鳥だ! 飛行機だ! ――いや、鯉だ!!」


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