くるみ

赤坂の料亭。

 一見さんお断り、政治家や財界の重鎮だけが足を踏み入れることを許される、日本の闇の奥座敷。


 静寂に包まれた個室で、われは一人の老人と対峙していた。

 与党の重鎮、大河内おおこうち代議士。

 この国の法案を通すための、最大の鍵となる男だ。


「……ほう。これはまた、随分と思い切ったご提案ですな」


 大河内は、われが差し出した極秘ファイル――『少子化対策特別措置法案』に目を通し、しわがれた声で唸った。

 その目は、獲物を狙う老獪ろうかいな狐のようだ。


「建前は少子化対策と経済の活性化。しかし、その実態は……婚姻制度の根底を覆す、事実上の一夫多妻容認。これが通れば、この国の倫理観はひっくり返りますぞ?」


「先生。倫理で飯が食えますか?」


 われは、最高級の日本酒を老人のさかずきに注ぎながら、冷ややかに微笑んだ。


「この法案が通れば、富裕層による養育費の負担が増え、国家の社会保障費は劇的に削減される。さらに、ここにある通り……『パートナーシップ税』の導入により、先生の派閥には天文学的な政治献金が流れる仕組みになっています」


 われは、桐の箱に入った「菓子折り」をスッと差し出した。

 中に入っているのは、饅頭ではない。

 金塊と、裏帳簿のデータだ。


「……クックックッ」


 老人は箱の中身を一瞥し、肩を揺らして笑った。  それは、悪代官が越後屋に向ける、あの笑いだ。


「増野さん。あなたは若くして成功された投資家だと聞いていましたが……いやはや。金の稼ぎ方だけでなく、人の動かし方も心得ておられるようだ」


 老人は杯を干し、ニヤリと笑った。


「クックッ……。お主も悪よのぉ」


「いえいえ、先生ほどでは」


 われもまた、悪役の笑みを浮かべる。  決まりだ。

 この国の政治中枢は、今この瞬間、われの軍門に降った。


 法案の提出は来週。

 われ楽園ハーレム建設への道は、黄金色に舗装された。


◆◇◆◇◆


 週末。

 われは、黒い欲望が渦巻く政治の世界から一転、夢と魔法の国にいた。

 千葉県某所にある、巨大テーマパーク。


「わぁぁぁっ! チサトさん、見て見て! お城が綺麗!」


 はしゃいだ声でわれの腕を引くのは、深く帽子を被り、大きなマスクで顔を隠した小柄な少女だ。

 一見すると、どこにでもいる可愛らしい女の子。

 だが、その変装の下にある素顔を知れば、日本中の男たちが卒倒するだろう。


 愛坂くるみ。

 国民的人気を誇るアイドルグループ『エンジェルス』の絶対的センターにして、CM女王。

 先日、彼女が所属する芸能事務所の株をわれが買い占め、筆頭株主として挨拶に行った際、彼女はわれの圧倒的なオーラに一目惚れしたのだ。


「しーっ。声が大きいぞ、くるみ。バレたらパニックになる」


「あ、いっけなーい! てへぺろ!」


 彼女はマスクの上からでも分かるほど、愛くるしく舌を出した。

 あざとい。だが、そのあざとさがプロ級だ。

 彼女は、三六五日、二四時間、「みんなの天使」であることを求められている。

 だが、今日だけは違う。


「ふふっ、でも大丈夫ですよ!今日はチサトさんが、パーク全体を『VIP貸切』にしてくれちゃったんですから!」


 そう、われはこの巨大なテーマパークの「特別エリア」と「全アトラクションの優先権」を、金に物を言わせて確保していた。

 周囲にいるのは、われが配置した私服警備員だけだ。


「さあ、行こうか。何に乗りたい?」


「ジェットコースター! 一番怖いやつ!」


 くるみはわれの手をギュッと握りしめ、駆け出した。

 小さな手。華奢な身体。

 だが、ステージの上で何万人ものファンを熱狂させるエネルギーが、その小さな体に詰まっているのがわかる。


 コースターの最頂点。

 急降下する直前、彼女はわれの方を見て、マスクをずらした。

 テレビで見るよりも遥かに美しい、満開の笑顔。


「チサトさん! 大好きーッ!!」


 ゴオオオオオッ!

 絶叫マシンの轟音にかき消されそうになりながら、彼女は叫んだ。

 恐怖ではなく、歓喜の叫び。

 われもまた、風圧を心地よく感じながら、隣で笑う彼女の横顔に見とれていた。


「(フッ……。トップアイドルが、たった一人の男のために叫ぶか。悪くない気分だ)」


 アトラクションを降りた後、二人はベンチに座り、クレープを分け合った。


「はい、あーん♡」


 くるみが、クリームたっぷりのクレープをわれの口元に差し出す。


「……恥ずかしいな」


「ダメです! 私は普段、ファンのみんなに『あーん』する側なんですから……今日くらい、私が『あーん』したいんです!」


 彼女の瞳は真剣だ。

 そこには、作られた「アイドルとしての笑顔」ではない、年相応の少女の「独占欲」が見え隠れする。

 われは観念して、クレープを一口かじった。


 甘い。


 彼女の存在そのもののように。


「……私ね、ずっと苦しかったんです」


 ふと、くるみがポツリと呟いた。

 マスクを外し、素顔を晒したまま、遠くのパレードの光を見つめている。


「みんなが見ているのは、『アイドルの愛坂くるみ』。ニコニコ笑って、清純で、トイレにも行かないようなお人形。本当の私なんて、誰も興味ないんだって思ってました」


 彼女はわれの方を向き、その大きな瞳に涙を溜めた。


「でも、チサトさんは違った。初めて会った時、私の『アイドルスマイル』じゃなくて、その奥にある私を見てくれましたよね?『無理して笑わなくていい。われの前では、ただの女でいろ』って……」


 (……実はあの時、単にわれが自分の偉さをアピールしたくて言っただけのセリフだったのだが、彼女には深く刺さったらしい)


「その言葉に、救われたんです。

 だから……私は決めました」


 くるみは立ち上がり、われの正面に立つと、スカートの裾を摘んで優雅に一礼した。

 それは、ステージ上のどんなダンスよりも美しく、献身的な仕草だった。


「私は、国民的アイドル『星野くるみ』を卒業します。これからは……あなただけの、専属アイドルになりますから」


「……卒業などしなくていい」


 われは彼女の頭をポンと撫でた。


「世界中の人間に夢を見せるのが君の仕事だ。だが、君自身が夢を見る場所は……われの腕の中だけでいい」


「ッ……! はいっ……!」


 彼女は弾かれたようにわれに抱きついた。

 周囲には誰もいない。

 夢の国の真ん中で、トップアイドルは一人の「恋する少女」に戻り、われの胸に顔を埋めて泣きじゃくった。


 清純派、ギャル、インテリ、お嬢様、熟女獣医。  そして六人目、国民的アイドル。

 われのハーレムは、もはや国家の縮図といっても過言ではないレベルに達していた。


 政治を裏で操り、メディアの表舞台も支配する。

 光と闇、その両方を手中に収めたわれに、死角など存在しない。


 ……そう、あの「水たまり」に沈んだ記憶以外は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る