アイリ

氷室サエが陥落した瞬間、われは確信した。

 この「力」に、死角はないと。


 そこからの進撃は、まさに破竹の勢いであった。

 否、それは攻略ですらなかった。

 ブラックホールが光すら飲み込むように、われという強大すぎる重力源に、女たちが勝手に吸い寄せられてくるのだ。


 四人目。

 われが暇つぶしにTOBした、倒産寸前の企業の社長令嬢。

 「会社を救ってくれた王子様」として、彼女は涙ながらにわれの胸に飛び込んできた。


 五人目。

 道端で怪我をしていた子犬を、チート医療知識で神業手術し、救った際に居合わせた動物病院の美人獣医。

 「あなたのゴッドハンド……私にも触れて」と、白衣を脱ぎ捨て迫ってきた。


 六人目、七人目……。

 街を歩けばトップアイドルがお忍びマスクを外して声をかけ、銀行に行けば受付嬢がメモを渡し、ジムに行けば美魔女トレーナーが指導(誘惑)してくる。


 気づけば、われのスマホのアドレス帳には、選りすぐりの美女十人の名前が並んでいた。

 清楚、ギャル、インテリ、お嬢様、小悪魔、年上、スポーティ……。

 全属性コンプリート。

 男なら誰もが一度は夢見る「カタログスペック最強のハーレム」が、ここにある。


「(フハハ……! 見ろ、これが『王』の人望だ!)」


 われはタワーマンションの窓ガラスに映る自分に酔いしれる。

 だが、われは義理堅い男でもある。

 数多の美女の中でも、最初にわれを見出し、カフェラテをぶっかけ、「王子様」と呼んでくれた彼女をないがしろにはしない。


 今日は週末。

 約束していた、天道アイリとのデートの日だ。


 土曜の夜。六本木。

 煌びやかなネオンが輝く大人の街に、一台のリムジンが滑り込む。


「きゃあああっ! すごぉい! 王子様、これリムジン!? 私たちのために貸し切ってくれたんですか!?」


 車内で歓声を上げているのは、白いドレスに身を包んだ天道アイリだ。

 今日の彼女は、出会った時以上に「ヒロイン力」が増している。

 ふわふわに巻かれた黒髪、透き通るような肌、そしてわれを見つめる瞳の、狂信的なまでのハートマーク。


「……まあな。君とのデートに、タクシーでは味気ないだろう?」


 われは足を組み、シャンパングラスを揺らす。

 内心では「(高っけぇぇぇ! レンタル料だけで給料三ヶ月分!?)」と悲鳴を上げているが、表情筋は「余裕の笑み」に固定されている。


「素敵……! やっぱり私の目に狂いはなかったです! 運命の人……ううん、私の王子様!」


 アイリはわれの隣に座ると、ギュッと腕に抱きついてきた。

 柔らかい感触。甘い香り。

 VRのポリゴンには決して出せない、「体温」という名のリアリティ。


「ねえ、王子様。私、夢みたいです。こんなに素敵な人と、こんなに素敵な夜景が見られるなんて……」


 窓の外には、東京タワーと夜景が流れていく。

 彼女はうっとりとわれを見上げ、その唇を近づけてくる。


「私……今なら、何されてもいいですよ?」


「(ッ!?)」


 われの心臓が跳ねる。

 三十年間の「魔法使い」生活に、ついに終止符が打たれるのか?

 相手は超絶美少女。シチュエーションは完璧。


 断る理由は、何一つない。


 だが。

 その寸前で、われの脳裏にふと、ある「映像」がよぎった。

 コンビニの防犯カメラ越しに見た、気だるげな店長の背中。

 汗ばんだ制服。生活感のあるため息。


「(……チッ。なんで今、あの人を思い出す)」


 われは興ざめする自分を叱咤し、アイリの肩を抱き寄せた。

 今は、目の前の「完璧」を楽しめばいい。

 過去の、薄暗いコンビニの記憶など、輝かしい未来には不要なノイズだ。


「……焦るな、子猫ちゃん。夜はまだ、これからだ」


「きゃあッ! 王子様ったら強引!」


 われたちは夜の街へと消えていく。

 誰が見ても羨む、世界で一番幸せなカップルとして。


 デートの帰り道。

 リムジンを降り、少し夜風に当たりたいというアイリの手を引きながら、われはスクランブル交差点を歩いていた。


 信号が青に変わる。

 膨大な数の人間が、黒い波となって交差点を埋め尽くす。


「(フン……。有象無象モブどもめ)」


 われは、すれ違う群衆を見下ろしていた。

 疲れた顔をしたサラリーマン。安っぽい服を着た学生。

 彼らは知らないのだ。

 今、自分たちがすれ違っているこの男が、太陽に触れ、ブラックホールを超え、千の知性を持ち、十人の美女を侍らせる「新世界の王」であることを。


「王子様、早くぅ! あっちのお店も見たいです!」


「ああ、わかった」


 われはアイリに引かれ、群衆をかき分けて進む。

 視線は上を向いていた。

 煌めくビルの明かり。自分の未来の輝きだけを見ていた。


 だから。

 われは気づかなかった。


 その群衆の中に、一人の女性が紛れていたことに。


 くたびれたコンビニの制服の上に、安物のカーディガンを羽織った女性。

 手にはスーパーの袋。中には、見切り品の惣菜と、缶ビール。

 彼女は、俯き加減で、疲れた足取りで歩いていた。


 ――すれ違いざま。


 ふわり、と。

 彼女の髪から、微かに「あの匂い」がした。

 高級な香水ではない。柔軟剤と、コンビニの揚げ物の油が混じった、生活の匂い。


「……?」


 われは一瞬、足を止めた。

 心臓の奥が、チクリと痛んだ気がした。


「どうしました? 王子様」


「……いや、なんでもない」


 われは振り返らなかった。

 振り返ったところで、そこには無数の他人がいるだけだ。


 気のせいだ。

 今のわれは、最高級のコロンを纏っている。そんな安っぽい匂いに反応するはずがない。


 一方。

 すれ違った女性――店長・北条もまた、ふと足を止めていた。


「……今の、誰だっけ」


 彼女は、人混みの向こうに消えていく、高級スーツの背中をぼんやりと見つめた。 あまりにも立派で、煌びやかで、自分とは住む世界の違う人。

 だけど、その背中の丸みが、一瞬だけ「彼」に重なって見えた気がした。


「……まさかね」


 店長は自嘲気味に笑い、首を振った。

 あの子は、もっと猫背で、自信なさげで……私の近くにいないと、ダメな子なんだから。


「帰って、ビールでも飲も」


 彼女はスーパーの袋を持ち直し、雑踏の中へ消えていった。


 われと、店長。

 交錯した二つの運命は、互いに気づくことなく、決定的にすれ違った。


 まだ、この時は。



ボーナスタイム終了まで、


――――残り、20日

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