アイリ
氷室サエが陥落した瞬間、
この「力」に、死角はないと。
そこからの進撃は、まさに破竹の勢いであった。
否、それは攻略ですらなかった。
ブラックホールが光すら飲み込むように、
四人目。
「会社を救ってくれた王子様」として、彼女は涙ながらに
五人目。
道端で怪我をしていた子犬を、チート医療知識で神業手術し、救った際に居合わせた動物病院の美人獣医。
「あなたのゴッドハンド……私にも触れて」と、白衣を脱ぎ捨て迫ってきた。
六人目、七人目……。
街を歩けばトップアイドルがお忍びマスクを外して声をかけ、銀行に行けば受付嬢がメモを渡し、ジムに行けば美魔女トレーナーが指導(誘惑)してくる。
気づけば、
清楚、ギャル、インテリ、お嬢様、小悪魔、年上、スポーティ……。
全属性コンプリート。
男なら誰もが一度は夢見る「カタログスペック最強のハーレム」が、ここにある。
「(フハハ……! 見ろ、これが『王』の人望だ!)」
だが、
数多の美女の中でも、最初に
今日は週末。
約束していた、天道アイリとのデートの日だ。
土曜の夜。六本木。
煌びやかなネオンが輝く大人の街に、一台のリムジンが滑り込む。
「きゃあああっ! すごぉい! 王子様、これリムジン!? 私たちのために貸し切ってくれたんですか!?」
車内で歓声を上げているのは、白いドレスに身を包んだ天道アイリだ。
今日の彼女は、出会った時以上に「ヒロイン力」が増している。
ふわふわに巻かれた黒髪、透き通るような肌、そして
「……まあな。君とのデートに、タクシーでは味気ないだろう?」
内心では「(高っけぇぇぇ! レンタル料だけで給料三ヶ月分!?)」と悲鳴を上げているが、表情筋は「余裕の笑み」に固定されている。
「素敵……! やっぱり私の目に狂いはなかったです! 運命の人……ううん、私の王子様!」
アイリは
柔らかい感触。甘い香り。
VRのポリゴンには決して出せない、「体温」という名のリアリティ。
「ねえ、王子様。私、夢みたいです。こんなに素敵な人と、こんなに素敵な夜景が見られるなんて……」
窓の外には、東京タワーと夜景が流れていく。
彼女はうっとりと
「私……今なら、何されてもいいですよ?」
「(ッ!?)」
三十年間の「魔法使い」生活に、ついに終止符が打たれるのか?
相手は超絶美少女。シチュエーションは完璧。
断る理由は、何一つない。
だが。
その寸前で、
コンビニの防犯カメラ越しに見た、気だるげな店長の背中。
汗ばんだ制服。生活感のあるため息。
「(……チッ。なんで今、あの人を思い出す)」
今は、目の前の「完璧」を楽しめばいい。
過去の、薄暗いコンビニの記憶など、輝かしい未来には不要なノイズだ。
「……焦るな、子猫ちゃん。夜はまだ、これからだ」
「きゃあッ! 王子様ったら強引!」
誰が見ても羨む、世界で一番幸せなカップルとして。
デートの帰り道。
リムジンを降り、少し夜風に当たりたいというアイリの手を引きながら、
信号が青に変わる。
膨大な数の人間が、黒い波となって交差点を埋め尽くす。
「(フン……。
疲れた顔をしたサラリーマン。安っぽい服を着た学生。
彼らは知らないのだ。
今、自分たちがすれ違っているこの男が、太陽に触れ、ブラックホールを超え、千の知性を持ち、十人の美女を侍らせる「新世界の王」であることを。
「王子様、早くぅ! あっちのお店も見たいです!」
「ああ、わかった」
視線は上を向いていた。
煌めくビルの明かり。自分の未来の輝きだけを見ていた。
だから。
その群衆の中に、一人の女性が紛れていたことに。
くたびれたコンビニの制服の上に、安物のカーディガンを羽織った女性。
手にはスーパーの袋。中には、見切り品の惣菜と、缶ビール。
彼女は、俯き加減で、疲れた足取りで歩いていた。
――すれ違いざま。
ふわり、と。
彼女の髪から、微かに「あの匂い」がした。
高級な香水ではない。柔軟剤と、コンビニの揚げ物の油が混じった、生活の匂い。
「……?」
心臓の奥が、チクリと痛んだ気がした。
「どうしました? 王子様」
「……いや、なんでもない」
振り返ったところで、そこには無数の他人がいるだけだ。
気のせいだ。
今の
一方。
すれ違った女性――店長・北条もまた、ふと足を止めていた。
「……今の、誰だっけ」
彼女は、人混みの向こうに消えていく、高級スーツの背中をぼんやりと見つめた。 あまりにも立派で、煌びやかで、自分とは住む世界の違う人。
だけど、その背中の丸みが、一瞬だけ「彼」に重なって見えた気がした。
「……まさかね」
店長は自嘲気味に笑い、首を振った。
あの子は、もっと猫背で、自信なさげで……私の近くにいないと、ダメな子なんだから。
「帰って、ビールでも飲も」
彼女はスーパーの袋を持ち直し、雑踏の中へ消えていった。
交錯した二つの運命は、互いに気づくことなく、決定的にすれ違った。
まだ、この時は。
ボーナスタイム終了まで、
――――残り、20日
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