第21話 炙り出される
邦彦を客間に通し、しばらく会わなかった間に起きた出来事を報告しあった。
武田の爺は最近は呆けているとか、邦彦の甥子が少し見ぬ間に声変わりをしていたとか、そんなくだらない話に花を咲かせるのは久しかった。
「護泰様、邦彦様。綾乃様が到着されました」
秀忠の声が響き、襖が開く。
「失礼致します」
鈴の鳴るような声が響き、綾乃が客間に入ると、邦彦の表情が一瞬固まった。
驚愕とも、見惚れたともつかぬ眼差し。
私はそれを横目に見て、胸の内に渦のようなものが巻き起こるのを感じた。
「武田邦彦と申す。真田の殿とは幼き頃よりの仲で……」
邦彦が丁寧に名乗ると、綾乃は静かに一礼した。
所作はあくまで控えめで、清らかな流水のように美しい。
その姿に、邦彦は言葉を詰まらせた。
「お初にお目にかかります、武田殿。遠路はるばるお疲れのところ失礼致します」
「……っ、いや、その……」
珍しい。
いつも自信に満ちた邦彦が、ここまで取り乱す姿は滅多に見ない。
綾乃は、そんな邦彦の反応に気づいていないのか、柔らかな笑みで応じた。
「護泰様の幼き頃からの友とお聞きしております。お越し下さり、ありがとうございます。綾乃と申します」
心を閉ざしがちだったあの綾乃が、自然な笑みを向けている。
……胸が重くなるような、不思議な感覚がした。
笑みを向けられた邦彦はますます赤くなり、たまらないというかのように目を逸らした。
挙動不審な邦彦の様子を見て不思議がる綾乃。
私は、そんな二人を傍観者として見ていた。
「邦彦は、昔からこういうところがある。気にするな。」
そう言った私の声には、どこか棘があった。
綾乃が小さく瞬いた。
邦彦は気まずさを紛らわすように笑い、綾乃に問う。
「姫は真田の暮らしには慣れましたか?護泰は……まあ、融通が利くようで利かぬ男だろう?」
「いえ。とても気遣っていただいております」
綾乃はそう言って目を伏せた。その表情は穏やかに見えたが、それが彼女の本心なのかは分からなかった。
邦彦は綾乃の前ではどこかぎこちない。私に向けては昔の調子で話し、時折綾乃に話しかけ、綾乃がそれに笑顔で応じる。
そんな場面が続き、静かに私の内側に沈殿していく、得体の知れぬもの。
綾乃の美しさは誰もが認める。邦彦の目を引くのも当然だ。それなのに、胸の奥がどうしようもなくざわめいた。彼女が笑うたび、その笑みが自分ではなく邦彦に向けられているのを見て、思いも寄らぬ焦燥が胸を走る。
なぜ、こんな感情を抱くのか。
私は綾乃を妻として迎えたが、それは和平のためだ。彼女もまた、千住を守るために輿入れした。
――それだけの関係だったはずだ。
なのに。
半年という時間の中で、いつの間にか私の視線は彼女を追うようになっていた。その声を聞くたび、心がほどけるような感覚があった。
そして、今のように彼女が誰かと笑い合う姿を見ると、胸が乱れる。
気づかぬふりをしていた感情が、邦彦の訪れによって一気に炙り出された気がした。
しかし、その感情の正体に気づいたところで、どうにもならなかった。
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