第9話 掴めない人

その翌日、護泰は来なかった。

しかし翌々日、また姿を現した。

持ってきたのは千住では見かけない形の小さな焼き菓子だった。


「これは、真田に昔から伝わる菓子でな。素朴な味だが気に入ると思う」


「……ご親切に」


そしてまた、同じようにすぐに去っていく。


花乃が気を利かせて席を外すから部屋には護泰と私だけが残るのに、護泰は必要以上に言葉を交わそうとしない。



礼儀はあるが、距離を詰めようとはしない。

かといって、冷たいわけでもない。


「……掴めない人」


護泰が去った後、小さく呟く。



あの人はいったい何を考えているのだろう。

和平の象徴として迎えたとはいえ、儀礼的に扱っても誰も咎めることはないはず。


それなのに護泰は、私の好物を探し、訪ねてきて、すぐに去る。


その距離の取り方はあまりに巧妙で、あまりに自然で、あまりに――優しかった。

その優しさが、私には何より恐ろしかった。



菓子はまた戸棚の奥にしまった。

食べる気にならなかった。

けれど、しまうたびに胸の奥の痛みは増した。



護泰の訪問は不定期に続いた。

訪れるたびに違う菓子を持ってきて、私は礼を言い、ほんの数言交わし、そしてすぐ帰る。無理に居座ることなどなく、居心地の悪さを与えまいとするような距離感。



ある日、私はたまらず花乃に尋ねた。


「護泰様は……あのように、皆に気遣われる方なの?」


花乃は少し驚いたように目を瞬き、それから静かに笑った。


「当主様は、どなたにも分け隔てなく接される方です。ただ、姫様にはとりわけお気遣いされているようにお見受けします」


「どうして?」


「さあ……それは、当主様にお訊き頂かねば」



そう言って花乃は柔らかく頭を下げた。

その言葉が胸の奥にまた小さな波紋が広げたことを感じ、護泰の影が私の心の周囲を静かに巡りつつあることもまた、感じていた。




そしてまたある日、私は思いがけない場面に出くわすことになった。


廊下を歩いていると、護泰が庭で家臣と談笑している姿が見えた。


珍しく笑っていた。穏やかで、明るい笑み。

それを見ている家臣たちも、皆どこか嬉しそうだった。


思わず足を止める。

胸がふいに熱くなる。

兄上が笑っていたときの顔が、不意に蘇る。

 

 


「……やめて」


私は自分に言い聞かせるように呟き、踵を返した。

逃げるように部屋へ戻り、戸を閉める。

胸の奥で脈が早く打ち、乱れた呼吸を必死に整えた。


護泰という男が、私の心をかき乱す。それが我慢ならなかった。


敵国の当主のはずなのに、兄上を討った張本人のはずなのに。なぜ、あの笑顔が、あの気遣いが、あの静かな眼差しが、私の心に触れようとするのか。


拒絶したい。

憎みたい。

心を許すつもりなど、毛ほどもない。



憎しみで固めたはずの心の奥で、別の感情が芽吹こうとしているのを必死に押しとどめながら、真田で過ごす日々は過ぎていった。

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